(三)声色かるた

第三のグループは、歌舞伎の役の台詞を四十八人分揃えた「声色かるた」である。嘉永年間(1848~54)の一陽斎豊国画、都澤板「いろはたとゑ」(その1、その2、その3)[1]とされたかるた絵を見ると、「い」の字札には「義経腰越状」(よしつねこしごえじょう)(鉄砲場)の泉(いずみ)三郎の台詞「いかにごとう今ひびきたるてつぽうは(いかに五斗今響きたる鉄砲は)」があり鉄砲の挿絵が添えられていて、絵札は泉三郎を演じた役者の似顔絵である。「ろ」の字札には「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」(草履打の段)の岩藤の台詞「ろんよりしやうこはこのぞうり(論より証拠はこの草履)」があり草履の挿絵が添えられていて、絵札は岩藤の憎々し気な表情の似顔絵である。「り」の字札には仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)の塩谷判官の台詞「りきやゆらの介はまだか(力弥由良助はまだか)」と三方に載せた切腹刀の挿絵があり、絵札は塩谷判官の似顔絵である。このかるた絵では、人物は豊国本人が描いているが、器材は弟子の歌川国久に任せて描かせている。絵札に役名が書かれていなくて見るものが自分で当てるしかけになっている。

いろはたとゑ③(三代豊国画、都澤版)
いろはたとゑ②(三代豊国画、都澤版)
いろはたとゑ①(三代豊国画、都澤版)

 

「いろはたとゑ」(一陽斎豊國画、都澤版、嘉永年間)

「いかにごとう今ひびきたるてつぽうは(いかに五斗今響きたる鉄砲は)」
「義経腰越状(よしつねこしごえじょう)(鉄砲場)」・泉三郎

「ろんよりしやうこはこのぞうり(論より証拠はこの草履)」
「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)(草履打の段)」・岩藤

「はてめずらしいたいめんじやなあ(はて珍しい対面じやなあ)」
「寿曾我対面(ことぶきそがのたいめん)(曽我の対面・工藤館の場)」・工藤祐経、曽我五郎、曽我十郎

「にせも三せもかためのまくら(二世も三世も固めの枕)」
「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)(鮨屋の段)」・お里

「ほうでうどののゑぼし子にて(北条殿の烏帽子児にて)」
「寿曾我対面(ことぶきそがのたいめん)」・曽我五郎時致

「へいじ佐々木になりかはり(平次佐々木に成り代り)」
「ひらがな盛衰記(序幕・梶原館先陣問答の場)」・梶原平次景高

「とめたとめたおつとめた(止めた止めたおつ止めた)」
「正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)」・小林朝比奈義秀

「ちやうちんこれへ(提灯これへ)」
「傾城吾嬬鑑(けいせいあずまかがみ)」

「りきやゆらの介はまだか(力弥由良之助はまだか)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)四段目(塩谷館の段)」・塩谷判官

「ぬけばたまちるつるぎのいなづま(抜けばたまちる剣の稲妻)」
「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」・不破伴左衛門

「るすをたのんだたびの人(留守を頼んだ旅の人)」
「絵本合法衢(えほんがつぽうがつじ)」・太平次

「をそいをそいはんぐわんどの(遅い遅い判官殿)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)三段目(足利館の段)」・高師直

「わらでゆふてもわたしはわたし(藁で結うても私は私)
「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」・小糸

「かねのくようをおがみたい(鐘の供養を拝みたい)」
「京鹿子娘二人道成寺(きようかのこむすめふたりどうじょうじ)」・白拍子花子

「よいところへさぎ坂ばん内(よいところへ鷺坂伴内)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)三段目(足利館の段)」・勘平

「たがいの思ひはしゆみ大かい(互いの思ひは須弥大海)」
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)(車引の段)」・梅王丸

「れうじあるなあなたはふじのおつぼねさま(聊爾あるなあなたは藤のお局様)」
「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)(熊谷陣屋の段)」・相模

