こうした「家族合せ」の経過を背景にして、ここで取り上げたいのは、村井玄斎『食道楽(くひだうらく)』を題材にした「食道楽家族合せ」である。村井は、明治三十六年(1903)に新聞小説としてこれを発表し、大反響であったので単行本化して、空前の大ベストセラーになった。話は、主人公の「お登和」が和、洋、中華の料理を作り、それを解説するという趣向であり、六百種類以上の料理が登場した。テーブル・マナー論や栄養指導も登場した。「お登和」は才色兼備で、人当たりがよく、応接に長けているが、しかし人柄は慎ましく、料理は得意という、この時代の先進的で理想的な女性として描かれている。
ここで特に目立ったのは、西洋料理の紹介であり、村井はアメリカ西海岸に行ったことがあり、その経験から書いたので、妙にカリフォルニア臭い西洋料理になっているが、明治後期の女性たちはそれを信じて、それを模倣した。だから、例えばトーストパンはこんがり黒色になるまで焼くのが正しく、炭素が体に良いと書かれると、それを真似てあえて黒焦げのトーストパンを朝食にする人が続出した。だが、こういう些細なミスは文化の伝来ではよく起こる事であり、それを問題視するのは小さい。
村井の『食道楽』は、日本の社会に初めて料理の楽しさ、すばらしさを紹介したグルメ小説である。今日の我々は、グルメ本、美味探訪本、グルメ小説、グルメ漫画、グルメ映画に嫌と言うほど囲まれているが、実は、日本最初にこのジャンルを開いたのが村井弦斎であった。また、『食道楽』の内容の充実に恐れをなしたのか、それとも、こういう女性文化の著作ではなく、男性文化の冒険小説や軍記小説などに力が注がれたからなのか、いずれにせよ、本書の以後に、同種のグルメ本はヒットせず、実に、昭和四十年代(1965~74)なってやっと現れるようになったのである。この時期、私は東京日本橋の和菓子屋の息子、作家の小林信彦の作品に現代の村井弦斎を見た。こうして時代も社会も違う二作品を合わせて論じることには、村井も、小林も不本意だろうが、当時感じていた、世間に忘れられていたグルメ小説と言うジャンルを蘇らせてくれた嬉しさを半世紀後の今でも記憶していることに免じてお許しいただきたい。
それはさておき、『食道楽家族合せ』である。正確には、『村井弦斎先生の著書に因みて 食道楽家族合せ 一名ごちそうあそび 実用新案家庭遊戯』である。私の手元にあるものは説明書を欠いているので発行元や刊行年の情報を示せないで申し訳ないが、カードは揃っているのでありがたい。なお、これについては、ネット上で紹介されており、そこでは、人物札十二枚、料理札五十枚で完揃いと紹介されている。実際は少し違っていて、人物札も料理札も三枚が一組になっており、人物札は四組十二枚、料理札は十八組五十四枚である。
人物札 「大學卒業生・大原満君」「大原の許嫁・お代さん」「大原のお女中さん」 「學士・中川先生」「中川君の妹・お登和嬢」「中川のお女中さん」 「小山文學士」「小山の奥さん」「小山のお女中さん」 「廣海子爵」「廣海の令嬢・玉江嬢」「廣海の御小間使」 「麥飯(むぎめし)」「とろゝ」「梅干(むめぼし)」 「天(てん)ぷら」「お酒(さけ)一本(ほん)」「湯豆腐(ゆどうふ)」 「鰒(あわび)のふくらに」「うどの酢(す)の物(もの)」「玉子(たまご)のすいもの」 「シチウー」「カキのフライ」「玉子(たまご)の半熟(はんじゆく)」 「御口取(おくちとり)」「御屠蘇(おとそ)」「鴨(かも)の御雑煑(おぞうに)」 「お團子(おだんご)」「大福餅(だいふくもち)」「南京豆(なんきんまめ)」 「松魚(かつを)のさしみ」「正宗(まさむね)の御酒(おさけ)」「松露(しようろ)どうふ」 「鰻(うなぎ)の蒲(かば)やき」「赤貝(あかがい)の酢(す)の物(もの)」「冷(ひや)しビール」 「お煑豆(にまめ)」「鮎(あゆ)のかんろに」「胡瓜(きうり)の漬物(おこうこ)」 「鮎(あゆ)のおすし」「宇治(うぢ)の新茶(しんちや)」「カステーラ」 「鯛(たい)の煑(に)ざかな」「はんぺんのおつゆ」「竹(たけ)の子(こ)めし」 「ビスケツト」「アイスクリーム」「ぶどう酒(しゆ)」 「當(あた)りいも」「海老(えび)のおにがら焼(やき)」「更科(さらしな)のおそば」 「蛤(はまぐり)のすいもの」「くりのきんとん」「玉子焼(たまごやき)」 「あま酒(さけ)」「あべ川(かわ)」「金平糖(こんぺいとう)」 「ベルモツト」「ライスカレー」「ビステーキ」 「お芋(さつ)の丸(まる)あげ」「おしるこ」「鹽(しほ)せんべい」 「やき芋(いも)」「はじけ豆(まめ)」「牡丹餅(ぼたもち)」 |
