まず、若干の典拠を示しておこう。この文章、「歌牌の娯楽」は、元来は『平民新聞』第八號(明治三十七年(1904)一月三日)[1]に載り、後に明治四十年(1907)に幸徳秋水の著作『平民主義』に収められたものである。この三年間に幸徳はだいぶ過激化したが、この穏健な文章はお気に入りらしく、『平民主義』に残されたのである。この三年後、幸徳は天皇の暗殺を企図したとされる大逆事件に巻き込まれ、明治四十四年(1911)一月、大逆罪で死刑に処せられた。今日では、大逆事件は社会主義運動を鎮圧するためのでっち上げ事件であったという歴史的評価がされているが、それでも日本社会での幸徳のイメージは、長らく、左翼過激派テロリスト集団の首魁であった。その幸徳が、歌かるたの遊戯を賛美した小論を書いたことは意外な感がするが、執筆したのは明治三十六年(1903)であり、まだ、幸徳が『共産党宣言』の翻訳出版で発禁処分を受けたり、日露戦争当時に非戦論で投獄されたりして思想が過激化する前であり、私には幸徳の文章としての人格的な違和感はない。

幸徳秋水(左・本人、奥・堺利彦、右・西川光二郎、前・石川三四郎、『幸徳秋水全集』第五巻)
幸徳秋水(左・本人、奥・堺利彦、
右・西川光二郎、前・石川三四郎、
『幸徳秋水全集』第五巻)

私は、かつて、昭和後期(1945~89)に、「明治文献」が出版した『幸徳秋水全集』第五巻[2]を読んでいてこの小論を知り、大いに共感した。私は当時かるた史の研究を始めた頃であったが、江戸時代になぜにかるたの遊技が人々に愛好され、世界一と言ってもよいほどに発達したのかを考えていた。そこに見えてきたのは、かるた遊技を行う間の時間は、人々は封建社会の息苦しい身分構造の縛りから解放され、士農工商の別なく、親子の別なく、男女・夫婦の別も、老若の別もなく、雇い主と雇われ人の身分差もなく、皆が一個人として、一つの合理的なルールを平等に適用されて、対等に技量を競い合い、勝敗を決するという、解放された空間、アジールの存在であった。私はそれが江戸時代のかるた文化の核心だと思っていたが、幸徳はまさに同じようなことを歌かるたの遊戯に感じていたのである。

幸徳は遊技史の研究者ではないから、目に見える明治時代(1868~1912)の歌かるた遊技での現象を扱っているだけであるが、そこで直感的に把握した江戸時代からの遊戯の原理は、歴史を観る際の重要な視点を提供してくれる。私は、こうしたアジールの性質は、かるた遊技の全般、いや、それ以外の頭脳的ないし身体的な遊技全般に共通する特質だと考えている。これを封建社会での身分支配、階級支配への人民の不満を和らげようとするガス抜きとみる旧左翼の歴史観でもいいし、日本の封建社会は思っている以上に緩かったという最近の歴史観でもいいが、いずれにせよ幸徳のこの小文は的を得ていて面白い。

この小論は比較的に知られており、とくにインターネットでの情報提供が盛んになると、容易にアクセスすることができるようになった。今日では、「アナキズム図書館」というブログの翻刻が最も使いやすいように見える。ただし、この翻刻には、原文の正確な再現という意味での問題がある。私が使用してきた『幸徳秋水全集』の翻刻と比較すると、細かいことでは旧漢字を断りなく当用漢字にしている点や、送り仮名を原文に忠実にフォローしていない点も気になる。やや深刻なのは、原文を写しそこなっている点であり、「人は皆之を厭ひ之を避けんとす」という文章が「人は皆之を避けんとす」になっていたり、「進まんと欲して進み、止まんと欲して止む」が「進まんとして進み、止まんとして止む」となっていたりするのは文意を損ねていて残念である。ただ、最も深刻なのは、「其博愛の心を戕殘せらるるなり」に言う「戕殘」が「牋残」と誤読されていることである。「戕殘」の「戕」は「しょう」と読み、損なう、傷つけるなどの意味である。いっぽう「牋」は「せん」と読み、札、書付、手紙などの意味である。「その博愛の心を傷つけられる」で意味が通じるが、「その博愛の心を書きつけ、手紙にされる」ではさっぱり意味が通らない。

