メニュー

(五)手札の偏りによる役

「五くるま」役は、配分された札の数字が繋がっている場合である。「五」「六」「七」「八」「九」「十」「馬」「キリ」の八枚にもう一枚あって九枚になる。これを「五」から出すと、「キリ」まで八枚連続で処理できる。そして、「キリ」を出した者は次に自分の好む数字の札から次の巡を始めてよいのがルールなので、手中の九枚目の札は何であっても打つことができて、一手で上がることになる。これは最善の組み合わせの手札である。

『雨中徒然草』は、この役の上がり方に関して、最後に打つ札によって役点が異なることを示している。「コップのピン」であれば一ツ、「釈迦十」であれば五ツ、「青馬」は三ツ、「青きり」は三ツ、「青二」は五ツ、「太鼓二」は四ツ、「青三」は三ツ、「あざ」は扱い、である。その意味するところはよくは分らないが、「コップのピン」を除けばすべて「金入札」であるから、これは九枚目の手札が金入札である場合の特別の加点を意味し、それ以外の平札で打ちあがる場合は「コップの一」のように一点ということであろう。太楽先生はここまで書いて、いや待て、そういえばこの他に「青五」で打ち上げるときは「助高屋(すけたかや)」という役だったと思い出し、それを追記しているうちに、「五車の青とめ」を思い出した。九枚目の札が「青」の平札、「青四」から「青九」までの札だったらあつかいになる。そのうち「青五」止めの場合にだけ「助高屋」という別名が付いていたのだ。

こうなると、太楽先生に質問したくなる。「五車(ごくるま)」役は「四車」役とか「六車」役とかもある中の一例なのか、それともこの連続札の役は「五車」役だけなのか、である。「六車」は成り立ちにくい。「六」から「キリ」まで出せば七枚で二枚残る。二枚が連続した数字であれば一度に出せるが、そうでなければこの回には上がれない。「七車」「八車」になれば残る札は三枚、四枚と増えるので困難はさらに増す。だから「六車」「七車」「八車」はない。「四車」はありうる。「四」から「キリ」まで出せば九枚一度に打ち切れる。だが、これはちょっと見方を変えれば、「五車」の「四」上がりだとも言えるから、「五車」という役に含まれると解しても差し支えない。「三車」「二車」は八枚が並んでも「キリ」まで届かないのでこの役には含まれない。

ここを埋めるのが「一九(いつく)」役、「二十(にじゆ)」役、「三馬(さんま)」役、「四切(しきり)」役である。「一」から「九」まで揃っているのが「一九」役で、「二十」役は「二」から「十」まで、「三馬」役は「三」から「馬」まで、「四切」役は「四」から「キリ」までが揃っている場合である。「四車」と同じ役の別名である。一手で上がる場合もあるし、とても有利な配札である。役点の表示はない。

これに似ているのが「一八の切」役、「二九の切」役である。「一」から「八」までに「キリ」一枚の組み合わせで、役点は一ツ、「親で打きり」とある。最初に「切」を出して、続いて「一」から「八」、あるいは「二」から「九」までを出す。確かに親がこうすれば一手で打ちきりである。簡単過ぎて面白くない。役点は一ツである。このほかに「ピンピン八」役、「三ピン七」役、「四一六」役もあるが役点の記載もなく、詳細は不明である。

以上の数が並ぶ手札の役は、どの紋標の札であっても良いのだが、位の高い「青」の札が集まっている場合は、さらに別の役となる。「九花(くはな)」役は「青」の数札、つまり「花」札が九枚集まった時の役である。同様に「八花(はちはな)」役は「花」八枚に他の紋標の白絵札一枚か「青」の絵札一枚が加わったもの、「七花(しちはな)」役は「花」七枚に、他の白絵札か青の絵札二枚、「六花(ろくはな)」役は「花」六枚に、他の白絵札か青の絵札三枚である。九花役の場合、「青」の「二」から「九」まで全部集めても八枚なので、「花」を九枚揃えるのは原理的に無理である。そこで佐藤要人は「エビ二」を「花」に見立てて九枚にしていると説明してが、その根拠ははっきりしない。本書では、六花役の説明の後で、「「太鼓二」此ニ入レて文金と云。いつれの花にても此二有れバ文金入とて外に一役取」とあるので、むしろこの「太鼓二」を九枚目と見立てていると考える方が自然であろう。九花役は「青」の「二」から「九」までに加えて「太鼓二」であり、常に文金の役が付く。