「それにひかへしおふたりさん(それに控えしお二人さん)」

「つづみはもとよりなみのおと(鼓はもとより浪の音)」
「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)(川連法眼館の段)」・佐藤忠信

「ねぐらかそふやぬれつばめ(塒貸そうや濡れ燕)」
「鞘当」・名古屋山三元春

「なむさんべにがながれてきた(なむさん紅が流れてきた)」
「国性爺合戦(こくせんやがっせん)」・和藤内

「らいせをねがふはなにゆへぞ(来世を願ふは何故ぞ)」

「むかしかたればしのだのきつね(昔語れば信太の狐)
「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」・葛の葉

「うをごゝろあればみづごゝろ(魚心あれば水心)」
「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)(岩川内の段)」・岩川

「ゐしかはやはまのまさごはつきるとも(石川や浜の真砂は尽きるとも)」
「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」・真柴久吉

「のみにもくはさぬこのからだ(蚤にも食わさぬこの身体)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)五段目(山崎街道の段)」・千崎弥五郎

「お江戸ははんくわとうけたまはり(お江戸は繁華と承り)」
「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」・白井権八

「くれるさくらもひとしほひとしほ(暮れる桜も一入一入)」
「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」・石川五右衛門

「やかたへつれゝば手まはりはした(館へ連れれば手回り端)」

「まはつてようすをきいたがまし(回って様子を聞いたがまし)
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)(寺子屋の段)」・梅王丸

「けんこん二つのあいだをぬけ(乾坤二つの間を抜け)」

「ふみのごようはわたしがゑてもの(文のご用は私が得てもの)」

「こいしくばたづねきてみよいづみなる(恋しくば尋ね来てみよ和泉なる)」
「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」・葛の葉

「江戸むらさきのはちまきに(江戸紫の鉢巻きに)」
「助六所縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)」・助六

「てのうちごむよう(手の内御無用)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)九段目(山科閑居の段)」・お石

「あゝらあやしやなあ(ああら怪しやなあ)」
「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」・荒獅子男之助

「さてもさんぬる六日のよ(さても去んぬる六日の夜)」
「には一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」・口上

「きがちがつてのらうせきか(気が違っての狼藉か)」

「ゆさんはんぶんえのしまの(遊山半分江ノ島の)」
「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」・白井権八

「めづらしいうでのかうしやく(珍しい腕の講釈)」
「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」・瀬尾十郎兼氏

「みゆるはみゆるは(見ゆるは見ゆるは)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)七段目」・大星由良之助

「ししとらでんのぶがくのみきん(獅子と乱旋の舞楽のみぎん)」「石橋」・地

「ゑかうしやうとておすがたを(回向しようとてお姿を)」
「本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)(十種香の段)」・八重垣姫

「ひつほうでんじゆがうけたいばつかり(筆法伝授が受けたいばっかり)」
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)(筆法伝授の段)」・左中弁希世

「もつべきものは子でござる(持つべきものは子でござる)」
「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)(寺子屋の段)」・松王丸

「せめらるゝは身のつとめ(責めらるるは身の務め)」
「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋琴責の段)」・阿古屋

「すけのつぼねもよろこばれよ(典侍の局も喜ばれよ)」
「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)(渡海屋・大物浦の段)」・銀平

「京こそかへすしゆうのあだ(今日こそ返す主の仇)」
「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)十一段目(討入の段)」・大星由良之助

