上方屋・『花ふだの憲法』

花札販売の解禁後に大流行した遊技法が「八八花」である。これはもともと幕末からの対外輸出基地として繁栄した横浜の遊廓から始まった遊技法で、当初は「横浜花」とか「ラシャ綿花」とも呼ばれていた。これは、従来の「お花」と呼ばれていた遊技法にとって代わっていったのである。

この遊技法は、基本的には「めくりカルタ」と同様で、三名が遊技に参加し、四十八枚のカードのうちで遊技者に各々七枚の手札が配られ、六枚が場札として表面を上にして中央に広げられ、残りの二十一枚は山札として裏面を上にして場の中央に積みあげられる。遊技は、参加者の各々が順番に手札の中から一枚を出して、それが場札のどれかと紋標が同じ場合はペアとして合せ取る(ペアリング、マッチング)とともに、山札を一枚めくって場に捨て、もし場札の中のどれかと紋標が一致する場合はそのペアも合せ取る。この作業を順次に繰り返し、三名合計で二十一枚がすべて場に投じられ、山札の二十一枚もすべてめくられて終了になる。四十八枚の札はすべて必ず誰かが合せ取ることになる。

ゲームの勝敗は合せ取ってきた札の得点の多寡によってきまる。もともと、各々の札には固有の得点が決まっていて、光りもの札五枚が各々二十点で合計百点、生き物札九枚が各々十点で合計九十点、短冊札十枚が各々五点で合計五十点、カス札二十四枚が各々一点で合計二十四点であり、四十八枚合計で二百六十四点になる。これを三名で割ると一名の平均得点は八十八点が基準であり、勝つにはこれを上回らねばならない。この八十八点から「八八花」という名称が生まれた。

この「八八花」の遊技法を複雑にしたし、いっそう興味深いものにしたのは、こうした基本的な構成にさまざまな付加的なルールが加わっているからである。まず、遊技の参加者は三名であっても、実際にはもっと多数の人間が関わり、各々に七枚ずつの札が配られるのであるが、最初に自分に配られた手札の具合を見て、何人かが遊技から降りて手札を返還することになる点にある。この出るか降りるかという交渉と判断は、お互いに「手役」を開示したうえで行われる。手役というのは、最初に配られた七枚の手札に何か特別の組み合わせができている場合で、得点になる。手役には、たとえば同じ紋標の札が四枚とも来てしまったときのように、ゲームの展開上はとても不利な組み合わせに対する補償である場合と、逆に役札が集まっていて高得点での勝利が見込まれるとても有利な配分であることへの祝儀である場合がある。そこで、自分の手札と他者の手札を比較して勝利する戦略を描くのか、それとも他の者に譲って降りることで敗戦を回避し、うまく行けば補償金をもらう側に回るのかという駆け引きがある。こうして参加する三名が決まってゲームが展開されるが、特別の札の組み合わせを合せ取って集めることができるとそこに「場役(出来役)」が成立して高得点になる。「四光」「五光」「赤短」「青短」「猪鹿蝶」などがこれであるが、ここでも、光ものなどの高得点の札を集めて役にする場合とともに、低得点のカス札を多く集めることで役になる逆転の技もある。ゲーム展開の上では、自分が高得点の役を作るように作戦を考えるが、逆に他の遊技者が高得点の出来役に挑戦しているときにそれを邪魔する「役消し」も大事である。これらの役の成否がこの技法をいっそう興味深いものにしている。

以上が「八八花」の遊技法の大略であるが、全国に広がった花札は、すべてこの「八八花」として遊ばれたものではなく、家庭娯楽の世界では、普通には、「八八花」以前からの「お花」などの伝統的な遊技法が生き残った。家族、友人、子ども同士等で遊ぶときは、簡単なローカル・ルールで遊ばれていた。たとえば、「八十八の馬鹿花」と呼ばれた遊技法では、参加者は最初から三名で、「八八花」遊技法の札の得点と出来役だけで構成されている。役作りとそれの妨害がゲームでの駆け引きで、後は単純に役の点数と札の点数を計算して競うだけである。私自身の経験で言うと、幼少時には九州出身の祖母から、九州のローカル・ルールの一つである「六百間」という遊技法を教わってよく遊んでもらっていた。当時の私は、花札はどこでもこうして遊んでいるものだと思っていた。少し大きくなって友人と花札をするようになったときには、事前にルールを確認しないと争いになった。そんな折に友人が鳥取県では生き物札が五点で短冊札が十点だそうだと教えてくれて驚いたことを今でも憶えている。

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