朝鮮の花札、「花闘」 五 プラスチック花札の時代 こうした事情は、1970年代以降に劇的に変化した。1965年の日韓基本条約の締結を境に日本の経済力に頼った「漢江の奇跡」と呼ばれるような経済の復興、高度成長の続いた韓国社会で、「花闘(ファトゥ)」は大いにもてはやされ、遊技の用具では、硬く、札に反りのないプラスチック製のカードが溢れ、紙製のものは姿を消した。遊技法では、... 館長
朝鮮の花札、「花闘」 四 第二次大戦後の朝鮮半島での花札 さて、朝鮮半島の「花闘(ファトゥ)」に戻ろう。第二次大戦後の朝鮮半島では「花闘(ファトゥ)」が盛んに用いられた。そこでは、用具としては、植民地当時に「移入」されたものの残品、日本からの密輸品、貿易再開後は輸入品もあったが、多くは自国内での国産品が用いられていた。朝鮮半島での花札の歴史に関心がある私としては、韓国と北朝鮮... 館長
朝鮮の花札、「花闘」 三 日本植民地時代の取締当局者による研究 金櫕根『朝鮮賭博要覧』、共榮社、大正十五年。 大正年間については、大正十五年(1926)に公刊された金櫕根著の『朝鮮賭博要覧』が著名である。この書では、「第一章賭博ノ種類」「第二章賭場開帳」に続いて、「第三章闘箋ヲ使用スル賭博」「第四章骨牌ヲ使用スル賭博」「第五章花札ヲ使用スル賭博」「第六章ユツヲ使用スル賭博」「第七章... 館長
朝鮮の花札、「花闘」 二 朝鮮半島での花札の普及、定着 二 朝鮮半島での花札の普及、定着 私はかつて、『ものと人間の文化史167 花札』で、「朝鮮花」について次のように書いた。多少の表記を改めたが、当時のままに再現しておきたい。 (五)大日本帝国の植民地経営における花札の活用 大日本帝国は活発に領域の拡大を追求して、大国になっていった。その際に対外膨張の最前線は、日本軍の軍... 館長
朝鮮の花札、「花闘」 一 「朝鮮花」(「花闘」)の発見 最近、ネット・ニュースにこんな記事があった(下線は私が付けた)。 東京都内で10月6日、シンポジウム「韓国『徴用工』問題の真実」が開かれた。注目は、韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員が動画で講演したことだ。李氏は、国連で「朝鮮人が奴隷のように使われたという主張はまったくのウソ」と発表した人... 館長