このことはさらに、「三池カルタ」の「龍」のカード、その図像の問題に飛び火する。復元「三池カルタ」の「一」のカードには「龍」の図像がついている。それにはヨーロッパの龍の図像に従って蝙蝠のように羽を広げた龍がいる。私はこれを「蝙蝠龍」と呼んでいる。ヨーロッパのカードでも、「龍」のカードは「蝙蝠龍」である。ところが、日本のうんすんカルタの「龍」のカードでは、龍が火焔に包まれている。これはヨーロッパのカードにないアジア的な特徴であり、龍が羽根を広げた図像の羽根の部分が火焔に変じたものと思われる。これは中国の龍の描き方に通じている。私はこれを「火焔龍」と呼んでいる。問題なのは、これがうんすんカルタだけでなく、天正カルタにも及んでいることである。以前はアメリカのコレクターの手の中にあって後に滴翠美術館に里帰りした手描きの 天正カルタ が「火焔龍」である。大阪の 南蛮美術館蔵の手描き天正カルタ も「火焔龍」である。もう一点、手元にある個人蔵の天正カルタの図像も同じである。この点については当初はさほどに重要視していなかったが、平成年間の「版木硯箱」の発見で、天正カルタがうんすんカルタと同じトリック・テイキング・ゲームに使われていたことが強く推測されるようになると、天正カルタにも「火焔龍」があったという事実が改めて意味ありげに思われてくるのである。ただし、「版木硯箱」の「龍」は木版天正カルタの定型、「蝙蝠龍」である。

したがって、日本には実は二種類の「南蛮カルタ」が伝来していたのではないかと想像できる。一つは手描きの「火焔龍」のタイプのカードで、日本では手描きの天正カルタになり、そこから後に七十五枚一組の手描きのうんすんカルタができあがった。もう一つは、「南蛮カルタ」といってもベルギーあたりで作られた木版のカードで、日本では木版の天正カルタ「三池カルタ」になり、のちの時代には、同じく木版の「松葉屋カルタ」や「ほてい屋カルタ」のような賭博系のカードになった。

このように、私の行った「三池カルタ」の復元の作業は、完成後の時間の経過の中で、新史料が発見されるたびに、その正誤を厳しく再検討されるのである。ある日、どこからか、「三池カルタ」の完全品が一組発見されるようなことがあれば、復元品はみじめにも誤りが明白になり、倉庫の片隅にしまい込まれてしまうのかもしれない。そうなったとすれば、それはそれで仕方のないことで、復元品の資料価値の低下を嘆くよりも、「三池カルタ」の真実にさらに近づけたことのほうを喜ぶべきなのであろう。そんな気持ちで復元品を受け止めている。

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