ここで村井が主張したかったのは、主婦としての女性の正当な評価である。美しく、しとやかで、料理が上手で、家計をしっかりと把握し、子育てや両親の介護に誠意をもってあたる。よい趣味を持ち、親せきや近隣との交際もそつなくこなし、仕事にいそしんで家事に背を向ける夫の多忙にも理解を示す。このような女性が、なぜもっと高く評価されないのか、こういう意味での女性の地位向上が村井の主張であった。
そして、そのことが、村井の限界をも形づくった。村井が渡米した時期のアメリカ西海岸は、なお良妻賢母を至上と考える古い社会であったから、女性の自立が理解できなかったのは致し方のないことであったであろう。『食道楽』に登場する女性たちも、「家族合せ」の妻や娘と同じく、社会に出てその才能を開花させて、仕事に就く女性としては描かれていない。家庭内にとどまる、良妻賢母、良き主婦が理想なのである。そして、男はどうであったのかというと、社会に出て活躍し、国のため、世のため人のために尽くし、立身出世して、収入を得て家族に不自由のない生活を保障する。家族を「生産家族」と「消費家族」に分けて考えるならば、男は「生産家族」の主人公であり、家長であるが、「消費家族」の一員としての影は薄い。家の中のことは妻任せ、家事は別世界のことであった。つまり、この時期にすでに、日本社会に固有の「男性だけの資本主義」が成立していたのである。
思い起こすのは平成三年(1991)に東京渋谷のパルコで開催された、日本で最初の、大正期(1912~26)、昭和前期(1926~45)の広告ポスター展示会、「繁昌図案(エコノグラフィー)」展[1]である。北原輝久が蒐集した広告ポスター等を集めて、荒俣宏が監修して行われた展覧会であり、北原の本格的な東京デビューの機会でもあった。私は、その快挙がうれしくて早速に出かけたが、会場で膨大な数のポスターを見て改めて驚かされた。大正期(1912~26)から昭和前期(1926~45)の商業ポスターでは、描かれているのはほとんどが母子の団欒(だんらん)、遊楽姿であり、そこには父親の姿はなかった。ポスターはもちろん購買者、消費者をターゲットにして制作されるものであるが、こうまで露骨に、「消費家族」は女性中心、「生産家族」は男性中心という線引きが描かれていることに驚いたのである。ごくまれに、父親も図柄に登場するが、それは大体、背広姿で帽子をかぶり、手にした土産品を子どもに渡す優しい父親であって、妻や子どもたちと消費生活を楽しむものではない。展示会の会場で北原に、母子家庭ばかりだねと冗談を言ったことを憶えている。
こういう事情なので、女性の自立、社会進出を求めた女性解放の運動は、その発足時からすでに、「男性だけの資本主義」との闘いという苦難の道を歩むことになった。
なお、「消費家族」に関連して指摘しておきたいのは「買い物合せ」という遊戯具である。成立した都市型社会では、「消費家族」を代表して、「お買い物」が主婦の女性の仕事であり、また、楽しみであった。「今日は帝劇、明日は三越」があこがれの消費生活であった。そういう風潮に乗り、それをもっと煽るものが女性向けの遊戯具「買い物合せ」である。これは、「家族合せ」のバリエイションとしてはもっとも成功した例である。
