以上のような研究の状況を土台として、まず、今回知ることができた黒札五点について私の評価を記しておきたい。なお、カルタの名称は、「張込帳」中に特に記載がないので、整理の都合上、私が決めた。 

南部黒札①
南部黒札①(岩手県立図書館蔵)

黒札版木骨刷り(後刷り、吉見製、幕末期) 

相当に古い図柄のものである。一般に、旧南部藩内でカルタの制作が始まったのは、諸史料から幕末期(1854~67)と想定されているので、それに従えば幕末期 (1854~67)のカルタ版木ということになる。

このカルタでは、 

  1. ハウの一の札に、左上端に小さな小判型の枠があり、中に小さく「祖六」とある。
  2. イスの二の札に、上部に京都市内五條橋通りに所在したカルタ屋、鶴屋の家紋、鶴の図があり、中央右に「弁けい」、中央左に「弥ぬけ」、下部に「吉見」という文字がある。 
  3. オウルの二の札に、上部のオウル紋標の中に、刷りがかすれていてよく見えないが、「ヤマ」と多分「楢」のような木偏の文字があり、下部のオウル紋標の中に「吉見」がある。 
  4. オウルの三の札に、右上に「ほん家」、左下に「正身」とある。 
  5. オウルの四の札に、中央に四角い枠があり、その中に、右から「間之町 五条下ル 本つるや 吉見」と四行書きがある。 
  6. コップの六の札に、中央に四角い枠があり、その中に、右から「根元」、吉見の屋号「ヤマ木」、「吉見」とある。 
  7. ハウの六の札から九の札の中央にあるひし形の中に、鶴屋の家紋である鶴の図がある。 
  8. イスの六の札から九の札の中央にあるひし形の中に吉見の屋号「ヤマ木」がある。 

以上のうち、「吉見」は土澤(現在は花巻市東和地区)にあった老舗のカルタ屋を示し、「ヤマ木」は吉見の屋号である。これ以外の記載は、すべて京都の鶴屋のカルタ札の意匠をそのまま再現している。「吉見」と「ヤマ木」がなければ、これは京都のカルタ屋、鶴屋の版木として誤解されかねない。黒札の原型である鶴屋のカルタ札の特徴をよく残しており、南部で制作されたカルタの図柄としては非常に古い、最初期のものと言える。 

なお、花巻製の後の時代の黒札では、他のカルタ屋のものであっても、しばしば、イスの二の札に、鶴屋の鶴の家紋、「弁けい」、「弥ぬけ」とともに「吉見」とある。吉見は老舗で盛んでそのカルタ札が広く普及していて、それが標準的な図柄として理解され、他の後発のカルタ屋は「吉見」という表記もカルタ札の図柄の一部とみなしたようである。この慣習は現代の任天堂、大石天狗堂、花巻現地の鶴田久太郎などの制作する黒札でも残っていて、今日でもイスの二の札の下部には「吉見」が残っている。 

黒札版木骨刷り(後刷り、「マル三」製、幕末期) 

南部黒札②
南部黒札②(岩手県立図書館蔵)

このカルタは、「吉見」が制作していたもののコピー商品である。「マル三」を屋号とするかるた屋の詳細は不明である。向小路の「三川」かもしれないが単なる想像である。いずれにせよ、「吉見」とはそれほど時期を違えてはいない。あるいは、「吉見」の関係者が暖簾分けして独立し、自店での制作を始めたのかもしれない。他方で、京都の鶴屋との関係は、イスの二の札の上部にある鶴屋の家紋、鶴紋だけに減じていて、相当に距離が開いたように見える。「改良」という言葉の使用にやや近代的なにおいがするが、時期としては幕末期 (1854~67)のものと考えられる。

