三 「すんくんカルタ」が照射する元禄年間の「うんすんカルタ」
三 「すんくんカルタ」が照射する元禄年間の「うんすんカルタ」の記事一覧
この、「蝙蝠龍」と「火焔龍」の違いが示す、うんすんカルタ制作地が二箇所であったという理解は、このかるたのもう一つの謎、「ソウタ」の問題にも関係してくる。研究室は、文献史料では、延宝年間(1673~1681)頃から天正カルタの遊技でも「ソウタ」という表記が消えて「坊主」と呼ぶ場合が増えることを指摘している。そのことは興味...
『うんすんかるた』所収のすんくんカルタ版木では、九十七枚目のエキストラ・カードとして、「蝙蝠龍」の「ハウ」の札が加えられており、合計すると、紋標「ハウ」の「一」の札としては、棍棒だけを描いた「紋標数一」の札と「火焔龍」の「ロハイ」の札と「蝙蝠龍」の札で、合計三枚あることになる。山口吉郎兵衛はこの追加的な「蝙蝠龍」の「ロ...
すんくんかるた(うんすうかるた『うなゐのとも』) しかし、ここに研究を進めるうえでの強力な助っ人となる物品史料が現れた。元禄年間(1688~1704)末期のものと想定されている「すんくんカルタ」の版木である。これを発見した山口吉郎兵衛が『うんすんかるた』で初めて紹介したので、すんくんカルタは世に知られるようになった。同...
以上の図像の比較検討を経て、「火焔龍グループ」のうんすんカルタと「蝙蝠龍グループ」のうんすんカルタでは、その図像の相違は明確であり、同一の制作者の制作年代の違いによる単線型の変化という図式では理解できるものではないことが分かった。両グループのカルタ札は、ある部分では「火焔龍グループ」の札の方が南蛮カルタに近く、また別の...