明治後期(1903~12)に登場した「買物合せ」の中で私が最も注目しているのは、「今日は帝劇、明日は三越」(三越の宣伝文句では「今日は三越、明日は帝劇」)というフレーズの主役、外ならぬ三越百貨店そのものが出版した、明治四十二年(1909)の「新案家庭衣裳あはせ」である。同店の広報誌『三越タイムス』の付録であるが、杉浦非水が描いたかるたは、まだ大家族主義を引きずっていて、「御主人」「奥様」「男御隠居」「女御隠居」「御令嬢」「御子息」「坊ちゃん」「御女中」で構成され、次のような衣類や付属品を三越で買い求める仕掛けになっている。「当店にご来店いただければどれでもお買い求めいただけます。まさに百貨を売る店、百貨店ですから」ということで、百貨店の利益の大きな商品が写真で見事に組み込まれており、読者、遊技者の購買意欲をそそるものがある。
「御主人」 「帽子とネクタイ」「胸紐と手袋」「時計と鎖」「襟巻と袴」「外套と靴」 「奥様」 「裾模様と帯」「コートと小紋」「シヨールと胸紐」「櫛と指輪」「履物」 「男御隠居」 「帽子と杖」「襟巻と胸紐」「煙草入と煙管」「外套」「茶器」 「女御隠居」 「小紋」「コート」「櫛と胸紱紐」「煙草入」「羽布團と座椅子」 「御令嬢」 「裾模様と帯」「御召と友禅」「髪飾」「アンテランバッグと傘」「履物」 「御令息」 「帽子」「羽織と袴」「時計と帯」「萬年筆とインキ壺」「靴」 「坊ちゃん」 「子寶」「筒袖と海軍服」「エプロンと帽子」「半外套と足袋」「玩具」 「お女中」 「片側帯と銘仙」「帯揚と半襟」「櫛と鏡」「化粧品」「傘」 |
昭和前期になると、妙なものも現れる。ここでは二例を紹介しておこう。一つ目は、細木原青起画の「買物合せ」である。これは『小学生全集面白文庫』の付録として発行されたもので、今でも大量に残っていて、試しに「買物合せ」をネットで検索してみると、このかるたの情報や売却を希望する者の購入受付があふれている。一般に、大量に残っている玩具は、子どもたちに好まれず、売れ残ったものであるから、これをもって世相や流行を判断するのは危険である。この事情を、私はかつて、第二次大戦の戦時体制下での軍国玩具、特に軍国かるた類に関して指摘したことがある。「愛国百人一首」や「鬼畜米英撃滅」的なかるた、重税も貧困も飢餓も犠牲も耐えますというようなかるたが確かにあふれていて戦後社会にも大量に残り、それを取り上げた戦後の歴史学者、社会学者は、戦時下の日本の社会はこういう軍国主義に強制的に染められていて、平和で健全な子育てを願うようなものは弾圧されて消えていたといって、これを軍国主義批判の素材として活用した。だが、私が実際に調査したところでは、この種の軍国かるたは用紙の特配や国の熱心な推奨によっても不人気であまり普及せず、半強制的に買わされても死蔵されるだけで、むしろ通常の「犬棒かるた」や「童謡かるた」「お伽かるた」の類が好まれて、子どもたちに使い込まれて消耗して消え去り、その結果、軍国物が大量に売れ残ったという事情も見えてきた。ここは注意しなければならないポイントであり、だからこの「買物合せ」も、大量に残っているのだから大ブームだったのだと錯覚するのではなく、時代の雰囲気をどの程度に反映していたかの判断は冷静に留保しなければならない。このことへの注意を喚起したうえで紹介したい。登場するのは、「坊ちゃん」「嬢ちゃん」「先生」「医者」「大工」「僧」「イセヤ」「農夫」「軍人」「巡査」で、各々が六枚構成になっている。
「坊ちゃん」 「出雲勝男」「小学生全集」「アイスクリーム」「万年筆」「空気銃」「ミット」 「嬢ちゃん 「上部見榮子」「時計」「リボン」「オイモ」「クツ」「パラソル」 「先生」 「論語先生」「字書」「洋服」「老眼鏡」「ステッキ」「風呂敷」 「医者」 「山井直三」「人力車」「聴診器」「山高帽」「熊の膽丸」「筍」 「大工」 「家倉建松」「鋸」「梯子」「半ズボン」「編み上靴」「インパネス」 「僧」 「弦里和尚」「袈裟」「ジユズ」「自轉車」「釣鐘」「蛸」 「イセヤ」 「金賀笛太郎」「金庫」「算盤」「前掛」「大福帳」「オカラ」 「農夫」 「種尾蒔蔵」「牛」「肥桶」「鍬」「提灯」「煙草入」 「軍人」 「前江進」「馬」「望遠鏡」「軍刀」「アンパン」「懐中電燈」 「巡査」 「町村守」「手袋」「呼子笛」「外套」「長靴」「手帳」 |
