「コドモアサヒ・ノリモノカルタ」
「コドモアサヒ・ノリモノカルタ」

明治時代後期(1903~12)から日本社会では、伝統的な大家族の共住から離脱した都市型の核家族が成立するようになった。大正期(1912~26)には日本の世帯のうちで、都市を中心に半ばは核家族、農村を中心に半ばは大家族という分布になった。これに応じて、大正期(1912~26)、さらに昭和前期(1926~45)には都市型の近代的な「イロハかるた」が盛んになった。カードの印刷方法が石版、機械木版、ニス版、機械印刷と進化すると共に、内容的には、乗り物や飛行機のような時代の先端の流行物を主題にしたものが多く出版された。正月の遊戯具として談笑を誘うようなかるた、「ニコニコ初笑ひ」や「初笑ひ新年漫画かるた」、「ヘソ茶イロハかるた」、また、「ビリケン」「ジグス」「団子串助」「ノンキナトウサン」「正ちゃん」「ベティちゃん」「のらくろ」「チャップリン」などの時代のヒーローや人気者、今日で言うキャラクターなどを主題にした商品も多数開発された。また、人気者にあやかった、まがい物のかるたも売られていた。「のらくろ」に似せた「のらくら」という犬の漫画かるたなどである。普段、子どもの生活に遠い父親が、本物と偽物の区別もつかないでたまに土産に買ってきて子どもに与え、子どもにがっかりされたりする喜悲劇もあったことだろう。ただし、忠臣蔵だけは別格で、時代が変わっても「忠臣蔵カルタ」「義士カルタ」が繰り返し現れた。

「ニコニコカルタ初笑ひ」
「ニコニコカルタ初笑ひ」
「新年漫画イロハカルタ初笑ひ」
「新年漫画イロハカルタ初笑ひ」
「教育喜劇ヘソ茶カルタ」
「教育喜劇ヘソ茶カルタ」
「冒険カルタ正チャントブル」
「冒険カルタ正チャントブル」
「ニコニコ活動デブチャプ君」
「ニコニコ活動デブチャプ君」
「冒険凸吉カルタ」
「冒険凸吉カルタ」
「のらくら漫画かるた」
「のらくら漫画かるた」
「いろはかるたワンワン聯隊」
「いろはかるたワンワン聯隊」
「イロハカルタ忠臣蔵」
「イロハカルタ忠臣蔵」
「イロハ義士カルタ」
「イロハ義士カルタ」
「忠臣蔵かるた」「忠臣蔵カルタ」
「忠臣蔵かるた」「忠臣蔵カルタ」
「義士かるた」
「義士かるた」

もう一つ注目されるのは、皇室の慶事を祝うカルタの出現である。大正年間の「摂政宮」、後の昭和天皇はスター扱いで、その渡欧や昭和に入っての即位礼を主題とするかるたが現れた。昭和前期の戦時体制下では、天皇の神格化が深まり、この種のものは消えた。こうしたかるたも、大正年間の解放された自由な雰囲気をよく示している。 

「東宮殿下御渡歐記念カルタ」
「東宮殿下御渡歐記念カルタ」
「御即位式記念イロハカルタ」
「御即位式記念イロハカルタ」
「世界御巡遊カルタ」
「世界御巡遊カルタ」

一方で、「教育」と「玩具」の結びつきでは「教育」の要素が強まって、幼児向けの「お伽噺かるた」「童謡かるた」や小中学校の各教科の内容に添った教材まがいの「歴史かるた」「地理かるた」「国語かるた」「修身かるた」なども盛んに売り出された。また、少年、少女向けの雑誌が発行されるようになると、正月号の付録にかるたやシート状のものを付けて読者が自分で切り分けて遊べるようにしたものが増えた。これには「歴史かるた」や「教育偉人かるた」などとともに説教じみた「教訓かるた」、後の昭和後期(1945~89)の「よいこかるた」の前身となるものがあり、相当数が未使用で残されて古書市などに現れていた。こうした一枚ものに関しては、発行部数が多かったことを指摘するべきなのか、子どもたちが実際に裏紙をあてがって切り離して遊ぶ手間をかけるほどに興味をひかれなかったから未使用で残ったので、多数残っているのは不人気のバロメーターであると指摘するべきなのかは迷うところがある。いずれにせよ、子どもたちがどれほど喜んで実際に遊んだのかは不明である。