私としては、この「アナキズム図書館」の翻刻よりも、赤星龍水(あかぼし・たつみ)のブログ「コミュニスタ紅星の幡多荘草紙」での翻刻と現代語訳の方が良いと思う。こちらでは、もちろん、正しく「戕殘」で、(しょうさん・正しくはしやうざん)という読み仮名も付されている。

この考察のまとめとして、私がなぜこの小論文に惹かれたのかを書こう。私が見るところでは、この小論での幸徳は、個人の自由、平等、友愛というフランス市民革命以来の価値を高く掲げ、それは、すべての参加者に平等に適用される厳密なルールの下での自由競争の社会、自由主義的経済体制に支えられることを主張している。これと対極をなすのが、資本による富の無限のコレクション衝動と不公正な競争を推し進める資本主義体制ということになる。幸徳がもしもっと遊技やスポーツのことに思いをいたしていれば、彼が百人一首かるたの遊戯に見たものは幻ではなく、人間本来の姿であり、資本主義以前の社会の姿であり、実現が不可能な夢ではないことに気付いたはずである。その意味では、せっかくいいところに気付いたのに、すぐにどっかに行ってしまった幸徳が残念でならない。もし私がタイムマシンで明治三十七年(2004)に行けたら、「幸徳先生、それは歌かるただけではなく、ほかの種類の多くのかるた遊技でもいえることだし、かるた以外の遊戯だって同じことだし、スポーツの世界もそうですよね」と話しかけたのに。

以上でこの小論の紹介を終える。

ところで、いつものことなので、もういささかうんざりしているのだが、後世の若い研究者には少しは役立つかなと思って付論する。例によって、同志社女子大の吉海直人の書いたものの疑問点の指摘である。

吉海は、平成二十九年(2017)に所属大学の紀要に掲載した「百人一首かるたの研究(その2)」[3]で、幸徳の「歌牌の娯楽」の原文らしきものを掲載している。そこには、赤星龍水(あかぼし・たつみ)がしたような現代語訳はない。現代語訳をすることは、翻刻した者がこの小論をどのように読んで理解したのかを明らかにするという意味合いで、学術の研究者であれば当然に努力し、その結果を明示するべきところである。最低限これがないと、本当に読んだのか、どこからかコピペしたのかが分からなくなる。これはいつものことなのだが、吉海は、新出資料の紹介として、史料を素材のままで、それも多数の誤記、誤植付きで掲載して事足れりとしており、研究者としては必須の典拠の教示もせず、史料批判も内容の解析もしていない。原文にない誤記、誤植が多数発見されるので、皮肉なことに単純に機械的なコピペの疑いは晴れるが、困った事態であることは変わらない。

こういう問題意識を持って吉海の掲載を見ると、いつものことながらずさんで誤記だらけである。原文の旧漢字を当用漢字にしているので、妙に現代文のような生臭い印象が残る。また、幸徳に独特の表記が理解できていないのだろうか、通俗な転記ミスが多い。例えば「食と眠とを忘るゝ」は「食と眠りとを忘るゝ」である。幸徳は「平民新聞」の原文で「眠」の文字に「ねむり」という送り仮名を付しており、「眠り」にでは「ねむりりに」になってしまうので、幸徳の文章ではない。また、「皆な同等の」は「皆同等の」であり、「少女も之を楽しめども」は「少女之を楽しめども」であり、「遂げしめんが爲め」は「遂げしめん爲め」である。要するに不用意に現代語を交ぜていて、明治期(1868~1912)の文語調の文章のニュアンスが微妙に変わっている。