また、明治前期(1868~87)の作者不詳、版元不詳の「しんぱん俳いう声色かるた」(その1、その2、その3)では、「い」の字札は「南総里見八犬伝」(なんそうさとみはっけんでん)(芳流閣の決闘)の犬塚信乃の台詞「いぬづかしのがいのちのかぎりこんかぎりならば手がらにからめてみろ(犬塚信乃が命の限り根限りならば手柄に絡めてみろ)」と鯱の挿絵で、絵札は抜身の刀をもつ犬塚信乃である。「ほ」の字札は「表裏忠臣蔵(おもてうらちゅうしんぐら)」(三段目の道行)のお軽の台詞「ほれてわたしがほめるじやないがこんなゑにしがからかみのおしのつがひのたのしみになぶられたいのが身のねがひ(惚れて私が褒めるじゃないがこんな縁が唐紙の鴛鴦(おし)のつがひの楽しみに弄られたいのが身の願い)」で絵札はお軽の顔絵である。「と」の字札は「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」(渡海屋・大物浦の段)の銀平の台詞「とかい屋銀平とは仮の名まことわれこそ新中納言平のとも盛(渡海屋銀平とは仮の名まこと我こそ新中納言平の知盛)」で絵札は銀平の顔絵である。ここで興味深いのは、四十八枚の字札のうち、芝居の台詞を生の形で採用したのは二十六枚に留まり、その台詞の登場する場面をうたった端唄が十枚、都都逸が九枚、甚句が三枚あって、台詞に替えてそれらが採用されたので読んで遊ぶ際の音楽性が高められていることである。もともと歌舞伎の舞台でも随所に音曲が使われていたのであり、この工夫でかるた全体が芝居のリズミカルな雰囲気を一層生き生きと表現できている[2]

なお、このかるたでは、字札に役者の家紋の地模様がある[3]。これを読んで絵札をとる遊技法の場合は読み手にしか見えない情報であり、その役者の声色に似せて台詞を使い分けるのが芝居好きの江戸っ子の聞かせどころであったのだろう。あるいは、このかるたを広げて鑑賞するもっと穏やかな遊戯であれば、この家紋をヒントにして役者の噂話に一層の花が咲いたことであろう。なかなか味わいの深い仕掛けである。以下に紹介しよう。

しんぱん俳ゆう声色かるた③(版元不詳)
しんぱん俳ゆう声色かるた②(版元不詳)
しんぱん俳ゆう声色かるた①(版元不詳)

 

「しんぱん俳いう声色かるた」(画工、版元不明、明治前期)

せりふ「いぬづかしのがいのちのかぎりこんかぎりならば手がらにからめてみろ」
〔犬塚信乃〕(南総里見八犬伝(なんそうさとみはつけんでん)・芳流閣の決闘)

せりふ「ろくぬす人トじや知行(ちげう)ぬす人トじや盗(ぬす)人じや盗(ぬす)人じや盗(ぬす)人じやなんとそうでは有まいかいの」
〔岩藤〕(鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)・草履打の段)

はうた「はまちやうの清正公(せいしゆうこう)さまの仰(おゝせ)にはかならず妻(つま)子のある人に二世の約束せぬがよい」
〔清正〕(不詳)

とゞいつ「にても似(に)つかぬゑんならよしなかもとあひるは程がちかふ」
〔弥助〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・鮨屋の段)

とゞいつ「ほれてわたしがほめるじやないがこんなゑにしがからかみのおしのつがひのたのしみになぶられたいのが身のねがひ」
〔おかる〕(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・三段目の道行)

とゞいつ「ヘリもふむまひ恋茶の中でふくささばきが気(き)にかかる」
〔苅屋姫〕(菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・道明寺の段)

せりふ「とかい屋銀平(ぎんぺい)とは仮(かり)の名まことわれこそ新中納言(しんちうなごん)平のとも盛(もり)」
〔銀平〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・渡海屋・大物浦の段)

とゞいつ「ちよいとすいつけすいがらはたきこんなつまらぬことはない」
〔田舎侍〕(五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ))

せりふ「りやうぢ有るなあなたはふじのおつぼねさま」
〔さがみ〕(一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)・熊谷陣屋の段)

はうた「ぬば玉のやみとおまへに登(のぼ)りつめ二階(かい)せかれてしのびあふよるはゆめさへ黒(くろ)ぬりの枕言葉(まくらことば)じやないかいな」
〔伊太八〕(帰咲名残命毛(かえりざきなごりのいのちげ))

せりふ「るすを頼(たの)んだ旅(たび)の人二階(にかい)を見るなとこツちから」
〔太平次〕(絵本合法衢(えほんがつぽうがつじ))