もう一例は、雑誌『少女倶楽部』昭和九年新年號の付録として製作された「お買物合せ」である。これは、「運動具屋」「楽器屋」「薬屋」「菓子屋」「化粧品屋」「小間物屋」「魚屋」「文房具屋」「本屋」「八百屋」の身近な十商店で、「主人」に加えて各々が販売している商品を四種類ずつカード化して、合計五十枚で構成されている。
「運動具屋」 | 「主人」「デッドボール:デッドボールなら!運動用具玉澤(所在地住所略)」 「スキー:TBヒッコリーパウワライズスキー スキーは!運動用具玉澤(所在地住所略)」 「ピンポン:ピンポンは定評のある!運動用具玉澤(所在地住所略)」 「ラケット:すばらしく調子の良いラケットは!運動用具玉澤(所在地住所略)」 |
「楽器店」 | 「主人」「ピアノ:山葉ピアノ 今日のよき日に君が代を山葉ピアノでうたひませう」 「ヴアイオリン:鈴木ヴアイオリン 世界に誇る鈴木ヴアイリオン」「ハーモニカ:蝶印ハーモニカ 日の本にこのハーモニカあり蝶印」「オルガン:山葉オルガン 學校でも家庭でも山葉オルガン」 |
「薬屋」 | 「主人」「どりこの」「パミール」「トラシン」「イノール」 |
「菓子屋」 | 「主人」「チヨコレート(Meiji MILK CHOKOLATE)」「ドロップ」 「キヤラメル(明治ミルクキャラメル)「ビスケツト」 |
「化粧品屋」 | 「主人」「月印クリーム:お母様のウテナは月印クリーム いつもお若い朗らかな微笑みに……」 「頬紅:少女のウテナはウテナほゝ紅 明るいオレンヂ少女のウテナ」 「雪印クリーム:お父様のウテナは雪印クリーム サラツと快い朝のおヒゲ剃りに」 「花印クリーム:お姉様のウテナは花印クリーム きれいなお化粧お嫁入りに」 |
「小間物屋」 | 「主人」「齒みがき:日英佛専賣特許ゼオラ齒磨 お顔も奇麗に齒も美しく白い齒になる ゼオラ齒磨定価十銭二十銭」 「シヤンプー:私もあなたも洗ひませうお髪を奇麗に美しくイワヤシヤンプーは日本一 (化粧品店・薬店にもあります)」 「洗粉」「衛生・効果・経済・至便 真から垢ぬけて美しくなる記録的新洗顔料 美肌用(大五十錢中二十五錢薬用一圓(送料各三ケ迄十錢) 愛讀者の爲めお取次します。東京・本郷大日本雄辯會講談社代理部振替東京六六二九) 「粉パクト:肌色のウテナ粉白粉を ウテナ粉パクト うれしいお正月の粉パクト」 |
「魚屋」 | 「主人」「たひ ヤマサ醤油」「ひらめ」「かつを」「はうぼう」 |
「文房具屋」 | 「主人」「繪具:繪具ならキング彩繪具」「インク:インキはライト(萬年筆用)」 「萬年筆:萬年筆にはライトインキ」「紙挟:畫の先生方もみんなおほめになる王様クレイヨン」 |
「本屋」 | 「主人」「少女倶楽部」「夾竹桃の花咲けば」「萬國の王城」「陸奥の嵐」 |
「八百屋」 | 「主人」「かぼちや」「なす」「だいこん:ヤマサ醤油」「れんこん」 |
これは要するに企業から広告料を取って掲載した商品広告である。だが、広告として見ても、商品広告と会社広告が混じり、広告を取りそこなったのか品物の名前だけで広告主の表示がないこともあり、料金の書かれたものもあり、出版社が取次をするものもあり、アピールしている相手が大人の女性なのか女児なのか判然とせず、要するに、商品カタログとしても魅力が薄いのである。ここに掲出したのは、当時の商品宣伝の様相がほの見えるからでもあるが、主要には、これで新年号の付録としても魅力が薄く、ほとんど未使用でお蔵入りして、そのまま残って平成、令和の時期になってもあちらこちらから出てきて、多数が出回っているという事情、つまり、不人気商品はいくら上から押しつけても使われないという遊戯の世界での子どもの判断力、選好を示したかったからである。これもまた、遊戯史を逆照射している史料としてみると面白い。
話が妙なところに落ち着いたが、こうして、成人女性向けのかるたはまっとうな遊戯具としては利用が減り、衰退していったのである。
[1] 荒俣宏『繁昌図案(エコノグラフィー)』、マガジンハウス、平成三年。