また、吉海は、この文章の漢字に数か所、振り仮名を付けている。ただそれは、昭和生まれの高齢者で昔、教育を受けた人であれば辞書なしでもおおむね正しく振り仮名を付けることができるレベルの読みやすい漢字ばかりであり、すでに説明した「戕殘」、いや吉海の誤読では「牋残」であるが、こういう本当に読みにくく、辞書に当らなければ分からない文字などはスルーされていて振り仮名がない。もう一つ例を出すと、幸徳は歌かるたの遊戯が博愛の精神であると説明する中で、そこには「排擠なく」とした。この語は「はいせい」と読み、「排擠」しないというのは、排除したり蹴落としたりすることがないという意味である。ところが吉海はこれを「排済」とした。百人一首の遊戯では友愛精神があるので相手を排除したり突き落としたりしないというのならば文意が通るが、吉海の用語法では「排除し済ませたりしない」という訳の分からない言葉になってしまう。こんな言葉はもちろん存在しない。ただ、昭和四十三年(1968)刊の『幸徳秋水全集』第五巻が「排擠」を誤って「排濟なく」としてしまった。これは単なる誤記なのだが、「アナキズム図書館」は、この言葉をどう読んでどう理解したのか不可解だが、当用漢字化して「排済なく」とし、吉海はまるで「アナキズム図書館」をコピペしたかのように同じ間違いをしたのである。元来の「排擠」からすると「排済」だから二回転した誤記になり、意味は通らなくなったし、存在しない言葉なのだから書いている吉海にも読めなかったのか、振り仮名が付いていない。

そして、内容的に問題が深刻なのは、吉海が、表題の「歌牌の娯楽」の「歌牌」の二文字に全体として「かるた」という振り仮名を付けたことである。幸徳はこの文章で終始一貫、かるたの中でも百人一首歌かるたのことだけを取り上げているのであり、表記はすべて「歌がるた」である。そこで幸徳の文意からすると、「歌牌」は「歌」の「牌」つまり「歌の札」、「歌かるた」と解されるのであり、これは漢語調で「かはいのごらく」と読むか、意訳して「歌がるたのごらく」とするべきであり、「歌牌」が「かるた」そのものを意味するように読むのは誤りである。このように読まれることはありえない。

石川啄木(明治三十五年、十七歳、『石川啄木大全』)
石川啄木(明治三十五年、十七歳、
『石川啄木大全』)

なお、言うまでもないが、『平民新聞』のこの論説では、文中のすべての漢字に振り仮名を付けているが題字の「歌牌の遊戯」には振り仮名を付していない。後にこの論説を『平民主義』に収録する際には本文中の振り仮名もすべて削除したので当然に題字には振り仮名はない。そして、「歌牌」を最初に「かるた」と読んだのが誰かははっきりとしないが、私の知る限りでは、幸徳関連の文献ではこういう振り仮名は見たことがなく、石川啄木関連でも、『性急の思想』にも岩波書店の『石川啄木全集』にもなく、、昭和五十五年(1980)刊の筑摩書房版『石川啄木集』が初出である。筑摩書房がなぜこのようなオーバーランをしたのかは理解に苦しむが、これに加えて、おなじ啄木の文章の中で、送り仮名が、ある個所では「歌牌(かるた)」であり、別の個所では「歌牌(カルタ)」である。振り仮名の付けかたがほとんど千鳥足でさっぱり理解できない。どちらにせよ、この振り仮名は誤りである。そしてこの誤りを平成三年(1991)刊の『石川啄木大全』[4]が引き継ぎ、次に平成二十九年(2017)に吉海が真似したのである。

なお、この文章の後半部分で扱うが、石川硺木がこの幸徳の文章に触れた際に、啄木はその説明文中で幸徳の文意に沿って「歌加留多」と表記している。それなのに吉海は、「歌留多」と誤記している。ここで扱っている論点に関する吉海の姿勢があらわになる誤記である。幸徳は「歌がるた」、硺木は「歌加留多」であり、これが吉海では「歌留多」になる。「歌留多」は主として「歌加留多」を意味するが、しばしば「かるた」全般、あるいは日本固有の「かるた」と海外から伝来した「カルタ」の全部、英語で言う Playing Cardの全体を意味する語としても用いられる。つまり、硺木の言う「歌加留多」別名「歌牌」も、吉海にかかると「イロハかるた」もあれば「めくりカルタ」も「花札」も「タロット」も含まれる「かるた」の意に解釈されてしまうという次第である。