せりふ「を染殿迚(とて)もそはれぬ悪(あく)ゑんゆへやつぱり彼方(あなた)は山家屋へおかへりなされてくださりませ」
〔久松〕(道行浮寝鴎(みちゆきうきねのともどり)・お染久松)

はうた「わがものと思へばかるき傘(かさ)の雪(ゆき)恋(こひ)の重荷(おもに)を肩(かた)にかけ妹(いも)がり行(ゆけ)ば冬(ふゆ)の夜(よ)の」
〔礼三郎〕(契情曽我廓亀鑑(けいせいそがくるわかがみ))

せりふ「かわいやおしゆんヱもう此世ではあわぬぞよ」
〔傳兵衛〕(おしゆん伝兵衛(おしゆんでんべえ))

せりふ「よこ川の覚範(かくはん)が一門の仇(あだ)せんため川つら
〔川連〕が館(たち)へきかゝる通り目先さへぎる野狐(きつね)め」〔平教経〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・川連法眼館の段)

せりふ「たとへこがれて死ねば迚(とて)雲(くも)井に近(ちか)きお方にすしやのむすむすめがほれられやうか」〕
〔おさと〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・鮨屋の段)

とゞいつ「れんぼする身の心のうちはひとのそしりも世のぎりもすてゝはかなきもぬけ鳥」
〔善六〕(是評判浮名読売(これはひようばんうきなのよみうり)・ちょいのせの善六)

せりふ「そのおくやみは無用ゝゝ常(つね)がつねなら梶原(かじはら)が身替(みがは)りくうてはかへり申ぬ」
〔権太〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・鮨屋の段)

せりふ「つづみはもとより浪(なみ)の音(おと)狐(きつね」は陰(いん)のけものゆへ水をはつしてふる雨に」
〔佐藤忠信〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・川連法眼館の段)

とゞいつ「ねても覚(さめ)てもをまゑの姿恋(こひ)の情(じやう」かと目に見ゆる」
〔おみつ〕(お光狂乱(おみつきようらん))

せりふ「なにやつなれば寝(ね)ごみへふん込(こ)みだましうちとはひきやうなやつ」
〔伊織〕(敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢややむら))

とゞいつ「らくをふりすてわが心から知らぬところでくろうする」
〔権八〕(浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま))

はうた「むつとしてかへれば角(かど)の青柳(あをやぎ)でくもりし胸(むね)を春雨(はるさめ)にまたはれてゆく月のかげならばめうとにしてほしや」
〔伊左エ門〕(廓文章(くるわぶんしょう)・吉田屋の段)

せりふ「うぬにかんどう受(うけ)たれば主(しゆう)でないけらいでない一ッぽん立(だち)の元右衛門様(もとゑもんさま)だ」
〔元右エ門〕(敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢややむら))

せりふ「ゐのちの問屋(とんや)の見世びらきはじめてこんなしやう賣(ばい)を聞(きい)て鬼門(きもん)の喜兵衛(きへゑ)といふ平(ひら)きてうめんの商人(あきんど)さ」
〔喜兵衛〕(於(お)染(そめ)久松(ひさまつ)色讀販(うきなのよみとり)(おそめひさまつうきなのよみとり))

はうた「のぼりくだりのをつづら馬(むま)よさても見事な手づな染(そめ)かいな」
〔関の小万〕(丹波与作浮名?(たんばよさくうきなのたづな)(たんばよさくうきなのたづな))

ぢんく「をめこしたいとててんとう様おがむおめこてんからふるものか」
〔丈八〕(花野嵯峨猫魔稿(はなのさがねこまたぞうし))

とゞいつ「くれ竹の欲(よく)をはなれて操(みさほ)をまもりほかの男のはだしらず」
〔お七〕(伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこひのひがのこ))

ぢんく「やぐらだいこのなる度ごとに思ひ出します鉄がたけ」
〔鉄ヶ嶽〕(関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)

