骨牌税は、カルタ産業の規制に猛威をふるったが、昭和二十六年(1951)に税額を六十円に減額した。この時から、従来の禁止税のような重圧はなくなったが、税の執行については厳格で、立入検査がしばしば行われ、未課税のカルタがあれば厳しく課税された。また、骨牌税法を知らず、免許を持たない者がカルタを製作すれば、これもまた違法行為、犯罪として厳しく警告され、課税された。トランプの場合はそれでも税を納入して個人が製作したり、外国から輸入したりすることがあったが、花札や賭博系のカルタ札では、本格的なものの製作方法が特殊であったこともあって、外部の者がこれを製作することは困難であった。
その後、昭和三十二年(1957)には骨牌税法はトランプ類税法に改められ、昭和三十七年(1962)には税額が四十円に減額されて、それ以降は据え置きであった。花札は、高度成長期に最後の盛期を迎えて全国で盛んに使われたが、骨牌税の負担感は年々に減少し、物価が上昇して花札一組が一千円程度で販売されるようになった時期には、四十円の低減税率は四パーセントほどの負担になり、普通の間接税と異ならなくなる。実際、昭和末期(1985~89)に消費税の導入が検討されるようになるとトランプ類税法は差し替えで廃止することが検討され、昭和六十三年(1988)に消費税法が成立し、平成元年(1989)に施行されると実際に廃止された。かるた屋にとっては、トランプ類税は課税としては大した負担ではなくなっていたが、いちいち厳密に商品を管理して、証紙を貼付して帳簿を作成し、税務署の立ち入り検査に備えて常に倉庫を整理しておかねばならない手間の負担が省けるようになったことが大きいメリットであった。