以上の、手札の数が並んでいてとても有利な場合と逆に、とても不利なのは手札が固まっている場合である。同じ数の札が二枚、二枚、二枚、三枚であるときは「撥(はね)」役である。また、同じ数の札が三枚あるときは「揃(そろ)」役である。揃役の場合は最低三回巡らないと打ち切れない。さらに、揃役の上下の数がないと連続して出すことができないのでさらに上がりにくい。そこで、揃役の役点は一ツとしたうえで、三枚ある「揃」に連続する数の札がないときは「上なし」役が一ツ、「下なし」役が一ツ、「切なし」役が一ツとされ、「九なし」役は役点不明、「十なし」役は五ツとほうびとされている。説明文中には「切なしの揃四ツほうひ」とある。前の説明の「切なし一ツ」との関係は不明である。

配札が極端に不利なのは三枚の組が三つある「三々揃(さんさんそろ)」役である。いずれもなかなか上れない不運な配札である。撥役の内、二枚札三組の外の三枚組の札が「キリ」である場合は「切撥(きりはね)」役で五ツ、「ピン撥(ぴんはね)」役は三ツ、「虫撥(むしはね)」役はあつかいである。ピン撥役と虫撥役の関係は分らない。佐藤要人は、ピンの札は二枚しかないので、ピン撥役はピン二枚に「エビ二」を加えたもので、虫撥役は虫二枚に「あざ」を加えたものとしている。この解釈はやや強引であり、私は、ピン撥役はピン二枚にアザ一枚の場合、虫撥役は二枚同じ数の札が四組あり、そこにアザがある場合と考えている。アザをキリと見立てれば切撥役、ピンと見立てればぴん撥役になるが、そうするまでもなくあつかいになる。なお、三々揃役に一枚だけ異なるものを「あぶな」役と呼び、その異なった札がアザであるときを「虫入りあぶな」役と呼ぶ。この虫入あぶな役は「虫入三々揃(むしいりさんさんそろ)」役でもある。

「九度(くど)」という役がある。九枚の手札がすべて奇数なのが「半目の九度(はんめのくど)」役で、偶数なのが「長目の九度(ちようめのくど)」役である。いずれも、同じ数の札が二枚ずつ四組に、一枚の札で構成されていて、すべてを出し尽くすのに九巡り必要な最悪の配札であることからこの名称が付いている。『雨中徒然草』の例示は「例えバ壱ト三ト五二まへ、七弐枚、九二まへ、十壱まへなど」で、これでは合計十一枚になってしまうし、「十壱まへ」は「十一壱まへ」でないと具合が悪い。

「五下(ごした)」役は五より小さな数の手札が九枚あるときの役で、これもとても不利である。これが八枚に「釈迦十」一枚があるときは「西のかはら(賽の河原)」役、「青きり」の場合は「しゆらとう(修羅道)」役、「青馬」であれば「ちくしやうとう(畜生道)」役である。役点は不明である。

この「五下」役をさらに凝縮したのが「四下(しした)」役である。手札九枚がすべて四以下の数のものであるというから、撥役、あぶな役、三々揃役のいずれかに重なる。役点は「出してあつかい」である。

これと逆に配札がすべて「八」より大きい数の場合が「八上(はちかみ)」役で役点は五ツ、「九」以上であれば「九上(くかみ)」役で、役点はあつかいである。この先にすべての札が「十」以上に固まることもありうる。これが「十上(じうかみ)」役であるが、これはすなわち三々揃役である。