「お伽噺イロハカルタ」
「お伽噺イロハカルタ」
「偉イ金太郎」
「偉イ金太郎」
「童謡カルタ」
「童謡カルタ」
「童謡カルタ」
「童謡カルタ」
「小学二年オサラヒカルタ讀方修身」
「小学二年オサラヒカルタ讀方修身」
「フラワァーゲーム」
「フラワァーゲーム」
「モダンボオイズかるた」
「モダンボオイズかるた」
「教育偉人かるた」
「教育偉人かるた」
「いろはかるたヨイ子ノ一年」
「いろはかるたヨイ子ノ一年」

伝統的な「イロハ譬えかるた」の発行も続いたがその内容には陳腐な説教が多くなり、家庭内で親子が遊ぶ機会が減って子ども同士、友だち同士で遊ぶ機会が増えると、内容にも新鮮味のあるものの方が人気を得て「イロハ譬えかるた」は敬して遠ざけられるようになった。近代の都市型の社会では「イロハかるた」は定番の「イロハ譬えかるた」の拘束から解放され、多様化したのである。実際、大正期(1912~26)以降には、幼少時に「イロハかるた」で遊んだという思い出を語る者は多かったが、その中で「犬も歩けば」の古典的な「イロハ譬えかるた」に触れる者は減った。「イロハかるた」史を語る際には、この農村社会的な家族遊戯のツールとしての「犬棒かるた」と、都市型社会での地域や学校を同じくする子ども同士での遊戯、遊技のツールとしての「かるた」という構造的な転換を見逃してはなるまい。

武井竹雄「ベビー判いろはかるた④犬ぼう」
武井竹雄「ベビー判いろはかるた④犬ぼう」
武井武雄「イロハかるた」
武井武雄「イロハかるた」

子ども用の「イロハかるた」が大きく変わって近代化が本格的に成功したのは大正末期(1922~26)から昭和前期(1926~45)である。この時期には児童文化の価値が強調され、本格的な児童書、絵本が出版されるようになり、綱島書店、金井信生堂、湯浅春江堂、富士屋書店、榎本書店などがかるたの出版にあたり、大正期(1912~26)には、杉浦非水、川端龍子、細木原青起、的場朝二、岡本歸一、村山知義らのかるたも作られるようになった。そして昭和前期(1926~45)になると、新たに鈴木仁成堂が、当時東京の浅草に居住していた武井武雄とその周りに屯していた初山滋、鈴木義男、黒崎義介、松本かつじなどの若手の童画作家を動員して新感覚の「イロハかるた」を制作して売り出して新風を吹き込んだ。これらの童画作家は人気を呼び、かるたの作品は昭和後期(1945~89)にまで及び、今日までその芸術性が高く評価されているし、画家が若い時期に年末のアルバイト感覚で描いた作品も多くあり、その画家に関する研究では貴重な史料となっている。彼らはオリジナルな作品を生み出すことに熱心であり、武井武雄が「犬棒かるた」[1]に意欲的な新図像を用いると共に「RRRコドモカルタ」や「赤ノッポ青ノッポ」など内容も図像も革新的な新作を次々に世に問うたように、魅力的な「イロハかるた」を制作し、それが市場でも歓迎されてロング・セラーとなったものも多い。こうして「イロハかるた」は近代日本の童遊文化史では重要な位置を占めたのであり、その実態は「大牟田市立三池かるた・歴史資料館」が所蔵する数百組のコレクションによく偲ぶことができる。

「RRRのコドモカルタ」
「RRRのコドモカルタ」
「漫画かるた赤ノッポ青ノッポ」
「漫画かるた赤ノッポ青ノッポ」

[1] 武井武雄「犬棒かるた」『月刊銀花』第十三号、文化出版局、昭和四十八年、二九頁。

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