寛永年間後期(1634~44)の鎖国の完成後は日本へのポルトガルのカルタの伝来は途絶えた。カルタの遊技は、しかしすでにその時までに日本社会で十分に人気を得ており、カードの制作方法も遊技法も伝来したカルタの文化から徐々に変化して日本化しており、元禄年間(1688~1704)など何回かの熱狂的な流行を経てしっかりと日本文化に根付くことができた。ただ、ポルトガルのカルタについてはすっかり縁遠くなり、人々の記憶からも消えていった。鎖国期の記録は残されていない。こうした中で例外は海上で遭難した日本人のその後の見聞である。この人々の中には、幸運にも漂流中に外国船に救助され、どこかの土地に運ばれて、その後、便を得て日本に帰国することのできた者たちがいる。彼らの見聞談には上陸地でのカルタの遊技に触れるものがあるが、上陸先がポルトガルやスペインのカルタが通用している地域であった場合にはそこでポルトガルのカルタに再会したことになる。もちろん、日本のポルトガルかるたの記憶をすでに失っていて、これを始めて見た不思議な遊び道具と語っているものもあるが、中には鋭くも日本のカルタと同じだと見抜いた者もいる。ただし、帰国時にこうしたカルタを持ち帰ってきた者はいないので、この経験を日本への伝来の事例として数えるのは不当であろう。