すんくんかるた(うんすうかるた『うなゐのとも』)
すんくんかるた(うんすうかるた『うなゐのとも』)

しかし、ここに研究を進めるうえでの強力な助っ人となる物品史料が現れた。元禄年間(1688~1704)末期のものと想定されている「すんくんカルタ」の版木である。これを発見した山口吉郎兵衛が『うんすんかるた』[1]で初めて紹介したので、すんくんカルタは世に知られるようになった。同書に収録されているのは元禄年間(1688~1704)末期と推測される「下立売通車や町の角 きやうしや四郎兵衛」制作の版木の骨摺り一組である。それによるとこのカルタは一組が五紋標のうんすんカルタから派生したもので、一組が六紋標、一紋標が「紋標数」の異なるカード十六枚で、合計九十六枚にもう一枚のエキストラ・カードが加わり合計九十七枚で構成されている。この版木の発見当時には他にこの種類のカルタの存在を示す史料が全く発見されておらず、残されているのがカルタではなくその版木でしかなかったのでその実在性が半信半疑のようなところがあった。

だが後に、清水晴風編集の『うなゐのとも』第一集[2]に「うんすうカルタ」として掲載されている銀地紙で「コップのロハイ」「矢の一」「コップの八」、金地紙で「グルのソウタ」「矢のウマ」「イスのウマ」、合計六枚の手描きのカルタ札にすんくんカルタだけに固有の紋標である「矢」の札が二枚含まれていることからこれが実は二組のすんくんカルタからの抜粋であることが分かり、カルタ札そのものの存在が確認されて実在が証明できた。また、アメリカの個人コレクションにもこのカルタ札が発見された。

すんくんカルタ(『清水晴風手控帳』)
すんくんカルタ
『清水晴風手控帳』)

なお、清水には集古会出品の品と思われる遊戯具を模写した大部の手控帳があり、その一冊はカルタ、かるたを扱う『歌留多之類』[3]であるが、その中には、『うなゐのとも』に収録した「うんすうかるた」の模写図はなく、その代わりに、もう一組別のカルタが模写されている。これは金地紙で「コップのロハイ」「イスの一」「イスのウマ」「コップの八」「矢の一」、合計五枚の札の模写図であり、このうち「コップのロハイ」は『うなゐのとも』の銀地紙のものとよく似ており、「イスのウマ」は金地紙のものとよく似ており、「コップの八」と「矢の一」は銀地紙のものとよく似ている。「イスの一」だけに『うなゐのとも』には対応する札がない。つまり、『うなゐのとも』の銀地紙のものと金地紙のもの、それにこの第三のすんくんカルタは、その図像が酷似しており、同一のカルタ屋の制作した同時代のものと推測されるのである。かくして、すんくんカルタは、国内で三例、海外で一例発見されたことになる。

ただし、清水晴風の『手控え帳』には、『うなゐのとも』に載せたすんくんカルタの図像はなく、金地紙のすんくんカルタのページに「安永明和の頃‥‥」の記載がある。そこで、清水が見たすんくんカルタは、実は金地紙のものだけで、『うなゐのとも』の編集に際して、何らかの事情があって一部を銀地紙に変えて掲載したのではないかという疑問が生じる。そうだとすると、国内で発見されたのは三組ではなく一組ということになる。


[1] 山口吉郎兵衛『うんすんかるた』、リーチ(私家版)、昭和三十六年、四〇頁。

[2] 清水晴風『うなゐのとも』第一編、大倉屋、明治二十四年、三裏頁。

[3] 清水晴風『歌留多之類』、未公開、明治三十九年、清水晴風玩具絵本の会蔵。

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