読みカルタ遊技図
読みカルタ遊技図
(「邸内遊楽図屏風」、サントリー美術館蔵)

『雍州府志』の記述は、次に遊技の方法に進む。そこでは、「読み」と「合せ」が紹介されている。読みではすべての札を配分した後、「其為戯謂打賀留多、然後人々所得之札數一二三次第早拂盡所持之札是為勝、是謂讀(ヨミ)、倭俗毎事筭之謂讀。」である。「その遊技をすることをカルタを打つと言う。(札を配分した)然る後に参加している人々が手元に得た札を、一二三の次第に数えて所持する札を早く払い尽くした者が勝ちとなる。これを読みと言う。倭俗にいつもこれを(声を出して)算えることを読むと言う」である。

まず、冒頭のカルタを「打つ」という表記が興味深い。二十一世紀、今日のカルタ遊技では、海外から伝来したものに由来する系統のカルタの場合は「打つ」と言う。手札が配られたのちにそれを打ち出してゲームが進行するのであるから「打つ」で良い。ちなみに、囲碁は手元の碁石を碁盤上に出すので「打つ」であり、将棋はすでに将棋盤上にある駒を動かすので「指す」であるが、将棋で手元の持ち駒を盤上に投じる動作は「打つ」である。なお、すでに上に見たように、黒川道祐は読みでは所作を「払う」と表記している。「払う」は「捨てる」「棄てる」に近く、「払い尽くす」は「捨てきる」「棄て切る」に近い。手札を場に投げ出すのだからこれで良い。また、これと対照的に、日本式のかるたの場合は、手札というものがなく、場に展開されている場札を取り集めるのであるから「取る」ないし「合せ取る」で良い。『雍州府志』でも「歌かるた」の説明では「合せ取る」である。今日の遊技用語と同じ言い方が十七世紀、江戸時代前期にすでに成立していたのがとても興味深い。

ここで「數」(「数」の旧字)という表記に少しこだわってみよう。黒川は『雍州府志』のこの「賀留多」の項でカルタの札の構成を説明する際に、「自一數至九數」(一の数より九の数に至る)とあるように「數」を、カード上の「紋標」の数、「紋標数」をあらわす名詞として用いている。こういう前提で見ると、「數一二三次第」は、「數」を動詞として一二三の次第で「数える」と読むのではなくて、名詞として「紋標數一二三の次第に」と読んで「早く払い尽くした者が勝ちになる」とつなげて一文として理解するほうが文法に則り正確であるように思える。ただし、この部分は「一二三の次第に数を(算えて打ち出し)、早く払い尽くした者が勝ちとなる」と動詞を補って二文に理解することも可能である。

ところが私が使用した底本では、「賀留多」の記事の部分はいずれも初版と同一の版木から摺り出しているが、それには当初から訓点が付されており、「一二三ノ次第ヲ數へ」と読むように指示されている。黒川道祐がここで「數」を動詞として扱っていることになる。しかし『雍州府志』の「賀留多」の項では数を数える行為を示す動詞は、「筭(かぞ)える」である。「筭(さん)」は本来は和算や易占の「筭木」のように計算する道具を意味する名詞で、計算する行為の動詞は「算える」と表記するのが普通である。『雍州府志』は「筭」を動詞「算える」の代わりに使用しており、黒川は「筭」と「算」を混用しているように見えるが、その誤解のままで一貫すれば、「数え」と表現したかったのなら「數一二三次第」は「筭一二三次第」であった方が分かりやすくて良かった。「數」をここだけ「數へ」と動詞として読ませるからおかしくなっている。あるいはこの訓点は、黒川独特の「筭」と「算」の使い分けに不案内な版元などの近くの者が、黒川の原稿に加えたもので、その際に混乱が生じたのかもしれない。

このように「數」と「筭」を混同している個所はあるが、この程度の混同は軽微なミスであり、「數」と「紋」の混同という、著者への信頼性を根底から揺るがせる重い過失とは程遠い。黒川はカルタの「紋標」と「紋標数」、つまり「紋」と「數」という基本的な構成要素はしっかりと理解していて、このカテゴリーの書き分けには相当に気を使っている。「紋」と「數」を不用意に混同したという誤記説には、原文を通読すると大きな違和感が残る。

なおここで、『雍州府志』での「数」の算え方について補足しておきたいことがある。黒川道祐は「紋標数」に応じて「第一」から「第九」まであるとしたのに続いて、「第十」が僧形、「第十一」が士、「第十二」が庶人であると説明している。これはとても興味深い指摘である。

今日、トランプのカードを説明する際には、「数札」が一から十の十種、絵札が「ジャック」「クイーン」「キング」の三種であるとは言うが、「第十一」がジャック、「第十二」がクイーン、「第十三」がキングだとは言わない。トランプの遊技法には、「七並べ」のように、「ジャック」「クイーン」「キング」の順に並べることはあるが、これも札の「数」の順で並べたものとは限らず、絵札の図像での身分の上下の順に並べたと考えることもできる。実際に、女性差別反対運動が強まった二十世紀後半のアメリカでは、絵札の序列は強い順に「クイーン」「キング」女性姿の「ジャッキー」で、「クイーン」を最高位の札とする遊技法が主張されたこともある。絵札に数字が付着しているとすると、これは「第十二」「第十三」「第十一」の順にせよと主張していることになり落ち着かない。一方、江戸時代のカルタでも、一組七十五枚のうんすんカルタでは、「絵札」は強い順に「スン」「ウン」「ソウタ」「ロハイ」「キリ」「ウマ」である。「ロハイ」は龍の絵が付いた「一」の札であり、うんすんカルタに固有の特殊な「スン」「ウン」を除いてトランプ風に言えば「クイーン」「エース」「キング」「ジャック」という序列である。