なお、「ひん」「十」「馬」「きり」「虫」の札を「生物(いきもの)」札と呼ぶ。これが九枚あれば「惣生(そういき)」役である。以下、生き物八枚の「八生(はちいき)」役、七枚の「七房(しちぼう)」役、六枚の「六房(ろくぼう)」役と続く。役点は惣生役があつかい、八生役が「五ツ 四ツほうひ」、七房役が「五ツ 二ツほうひ」、六房役が四ツである。この役点の配分はよく分からない。惣生役に付いて「惣生あつかうはわきにけつして白絵有によりめつらしき故ほうひ也。惣青はのそミなき時出ては半あつかいなり。是は高キ人の知所也。」という追記がある。生物札は十二枚だから、惣生役で一人に九枚集まれば他の者の手札には合計三枚しか残らず、白絵になる。とても珍しいからほうびだという説明は納得できる。だが、後半の文章はよく分からない。「惣青(そうあお)」役、つまり青の札が九枚というのも惣生役と同様に珍しいが、のぞみのない時に出れば半扱いという意味が分からない。また、佐藤要人は、例えば八生役は役点が五ツでほかにほうびが四ツ付くと説明しているが、役点配分の基本的な約束に反するように思える。ここは例えば、残り一枚が青の数札であれば五ツで、他の数札であれば四ツにほうびということではなかろうか。いずれにせよよく分からない。  

役の紹介の最後に「くすし(崩し)」役を扱いたい。これは手札が芳しくなくて撒き直しを求めることができる特殊な効果の役である。同時に役点が付くところが興味深い。まず「二くつし(二崩し)」役は、九枚の手札の中に「二」の札が三枚ある場合で、遊技開始前にそれを示せば崩しが成立して配り直しになる。その際、残りの六枚が白絵であれば役点があつかいになる。ゴミ入りであっても役が成立する仲間もあるようだ。要するに一発逆転の不戦勝になる。但し、この役は競技開始前に宣告しなければならず、ゲームを始めた後に気付いてももはや無効で主張できない。同様に「馬」の札が三枚ある「馬くつし(馬崩し)」役、「馬」の札三枚にピンの札が一枚ある「白馬くつし(白馬崩し)」役、ピンの札が三枚ある「ひんくつし(ピン崩し)」役もある。但し、馬くつし役には「尤切有りてはくすしにならす」とある。「馬」を三枚もっていれば他の者は出せないので一枚は簡単に出せる。その際に「切」もあれば続いてそれを出し、次にもう一枚の「馬」を出して次のものに手順を渡せばよい。こうすれば「馬」は二枚処理されたことになり、残った一枚は次の巡で出せる。崩しの役にするほどのことではないということであろう。また、ひんくつし役については「おやてになし」とある。親は三枚のピンを持たされたとはいえ、一枚のピンの札は遊技の開始時に出すし、もう一枚は「あざ」だから、処理に手間取るのは残り一枚のピンだけであり、さほど不利とは思えない。「崩し」で撒き直しにするのを嫌ったのであろう。

この他に「五まへくつし(五枚崩し)」役がある。同じ数の札二枚が二組あり、さらにもう一枚特定の札があれば崩せる。ここでは「大引馬ひん(おおびきうまひん)」「まちかい」「十ひん(じつひん)」「二まい二まい」の四種類の崩しが説明されているが、いずれも比較的に容易にできる役であり、参加者中の四人目の者、大引にだけ認められた「崩し」役である。大引馬ひんは「馬二まへひん二まへなり」、まちかいは「馬ひんのうち二まへと一まへ有を云」、「十ひん」は「十三まへひん一まへ也」、「二まい二まい」は「ひん二まえに二弐まへにても」である。佐藤要人は「二枚二枚くずし」の説明に「にても」とあるのでこれ以外に本命の「二枚二枚崩し」の役があると推測している。よく分からない。

『雨中徒然草』には、この「崩し」役の説明の後に妙な注意書きがある。「二なし三三まへ」という手札である。「是は二くつし有ゆへにねられす」と書かれている。自分の手札に「二」がなくて「三」が三枚あるときは、確かに「二」は他の競技者の手中にあるのであり、それが一人の手札に集まって「二崩し」になっている確率は一割強であるから、先に落ちて残った三人のゲームを成立させて「二崩し」を主張できないようにするという妨害行為をしてはならないというように読める。これまで、読みカルタは四人で行う遊技として考えてきたのに、ここでは三人の遊技が説明されている。本書の最初の頃の説明で、四人のうち一人が抜ける遊技法が書かれていたことに対応している。ここで、「降りる」よりも「崩し」役の方が優先することが分かる。また、一人落ちる際には、その者の手札は「落絵」扱いにすると理解していたが、それが改めて確認できる。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です