このような競争相手の遊技、ギャンブルの変化、改革と比較すると、かるた、とくに花札の業界での革新がいかにも遅れている。新しい遊技法は登場せず、いつまでも江戸時代から続いている「四光」「赤短」に「猪鹿蝶」では遊技としての魅力が徐々に減少してゆく。たとえば、女性向けの雑誌『婦人倶楽部』の昭和二十八年(1953)新年特大号の「新春娯楽教室」に花札がかるた、麻雀、トランプと並んで取上げられていて、「八八花」の遊技法が解説されている。また、「主婦の友」社は昭和四十四年(1969)に、『実用百科事典』の別冊として『ホームレジャー』特集号[1]を発行して、家庭の主婦に向けて様々な家庭娯楽を紹介している。そこに花札も、百人一首、トランプと共に組み込まれているが、紹介されているのは相変わらずの「八八花」の遊技法で、果たして当時の家庭の若い主婦がどこまでこれを参考にして花札の遊技を試みたのかは疑問である。
独特の仕掛けや技を使った博徒集団による花札賭博、その他のカルタ賭博は、昭和四十年代(1965~74)で衰退に向かった。元読売新聞社会部記者で作家に転じた飯干晃一は、昭和四十年代後半(1970~74)や五十年代(1975~84)にやくざに関する作品を多数執筆した。そこには花札賭博の情景もいくつか表現されている。飯干はまた、詐欺賭博の手口にも詳しくて、それを紹介する文章も書いている[2]。花札賭博にのめり込んだ当事者の発言として面白いのは、落語家の月亭可朝のインタビューを吉川潮が文章にした『月亭可朝のナニワ博打八景』[3]で、可朝が京都で「虫花」札を使ったオイチョカブに加わって七千万円の借りを作り、見かねた知人が専門の仕事師を紹介して、その者のワザで全額を取り返すまでが事細かに書かれていて当時の状況が良く理解できる。
私は、高度成長期にかるた、とくに花札が衰退した第一の原因は、繰り返し指摘することになるが、新しい魅力的な遊技法の開発を怠った点にあると思う。また、遊技が社会的に成立する第二の要素は魅力的な用器具の登場である。この点でも花札にはさしたる進化が見えなかった。そして第三に、専用の遊技場の開設という面でも衰退が目立った。
花札や賭博札の遊技法に魅力的な新企画がないときには、解説書、入門書も魅力をうまく伝えきれなくなる。遊戯法に変化がないので、半世紀も以前の文章のままの入門書でも十分に間に合った。そのために花札の遊技法を解説する新規の書籍の発行は減少し、出版されたものも新味が不足していて余り魅力的でない。当時、私が読み、今も書棚に並んでいる書物は次のようなものであった。
片桐童二、岩永清『トランプと花札』(日本出版広告社、昭和二十二年)
任天堂編集部『トランプ・麻雀・花合せ必勝法』(任天堂骨牌株式会社、昭和二十六年)
ユニバーサル倶楽部『トランプ花合せ遊び方と必勝秘訣』(草雅房、昭和二十六年)
津村一郎『最新花札』(虹有社、昭和二十六年)
木村健太郎『トランプと花札 遊び方勝ち方』(梧桐書院、昭和二十六年)
高畠猛『〈実用百科選書〉トランプと花札の遊び方』(金園社、昭和二十九年)
東田悠一『トランプ・花かるた・百人一首』(愛隆社、昭和二十九年)
高畠猛『〈金園社版娯楽百科叢書〉みんなで遊べる楽しいトランプと花札遊方』(金園社、昭和三十一年)
志摩菊夫『百人一首・トランプ・花札の遊び方』(金園社、昭和三十一年)
津村一郎『花かるた』(虹有社、昭和三十三年)
石川雅章『<入門百科叢書>百人一首と花札』(大泉書店、昭和三十三年)
片桐童二『トランプと花札―その遊び方五十種―』(ベースボール・マガジン社、昭和三十三年)
遊戯研究会『たのしいトランプと花札』(知性書院、昭和三十五年)
津村一郎『花札の遊び方』(虹有社、昭和三十九年)
桐山雅光『トランプと花札の遊び方』(有紀書房、昭和四十年)
澄川町美『〈Sankaido hand books〉花札の遊び方』(山海堂、昭和四十二年)
内村直之『〈新実用全書〉楽しい室内遊戯*トランプ・ダイス・花札』(林書店、昭和四十二年)
浅岡良介『〈実用書シリーズ〉トランプ・花札・ダイス』(鶴書房、昭和四十二年)
渡辺博『〈実用新書〉トランプ・花札・百人一首』(池田書店、昭和四十四年)
岡田康彦『なかよし入門百科 トランプと花札』(有紀書房、昭和四十七年)
渡部小童『図解花札入門』(土屋書房、昭和四十九年)
南条武『トランプ・花札の遊び方』(有紀書房、昭和五十年)
井上正弘『トランプ・花札の遊び方』(永岡書店、昭和五十三年)
田中健二郎『花札必勝これでOK』(金園社、昭和五十四年)
竹村一『花札ゲーム28種』(大泉書店、昭和五十四年)
これらの書物では、いずれも、冒頭でわずか二、三ページで花札の歴史を書き、賭博に使われて汚名を着せられたことを嘆き、次いで遊技法では、「花合せ」(馬鹿っ花、絵取り)、「八八花」「二人八八花」「カブ」を扱うのが普通で、これに、関西の「むし」「おち」などに触れることになる。「こいこい」は盛んに遊ばれていたがこれを取り上げる著作は少なかった。結局、構成も内容も大同小異であった。どの著作を読んでも、筆者の花札の遊技に対する好みや熱意を感じられる文章は少なく、遊技の楽しさもうまく伝わらないし、遊技に参加してみようかという意欲も起きないことが多い。第四に、遊技をリードする花札愛好者の団体もないし、大きな大会もなかった。かつて「八八花」の遊技をもっぱら愛好する「八八花札研究会」もあったが小規模にとどまり、いつの間にか消滅していた。その後、「なかよし村」の同人たちが努力しているが、なかなか広まらない。
こうして、高度成長期は、賭博の遊技には絶好の環境であったのに、花札は業界としてのイノベイティブな提案も企画もないままにずるずると後退して、国民娯楽の首座を他の遊技や公営ギャンブルに譲り渡してしまった。
[1] 石川数雄『主婦の友実用百科事典別館ホームレジャー』主婦の友社、昭和四十四年。
[2] 飯干晃一「昨今いかさま噺」『別冊太陽いろはかるた』一六五頁。
[3] 吉川潮『月亭可朝のナニワ博打八景』竹書房、平成十年。