私は、『ものと人間の文化史173 かるた』で、民俗学における賭博系の遊技の黙殺を批判した。ここで、民俗学におけるカルタ文化、かるた文化の取り扱いについて繰り返しになるが簡単に触れておきたい。

柳田國男に始まる日本の民俗学は、当初は民間の好事家の活動のように見えたが、その後、社会的な評価が高まり、今日では大学などの研究機関にも相当の位置付けを持ち、学会も存在している。だが、その研究のあり方については様々な議論があり、柳田の唱えた「常民」については学問研究上の概念としての是非について疑問も提起されている[1]。ここでは、しかし、こうした民俗学そのものを議論するつもりはない。ここでは、創始者の柳田が民俗学の枠組みを考察して調査の項目を設定する際に、勤勉、実直な「常民」のイメージに合わないとでも考えたのであろうか、全国各地に、多様にそして豊富に存在していた賭博の文化を対象外に置いてしまったことを指摘しておきたい。賭博はいつの時代でも人々の生活の基本的な構成要素の一つであり、また、各時代、地域によって異なる、特徴ある魅力的な文化の様相を示していたのであるが、いわば柳田の偏見のために、賭博そのものとその周辺に存在していた賭博系のカルタについては、カードの製作も売買もその使用、遊技の展開も無視されて、記録されないままに多くの情報が消滅していった。

柳田には、明治時代(1868~1912)、大正時代(1912~26)の社会と風俗を回顧して書いた『明治大正史-世相編-』[2]がある。これは昭和六年(1931)の時点で過ぎ去った明治、大正期に存在していたのにすでに消え去ろうとしているものを懐かしく惜しがって書いた作品であるが、主題として「眼に映ずる世相」「食物の個人自由」「家と住心地」「風光推移」「故郷異郷」「新交通と文化輸送者」「酒」「恋愛技術の消長」「家永続の願ひ」「生産と商業」「労力の配賦」「貧と病」「伴を慕ふ心」「群を抜く力」「生活改善の目標」とユニークに設定しているがそこには賭博関係のものは入っておらず、明治の社会をあれほど騒がせて国民娯楽の首座に就いた花札についても一言もない。賭博は、そしてそこに、またその周辺に花咲いた花札は、明治期(1868~1912)、大正期(1912~26)の「世相」からも消されたのである。

そして、柳田学派に属するその後の民俗学研究者たちは、こうした柳田の偏見と研究の欠陥を修正するのではなく、既に設定されている賭博無視という枠組みと調査項目をそのまま踏襲しており、とくに昭和後期(1945~89)に盛んになった市町村レベルでの地方史、郷土史の書籍の刊行に際しては行政の下請け作業を担って調査にあたりあるいは執筆を行ったのであるが、その際には柳田の教えに忠実に賭博を無視して調査、執筆にあたり、その結果として全国各地の地方史において賭博の事実も花札も扱われないという異常な事態を迎えることとなった。

皮肉なことに、こういう自治体刊行の地方史の書物には、その全体のボリュームを豊かにして古文書の解読などで仕事を増やす就労の動機もあったのであろうが、膨大な「史料編」が附置されることが多く、そこには、江戸時代の代官所や明治時代の警察署などの犯罪取締り記録が活字化されて掲載されていることがある。ときには土地の古老の回顧録に昔の賭博の思い出が含まれることもある。したがって、史料編には地域の人々の賭博行為の実例が具体的に記されているのであるが、本文を読めば、賭博に関する説明は一切消滅しているというアンバランスな書物になっている。

これは、柳田神話を金科玉条とする民俗学のあり方そのものの問題であるが、私は民俗学の研究者ではないしその学会の会員でもないので民俗学そのものの当否はさておくとして、民俗学研究者によって全国各地の賭博文化史の痕跡が消し去られたという事情だけは書いておかねばなるまい。それも、民俗学内部での研究項目として無視するのであればまだしも、高額の経費を公的な財源から支出させ、長期間をかけて行われた市町村史という歴史の叙述において、歴史学として賭博文化を消し去ったのであるから罪はいっそう深い。ここで「もし」という言葉を使うことはフェアでないかもしれないが、もし民俗学研究者が全国各地のかるた文化をせめて調査して歴史史料として記録保存していたのであれば、昭和時代後期(1945~89)のかるた遊技史の理解がこれほどに混迷することはなかったのではないかと思う。また、将来、歴史研究者が昭和後期(1945~89)、平成期(1989~2019)の地方史の書籍のデータを基にして日本の社会史を書くときに、賭博に関するデータはないのだから地方には賭博は存在しなかったのであるという賭博不在論に走る危険性があると思う。ここで、民俗学研究者による花札史の無視の上に描かれている地方史は歴史の実像ではないと将来の研究に向けて警告を残さねばならないのはいかにも残念である。


[1] 大月隆寛『民俗学という不幸』青弓社、平成四年、一一三頁。

[2] 柳田国男『明治大正史―世相編―』朝日新聞社、昭和六年。

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