昭和後期(1945~89)の社会では、「百人一首歌かるた」は、なお正月中心の家庭遊戯のツールとして使われていたが、社会の変化、家庭の変化の中で徐々に衰退していた。とくに、和歌に親しむ伝来の文化が日常の生活から消えていくなかでは、百人一首の和歌を諳んじている人間も少なくなり、正月の年中行事としてのかるた取りも盛り上がりに欠けることになる。変わって家屋の間では、「坊主めくり」などの遊戯が好まれるようになった。

競技かるた昭和初期大会風景
競技かるた昭和初期大会風景

他方で、学校教育の場では一部ではあるがこれを教材に使用する動きがあり、「競技かるた」として授業や部活動で用いられている例も出てきた。そして、一部の愛好家の間ではこの「競技かるた」が継承され、正月に近江神宮で開催される「全日本かるた協会」の「名人戦」「クイーン戦」はテレビでも報道されて平安時代のような優雅な場面が放映されているが、歴史の考証はできておらず、ムードだけが伝統文化の雰囲気を醸し出しているが、その遊技の実態は近代的なスポーツ競技である。「百人一首歌かるた」は、京都の任天堂や田村将軍堂などのカルタ屋で制作、販売され、学校の教材として納入されるもののほかに、毎年、正月が近づくと、「イロハかるた」類とともに書店で売り出される師走の季節商品になっていた。ごく簡略なものから、かるた札の素材の材質、収納箱の意匠や材質などに配慮して制作された高級品までが並び、時には往時のかるたの復刻版が登場することもあり、商売としては堅調に推移していた。またこの時期には「万葉歌かるた」や「漢詩かるた」などを自費で出版し、文芸の遊技として楽しむ者も少数だが登場した。だがいずれも一過性の話題を呼んだだけで社会的には広まることはなかった。

競技かるた大会用の百人一首かるた
競技かるた大会用の百人一首かるた
競技かるたクイーン戦風景
競技かるたクイーン戦風景

なお、「郷土かるた」といえば郷土に関する「イロハかるた」が主であるが、これと別にその地域に関する和歌を集めた「郷土歌合せかるた」や「地域版百人一首」も現れた。萬葉集以来の歌集から名歌を集めたものは、その地域の和歌の伝統を学ぶ上で有意義であるし、文芸の色彩が濃く格調の高いものになるが、少し厳密にいうと、その地域の歌枕などを詠ったものは、京都の歌壇の歌人が「歌人は居ながら名所を知る」で実際にその地に足を踏み入れることなく詠んでいるものが多いので、これは、その郷土で作られた和歌の歌集ではなく、その郷土をテーマにして詠われた和歌の歌集ということになる。

郷土和歌かるた「天橋立百人一首」
郷土和歌かるた「天橋立百人一首」
郷土古歌かるた「近江百人一首」
郷土古歌かるた「近江百人一首」
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