ところが、『雍州府志』では、「第一」から「第九」までに続いて「第十」が僧形、「第十一」が士、「第十二」が庶人だという。これはカルタの札に「数札」と「絵札」があるという理解を否定し、「第一」から「第十二」の「数札」なのだと述べていることになる。ただ「第十」の場合はたまたま図像が僧形で、「第十一」はたまたま士で、「第十二」はたまたま庶人であるにすぎないのである。端的に言えば、読みという遊技法での札の扱いを基にして、いやその特定の遊技法での札の序列をそのままにカルタ札そのものの序列とその呼称として説明していることになる。

ちなみに、江戸時代中期(1704~89)、後期(1789~1854)には、「めくりカルタ」でも「ソウタ」は「十」と呼ばれ、役札である「ハウ」の「ソウタ」は「釈迦十」、「イス」の「ソウタ」は「すだれ十」と呼ばれた。「ウマ」と「キリ」は絵札扱いだが、「ソウタ」は図像が風変わりな数札という扱いである。こうした日本式かるたの呼称が江戸時代前期(1652~1704)にすでに定着していることが分かる。なお、その場合、江戸時代の人々の頭脳の中では、カルタの札は縦列に並んでいるのであって、近代の人々のように横列で並んでいるのではない。

もう一つここで指摘しておきたいのは、『雍州府志』の記述に欠けている「役」である。日本のカルタ遊技法には、そのゲームの勝敗に関わる「役」という決まりがある。読みの場合は、最初に全部の札を配分するが、その手札が、例えば「紋標数」で「一」から「九」までの札が一枚ずつ揃っていたり、「五」から「切」まで八枚揃っていたりする(残りの一枚は任意のもので良い)ように、一手で上がれるように有利な組み合わせであるときに、いわばご祝儀として手役を認めることがある。あるいは逆に、配分された札に「紋標数」の重なりや偏りが激しくて何度にも分けて出さないと上がれないようにとても不利なときに、敗色が濃厚な手札へのお見舞いとしての手役が認められる。この不利な手札で頑張って上がったならば得点を高くしようということである。さらに時代が進んで広く人々が遊技するようになると、「青の二」「釈迦十」「アザ」の様に重要な札に絡まる特定の札の組み合わせを役にする場合が増えていった。このように手札の良し悪しにボーナスを付けるのが手役の基本であるが、読みでは、時代が下がるにつれて「役」が増えてゆき、ついには明和年間(1764~1772)に刊行された『雨中徒然草』[1]では百を超える手役が採録されるほどになった。

他方で読みには、どういう札で出し尽くして上がるかという札の打ち方による「上がり役」もある。『雍州府志』の読みの説明には、「役」は全く登場せず、そういうものが存在する匂いも感じられない。だが、手役と上がり役はゲームの勝敗を左右する重要な決まりであり、これをまったく無視しているのは黒川の記載ミスであると判断することができる。そうすると、これは重大な誤りで、「賀留多」に関する記述全体の信頼性にも影響する深刻なものということになる。だが、他方で、『雍州府志』記述の当時には、読みの遊技では手役や上り役の極まりがまだ未発達で、それは元禄年間(1688~1704)以降のカルタブームの中で生まれて育った新しいルールであり、だから『雍州府志』での手役の不記載は、手役が不在であった当時の読みの遊技法を正しく説明しているものであると判断することもできる。私は黒川道祐を信頼して後者であると考えたいが、両説の是非は、十七世紀、江戸時代前期(1652~1704)に読みを扱った文献史料に手役が登場しているのかいないのかで決まる。そして実際に手役に触れた文献史料が何点か確認されるので、残念だが黒川の書き漏らしということになるであろう。

黒川は、読みの説明の最後を「これを読みと言う。倭俗にいつもこれを(声を出して)算えることを読むと言う」で締める。これは黒川の記述のスタイルであり、個々の遊技法について、まずその展開を説明し、最後に遊技名を紹介する。最初に遊技名を示してから遊技法の具体的な説明に入る方が普通だが、黒川は、まず遊技の進行を書いて遊技法のイメージをしっかりと持たせて、それからそのイメージを表す遊技名を説明する。こうすると遊技名を知った時にそのイメージが鮮明に浮かんでくる。黒川なりに効果を狙っているのであろう。なお、ここに言う「倭俗」や「毎事」は黒川のお気に入りの表現であり、『雍州府志』の他の箇所でもよくお目にかかる。

なおまた、ここで、「筭」を「(声を出して)算える」と読むことについて一言しておきたい。黒川道祐が「筭」と「算」を混用していることはすでに書いた。この「筭」であれ「算」であれ、数を算える行為ないしその用具であって、文字そのものには「声を出して」算えるという限定はない。ここで「声を出して」算えるとしたのは、前後の文脈からこう理解する方がふさわしいと判断したからであり、私の補足であるので( )で括った。


[1] 太楽「雨中徒然草」『江戸めくり賀留多資料集』、近世風俗研究会、昭和五〇年。

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