天正カルタ版木莨箱
「天正カルタ版木莨箱」
(滴翠美術館蔵、
江戸時代前期)

⑧「カルタ版木莨(たばこ)盆」と⑨「天正カルタ版木煙草盆」であるが、前者は、美術工芸雑誌『美術・工芸』昭和十七年(1942)五月号の無署名小記事「天正かるたとうんすん多加留(加留多の誤植?)」に縦一センチの小さな写真でカード十枚分添付されているものであり、後者は『うんすんかるた』にカード十六枚分の拓摺りが掲載されているものである。両者の画像はよく似ていて同時代の天正カルタと思われる。後者は縦五・五センチ、横三・三センチで中期の作品と思われる「天正カルタ版木重箱」よりもさらに一回り小さく、賭博系カルタの大きさに近い。前者については残念だが計測の記録がない。これらのカルタの図像については判断の元となる図像のデータが少なくて確かなことが言いにくいが、全体に簡略化されて縮小されており、装飾的な花模様や唐草模様が消えているので、「一」のカードの図像は残されていないのであるが、そこには火焔も花もないと推測される。

⑧と⑨の史料はカードの枚数も少なく、不明なことが多いが、それでも興味ある事実も見える。まず、両者ともに、四紋標の「キリ」のカードが四枚横に並んでいる部分を含んでいる。日本のカルタ制作では、江戸時代前期(1652~1704)の終わりころ、元禄期(1688~1704)ころまでに板目木版に移行して、一枚の版木に四十八枚のカードがすべて収まるようになった。その際に、手彩色の工程で便利なように版木の中央に絵札を集めるのが通例となり、とくに六條坊門のカルタ屋「ほてい屋」は四枚の「キリ」を横一線に並べて配置した。これは「松葉屋」系の版木の配列とは異なる。だから、四枚の「コシ」のカードが横に並んでいることから、それが板目木版の版木を切断して加工したことと、六條坊門の「ほてい屋」かそれに近い系統のカルタ屋の版木であることが判明するのである。

この判断をさらに補強するのが、前者の十枚のカードの中の一枚が「コップの六」のカードで、その中央に写真では不鮮明で解読できないが文字らしいものが見えることである。もともとヨーロッパのカードでは「コップの六」と「オウルの四」に製造者表示の文字があったが、「オウルの四」とこの「コップの六」に製造者の住所、店名を正確に書き入れるようになったのは元禄期(1688~1704)に栄えた「ほてい屋」の才覚で、その慣習は長く残って現代のカルタにまで続いている。また、江戸時代後期 (1789~1854)の物であるが「コップの六」に「ほていや 理兵衛」とあり、また、「オウルの四」に「五条橋通 たいこ町 ほていや 理兵衛」と四行に分けて書かれている賭博系のカルタが知られている。この点からも、⑧や⑨は江戸時代前期(1652~1704)に「ほてい屋」かそれに近いカルタ屋が制作していたことが分かる。


[1] 京都におけるカルタ制作地について、江橋崇『ものと人間の文化史173 かるた』、法政大学出版局、平成二十七年、九九頁。

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