せりふ「まこと山本勘介(かんすけ)があがむる主人は足利(あしかゞ)のきん立(だち)松寿丸(しやうじゆまる)これへ」
〔勘介〕(本朝二十四孝(ほんちようにじゆうしこう)・勘介住家の段)

はうた「けさのナア雨にしつぽりとまたゐつゞけに永の日をみじかふくらす床(とこ)の内」
〔おいし〕(当秋八幡祭(できあきはちまんまつり))

せりふ「ふしやうながら由良之助が女ぼうおいし」
〔遊女某〕(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)六段目(山科閑居の段)

せりふ「こ見(み)世の客(きやく)を引(ひき)手茶(ちや)屋土手のお六といはれちやアひやかし手合(であい)にたて引だか」
〔土手のお六〕(於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみとり))

はうた「えちごの國(くに)のかくべじし國を出るときや親子(おやこ)づれ」
〔越後獅子〕(七福神宝入船(しちふくじんたからのいりふね))

せりふ「てつぽうきづには似(に)たれ共まさしくかたなでゑぐツたきづ」
〔弥五郎〕(仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)六段目(山科閑居の段)

せりふ「あさ草川(くさかわ)へ身(み)をしづめあの世のゑんをコレ久松(ひさまつ)かならず結(むす)んでたもいのヲ」
〔おそめ〕(心中鬼門角(しんじゆうきもんかど))

せりふ「さつきにからままこしらへて待(まつ)てゐるにこゝであがるか奥(おく)へすへよか」
〔おとわ〕(関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)

せりふ「きのふ秋葉(あきば)で伝兵衛(でんべい)さんに心にもないあいそづかし」
〔おしゅん〕(近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)・堀川の段)

せりふ「ゆめ野の鹿(しか)で思はずも女じか子鹿の手にいるあつぱれはたらき」
〔梶原景時〕(義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・鮨屋の段)

せりふ「めづらしや早瀬伊織(はやせいおり)父をうたれて此年月さこそむねんであろうサア立上ッてせうぶいたせ」
〔東間三郎右衛門〕(敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢややむら))

はうた「みはひとつ心はふたつみつまたの流(ながれ)によどむうたかたの」
〔高尾〕(伽蘿先代萩(めいぼくせんだいはぎ))

はうた「しのぶ恋路(こひじ)のさてはかなさよこんどあふ夜は命がけよごす泪(なみだ)のおしろいもその顔かくすむりな酒」
〔吉三〕(八百屋お七恋江戸紫(やおやおしちこいのえどむらさき))

とゞいつ「ゑヱもういやだよじん介らしいあんな人にも出にやならぬ」
〔杢郎兵衛〕(浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま))

はうた「ひとよあくればまたきもかわるはなのさかりはむめやしき」
〔太神楽〕(花?偖拳酒(はなにたるさてはけんざけ))

せりふ「もうし岩藤様(いはふぢさま)うみの親(おや)もおよばぬ御異(ごい)けんをありがとうぞんじ奉る」
〔尾上〕(鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)・草履打の段)

せりふ「せけんの人の口ゞゝに小町(まち)おしづとおつしやつたのもみな前(ぜん)ぴやうなればはかない此身のすへ」
〔おしづ〕(契情曾我廓亀鑑(けいせいそがくるわかがみ))

ぢんく「すもうじや鬼面山(きめんざん)役者(やくしや)じやはこさほどのよひのが新左衛門(しんざえむ)」
〔新左エ門〕(廓文章(くるわぶんしょう)・吉田屋の段)

せりふ「京の角力(すもふ)はコリヤ見い我(われ)とおれとがすもうじやといムム時(とき)もときおりも折わが身とおれが立合とはハテアアきみ合(あい)な事じやのヲ」
〔稲川〕(関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり))


[1] 国立国会図書館デジタル公表資料。

[2] 戸板康二『すばらしいセリフ』、駸々堂出版、昭和五十五年が参考になる。

[3] 赤坂治績「歌舞伎の家と家紋」『新しい文化のかたち―言語・思想・くらし』、お茶の水書房、平成十七年、一七三頁。