スタンウイックの発見によって改めて脚光を浴びるのが、フランスの東洋カルタ研究者、テリー・デュポリス(Thierry Depaulis)による、ドイツ人カルル・ヒムリー(Carl Himly)の麻雀牌に関する古い記録[1] の発見と英語への翻訳である。
ヒムリーは、十九世紀後半に中国に滞在していたが、1876年に帰国している。従って、これも1870年代以前の麻雀牌の記録ということになる。彼はその時期に、上海市に滞在していたので、見聞したのは上海の麻雀であろうと推測されている。
ヒムリーが発見して持ち帰ったのは、縦十四・四ミリ、横十二ミリ、厚さ九・六ミリという小型の牌である。この牌では、まず、筒子牌、索子牌、万子牌の三種類が、各々「一」から「九」までが四枚ずつあり、各々の種類に、「同化」、「索化」、「万化」の字牌が各々一枚ずつついている。文字牌としては「東」「南」「西」「北」の牌が各四枚あり、そのほかに、「東王」「南王」「西王」「北王」「捴王」字牌が一枚ずつある。また、「天王」「地王」「人王」「和王」字牌も一枚ずつある。さらに、「春」「夏」「秋」「冬」の四季字牌があり、「白」牌が八枚ある。
注目されるのは、多数の花牌の存在である。日本では、大正十三年(1924)に中国、大連市で発行された中村徳三郎『麻雀競技法』の巻頭写真ページに掲載されている古い麻雀牌がよく知られている。この中村牌は、今日の麻雀牌の牌構成である、筒子、索子、万子牌の百八枚と、文字牌の「東」「南」「西」「北」「中」「發」「白」の七種二十八枚、合計して百三十六枚の牌に加えて、花牌が三十二種三十二枚あり、これに予備牌が八枚ついて、合計で百七十六枚の牌という賑々しさである。花牌は、ヒムリー牌と同じく、漢字二文字のものは、「同化」「索化」「万化」字牌、「東王」「南王」「西王」「北王」「捴王」字牌、「天王」「地王」「人王」「和王」字牌であり、漢字一文字のものは、「春」「夏」「秋」「冬」字牌があり、さらに、「梅」「蘭」「菊」「荷」、「福」「 禄」「寿」「喜」、「日」「雨」「風」「雪」、「公」「侯」「相」「将」という組み合わせの字牌も含まれている。ヒムリー牌の多様な花牌は、二十世紀の大連ではここまで発達したのであろうことを推測させる。
ヒムリー牌でもう一点ショッキングなのは、「中」「發」「白」の三元牌が存在しないことである。グロバー牌でも「發」字牌はなかったが、「中」字牌はあった。それが、ヒムリー牌では、「中」字牌もないのであるから驚かされる。どうやら、麻雀では、方角牌のほうが古く、三元牌は新しいことになろう。ヒムリー牌は三元牌登場以前のもの、中村牌は登場後のものという前後関係が想定できる。
このグロバー牌とヒムリー牌の登場によって、中国の文献『清稗類鈔』[2]が紹介している、麻雀骨牌太平天国起源説が再び脚光を浴びることになる。この説を立証するような麻雀牌が発見されたのであるから。この説では、太平天国の時期に、その王位にちなんで、「筒化」「索化」「萬化」「天化」「東化」「南化」「西化」「北化」という字牌が加えられたというのである。グロバー牌では、「東化」「南化」「西化」「北化」「東王」「南王」「西王」「北王」であり、いかにも太平天国らしい匂いのする牌といえる。
また、ヒムリー牌から、「捴王」字牌は、「東王」「南王」「西王」「北王」の文字牌の仲間であることを知ることができる。私は、かつて、「捴王」を「筒化」「索化」「萬化」の文字牌の仲間と理解していた[3]。今日の東南アジアの麻雀牌には、青い枠線で囲み、文字も青く彩色された「筒」「索」「萬」「捴」という四枚の文字牌が付いていることが多いのもそう考える根拠であった。だが、最近の発見からすれば、もう一度再検討しなければならない。
[1] Carl Himly, ‘Morgenlandisch oder abendlandisch? Forschungen nach gewissen Spielausdrucken’, Zeitschrift der DeutschenMorgenlandischen Gesellschaft. XLIII.1889, Carl Himly ‘‘Die Abteilung der Spiel im Spiegel der Mandschu-Sprache’’ VII’ T’0ung Pao, 2nd Series, Vol. II, 1901.
[2] 『清稗類鈔』、上海商務印書館、1917.
[3] 江橋崇「麻雀の花札に関するメモ」『遊戯史研究』第九号、遊戯史学会、平成九年、五七頁。