このカルタでは、 

  1. ハウの一の札の「祖六」、イスの二の札の鶴紋、「弁けい」、「弥ぬけ」、「吉見」、オウルの三の札の「ほん家」、「正身」は、「吉見」の黒札のまま、同じである。 
  2. コップの六の札では「根元」と「吉見」の中に「マル三」の屋号がある。「吉見」ではなく、「マル三」の店名が入るべきところであるので奇妙な感じがする。あるいは、「吉見」からの暖簾分けであることを示した印であろうか。 
  3. オウルの四の札は「請合」、「マル三」の屋号に変化しており、オウルの二の札では、上部のオウルの紋標の中に「改良」、下部のオウルの紋標の中に「ヤマ一」である。 
  4. ハウの六の札から九の札、イスの六の札から九の札までの中央にあるひし形にはすべて「マル三」の屋号がある。 

このカルタは、以上のように文字表記においても「吉見」との密接な関係をうかがわせるが、図像そのものも酷似しており、暖簾分けに際して、図像の使用許可を得たのか、あるいは端的に図版を貰ったのかと想像させる。「吉見」との間には友好的な関係があったのではなかろうか。 

黒札版木骨刷り(後刷り、「ヤマ二」製、明治前期) 

南部黒札③
南部黒札③(岩手県立図書館蔵)

このカルタは、鶴屋と「吉見」のカルタ札の印を極力抹消して、それとは独立した自店であることを主張している。他方で、カルタの図柄にも変化、あるいは崩れが現れている。特に、コップの一の図柄は崩れが大きく、すでに龍の眼を失っていて、図柄を見ただけでは龍の図柄であるとは思えない。また、伝統的に、制作したカルタ屋を表示するオウルの四の札とコップの六の札には枠だけが残されていて制作者の表示がない。「ヤマ二」がこのままカルタに仕立てた可能性もあるが、オウルの六に「別製」とあるところを見ると、「ヤマ二」は下請けのカルタ屋で、二枚の札の枠内に注文した別のカルタ屋の名前や屋号が、木印で追加して入れられたものである可能性もある。いずれにせよ、明治前期 (1868~87)のものであろう。

このカルタでは、 

  1. ハウの一の札の「祖六」、イスの二の札の「弁けい」、「弥ぬけ」、「吉見」、オウルの三の札の「ほん家」、「正身」は削除されている。「祖六」、「弁けい」、「弥ぬけ」、「吉見」は最初から除外されているが、「ほん家」、「正身」は一度彫られたものを後に削り落とした跡が見える。 
  2. イスの二の札の上部にある鶴屋の鶴紋は残っている。ほかに、オウルの二の札の上部のオウル紋標にも鶴紋があり、また、小さく簡略化されているが、ハウのソウタの札、イスのキリの札、オウルのキリの札にも鶴紋の痕跡がある。 
  3. イスの二の札で、「吉見」の表記が有った下部中央に、西海波の模様がある。西海波の模様は、元々鶴屋のカルタ札には存在しなくて、「吉見」がハウの下部に入れた模様であるが、「ヤマ二」はそれを、イスの二、ハウの四、イスの四の三枚の札にも入れた。 
  4. オウルの二の札の下部のオウル紋標に「ヤマ二」の家紋がある。 
  5. オウルの六の札に、左上に「別」、右下に「製」とある。「別製」はその後、京都や近代の東京のカルタ屋でも、他店のカルタ札を下請けで制作した際に入れた例が多い表示である。 
  6. ハウの六の札から九の札、イスの六の札から九の札までの中央にあるひし形はすべて空白である。ここに注文主のカルタ屋の屋号を入れる予定であったのかどうかは判断できない。 

このカルタは、「吉見」にかかわる表示をすべて削除しており、「吉見」とは別系統のカルタ屋であることを自己主張している。両者の間には、商売仇としての敵対関係とまでは言えなくとも、緊張した関係があったのではなかろうか。また、「ヤマ二」は自店名でのカルタ札も制作していたであろうけれども、この版木は下請けの受注生産用の図柄のように見える。自店名での制作に用いたであろう版木もどこかに残存しているであろう。それが見られると、こうした制作事情が明確になるのでありがたい。 

黒札版木骨刷り(後刷り、「宇江」製、明治後期 

南部黒札④
南部黒札④(岩手県立図書館蔵)