だが、もっと深刻なのは、吉海が、この幸徳の文章について、「これはもともと萬朝報に書いたものであり、明治三十五年に出版された『長広舌』(人文社)に収録されているものの再録ですが、自身の社会主義思想とかるた取りを重ね合わせて綴っている興味深いものです」と物知り顔で書いていることである。普通、これを読めば、吉海が自分で『萬朝報』という新聞も『長広舌』という書物も調べて幸徳の論説に興味を惹かれたのでこうして紹介していると思うところであるが、しかし、吉海にとって残念なことに、実は、『萬朝報』にも『長広舌』にも「歌牌の娯楽」は収録されていない。『萬朝報』における 幸徳の文章は、『幸徳秋水全集』などにもれなく収録されているが、そこには『歌牌の遊戯』という文章はない。また、吉海の言う『長広舌』、実は旧字の『長廣舌』は、明治三十五年(1902)に人文社から出版された希書であり、長らく、世界評論社版の『幸徳秋水選集』第二巻にしか見ることができなかったが、最近、国文学研究資料館が、所蔵する『再版 長廣舌』[5]を復刻した。しかし、初版本にせよ、再版本にせよ、そこには「歌牌の遊戯」は影も形もない。ところが、吉海は、同書に収録されていない「歌牌の娯楽」を同書から読み取り、幸徳が「自身の社会主義思想とかるた取りを重ね合わせて綴っている興味深いものです」という感想を得たというのであるから、まさに幻の読書法、吉海が眼光鋭く紙背に徹して、書中に収録されていない「歌牌の娯楽」まで読み取って、「自身の社会主義思想とかるた取りを重ね合わせて綴っている興味深いものです」という感想まで得たという、世にも不思議な物語になっている。普通これは、自分で調べもせず、読みもせず。どこかで聞いたフェイクな情報を丸呑みして孫引きした軽薄な誤りの筆だと理解される。

吉海はこの書籍のどの版を見たというのだろうか。吉海は昔から自分で資料を手に取らないで物知り顔に書くことが多いからこういう恥ずかしいミスを繰り返す。今回も、どこからかこのガセネタ、今風に言えばフェイク・ニュースを仕入れて、ろくに調べないままに事実のように装って知ったかぶりで書いているのである。そう思ってみれば、前記の「歌牌(かるた)」という誤記にも同じような臭いがする。吉海の研究者としてのお作法の悪さは昔とあまり変わらないままである。

しかし、最大の問題は、吉海の掲載でも「戕殘」が「牋残」と誤読されていることである。どうしてネット上で公開されていた「アナキズム図書館」の翻刻と同じ珍しい誤読が生じているのか。このように誤読したのは「アナキズム図書館」と吉海直人だけである。それは偶然の一致であるのか。それとも両者の間に連絡があったのか。単なる一方的なコピペなのか。いずれにせよ「牋残」では意味が通らないのである。「排擠」の「排済」という誤読と同じで、日本語の専門家がアナキストの真似をしちゃあ駄目でしょうよ。また、こういうことが生じるから、明治年間(1868~1912)の文章をきちんと読み解いた証として、自分の解釈による現代語文は付けた方がコピペ学者ではないという身の潔白の証明になってよい。

そして、吉海は、幸徳の句読点の表示を十か所程度、変えている。初出の「平民新聞」では、幸徳は読点「、」を多用し、句点「。」は使用していない。そこで一文が五、六行になり、文章の終わりに締りがない。この「とろろ蕎麦」のようなズルズル書きが幸徳の漢語調の文章のリズムを作っているのだが、吉海の場合は文中に読点の箇所で幸徳が用いなかった句点を乱発するので、文章がブツブツに切れて丼の底に残った食後の蕎麦の残骸のように短く切れてしまっている。これもニュアンスの問題であろうけど原文の香りを減じさせている。

吉海は、なぜこのようなずさんな仕事をするのであろうか。振り仮名の付加にせよ、句点と読点の入れ替えにせよ、原文がそうであるかのような表現はやめて、自分の責任で訂正したと記すのが研究者の最低限度の作法であろう。現に硺木はそうしたのである。いつもながらと言えばそれまでだが、吉海の仕事ぶりは残念なことである。


[1] 平民社「平民新聞」第八號、労働運動史研究会編『明治社会主義史料集別冊(3)週刊平民新聞(1)』明治文献資料刊行会、昭和三十七年、六三頁。

[2] 幸徳秋水全集編集委員会『幸徳秋水全集』第五巻、明治文献、昭和四十三年、四八頁。

[3] 吉海直人「百人一首かるたの研究(その2)」『同志社女子大学日本語日本文学』第二十九号、同志社女子大学日本語日本文学会、平成二十九年、四一頁。

[4] 石川啄木『石川啄木大全』、講談社、平成三年、二七七頁。

[5] 幸徳秋水『再版 長廣舌』国文学研究資料館、平成二十八年。

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