南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 おわりに 以上、太田孝太郎が残した南部カルタ版木の骨刷り十枚が与えてくれている研究課題に、私なりに応えて見た。もう何十年も前の学生だった頃の、ゼミでのレポートを準備するときのような高揚感と、裏返しの恐怖とがある。私の属した日本政治思想史のゼミの教師は変わり者で、一年間のゼミなのに、新学期の四月にゼミ生に課題を与えると、各自報告を... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 六 太田コレクションが投げかける課題 以上、十枚のカルタ版木の骨刷りを見ることで、何が新しく理解できたのか。これらの史料は、採取された場所や時間が判然としないという大きな弱点はあるし、太田が自分で個々に蒐集したのか、他の誰かが収取したものを一括して入手したのかもわかっていない。だから、ここでの観察の報告は、骨刷りの図像そのものから得られる感想に留まることに... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 五 南部花札(花巻花)の骨刷り五点 太田孝太郎編集の「張込帳」にある南部花札(花巻花)5点の版木刷り出しは次のものである。 南部花札版木骨刷り①(後刷り、制作者不明、幕末期) 南部花札①(岩手県立図書館蔵) 江戸時代後期 (1789~1854)に登場した木版の花札、「武蔵野」の様式に忠実なカルタである。細かい部分で正統の「武蔵野」の特徴をよくとらえている... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 四 南部黒札の骨刷り五点 以上のような研究の状況を土台として、まず、今回知ることができた黒札五点について私の評価を記しておきたい。なお、カルタの名称は、「張込帳」中に特に記載がないので、整理の都合上、私が決めた。 南部黒札①(岩手県立図書館蔵) 黒札版木骨刷り①(後刷り、「吉見」製、幕末期) 相当に古い図柄のものである。一般に、旧南部藩内でカル... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 三 花巻市内でのインタビュー調査 花札ラベル紙(「京娘」)(花巻・鶴田実、昭和後期) (一)花巻市の「鶴田」の鶴田ハナからの聞き取り調査 私は、昭和五十六年(1981)に花巻市で面接調査を行い、廃業したカルタ屋、鶴田の女主人、鶴田ハナから話を聞いた。当時のメモをここに再現する。 自分は現在六十四歳で、四十年前に嫁に来た時からカルタ作りで働いたので、今で... 館長
二 南部カルタの研究史 (二)花巻でのカルタ屋の起り 江戸時代の天正カルタでは、京都ないし大坂のカルタ屋が制作するカルタ札が全国に普及していたが、江戸時代後期(1789~1854)、天保の改革以降の時期には、カルタ札の制作、販売への規制も厳しくなり、その供給に障害が生じたこともあり、幕末期(1854~67)頃までには各地でカルタ札を現地で生産する動きが生じた。南部藩内では... 館長
二 南部カルタの研究史 (一)カルタ遊技の伝来 岩手県及び青森県にはこの地に独特の天正カルタ系の「黒札」と、独特の図柄の「花札」がある。 岩手県の旧南部藩には、江戸時代初期(1603~52)までにカルタ遊技が伝わり、江戸時代前期の元禄年間(1688~1704)頃までには、藩主、家臣、領民の間で相当に流行した。カルタ遊技が海外から伝来した時期からすると極めて早い使用例... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 一 岩手の郷土史家、太田孝太郎と南部カルタ版木の骨刷り 岩手県盛岡市の岩手県立図書館に、岩手の地方史研究者で、昭和三年(1928)に発行された『南部叢書』、昭和二十六年(1951)に刊行された『盛岡市史』の編著者である故太田孝太郎が残した資料『張込帳』があり、その中に旧南部藩領で制作された地方札、黒札の画像五枚と、南部花札(花巻花)の画像五枚がある。地方カルタ史の史料が僅少... 館長