「張込帳」にあるこの黒札の画像は、右隅と上部が切れている。版木そのものが切断されていたのか、印刷における事故なのかは判断できない。制作者は「宇江」である。このカルタ札も、鶴屋や「吉見」の臭いを極力排除しており、図柄は③の「ヤマ二」の札に近いが、オウルの一の札で龍の図柄の乱れが激しく、コップの六で制作者名を明記するスペースの枠が消失しており、イスのソウタが手にしている下向きの剣が訳の分からない形になっており、オウルのウマやキリの人物が烏帽子をかぶっているなど、図像の乱れの進行具合から見ると、「ヤマ二」の札よりも少し時代が下がるように思える。

このカルタでは、 

  1. コップの一の札、オウルの一の札で、龍の図像の崩れが進行していて両者とも龍の眼がない。 
  2. イスの二の札に、鶴屋の鶴紋は残っているが他には何もない。西海波の模様も消えている。 
  3. オウルの二の札で、上部のオウル紋標に「ヤマモ」の家紋、下部のオウル紋標に「請合」とある。 
  4. オウルの三の札に、右上に「宇江」、左下に「せひぞう」とある。 
  5. オウルの四の札の枠内に、右に「友」、左に「植」と並んでいる。内容的には「植友」と読み、店の名前も「宇江友」だと考えたいが、こういうカルタ屋は知らない。明治時代(1868~1912)だとすると右から読んで「友植」であろうか。 
  6. イスの六の札から九の札までで、中央のひし形に「宇」とある。ハウの六の札から九の札までにも同じであろうと想像されるが、画面が切れていて分からない。 
  7. ハウのソウタの札で丸い枠の中に「ウ」、コップのソウタの札で丸い枠の中に「友」とある。 

このカルタの制作者、屋号「ヤマモ」、店名「宇江」は、太田のコレクション中に南部花札の版木骨刷りもあり、しっかりしたカルタ屋であろうと推察される。カルタ札の表記は自店を示すもの以外に何もない点が徹底している。図柄の乱れも興味深いものがあり、とくに、オウルのウマやキリが烏帽子姿である点は極めて特徴的である。なお、この版木についてであるが、上端と右端が切れており、すでにカルタ制作用の版木ではなくなっていて、他の利用目的に沿って一部を切断されたものから刷り出したように見える。それはすなわち、この骨刷りの制作時がカルタ屋としては閉業後であったことを示す。太田のコレクションの成り立ちを示唆する情報として有益である。 

南部黒札⑤
南部黒札⑤(岩手県立図書館蔵)

黒札版木骨刷り(後刷り、「ヤマト」製、明治後期 

このカルタの版木は、それほど使い込まれていなくて、それを刷り出した本品も、線がまだつぶれていないので細く鮮明であり、時代が下がるように見える。だが、基本的には④の宇江制作のカルタ札とほぼ同時期に制作されたカルタの版木である。

このカルタでは、 

  1. コップの一の札、オウルの一の札で、龍の図像の崩れが進行していて両者とも龍の眼がない。 
  2. イスの二の札に、鶴屋の鶴紋は残っているが他には何もない。西梅波の模様も消滅している。 
  3. オウルの二の札で、上部のオウル紋標に「ヤマト」の家紋、下部のオウル紋標に「製造」とある。 
  4. オウルの三の札には何にもない。 
  5. オウルの四の札の枠内に、右に「仕」、左に「入」と並んでいる。内容的には「仕入」であり、明治時代の表記だから右から読んで「仕入」である。 
  6. ハウの六の札から九の札までで、中央のひし形に鶴紋がある。 
  7. イスの六の札から九の札までで、中央のひし形に「ヤマト」とある。 
  8. コップの六の札で、中央に、右から「ヤマト仕入」とある。 

このカルタの図柄の乱れは、「宇江」のそれと同じようで、時代の近さ、関係の深さを示唆している。また、コップの六の札に「ヤマト仕入」とあるが、これは鶴屋のカルタ以来、制作者名を入れる箇所であり、「宇江」のカルタ札では消滅しているところがこの「ヤマト」のカルタ札にはある点が、両者の前後関係に何がしかの示唆を与えるようで興味を惹く。 

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