榛原茂樹が中国、北京の骨董店で発見した榛原牌については、「二 「自由麻雀」時代の麻雀牌」ですでに扱った。榛原は生涯これが1864年以前の古牌と信じていたようであるが、実際は、1920年代の自由麻雀の時代の産物であった。一方、梅蘭芳にも、この時代に特注で作らせた梅蘭芳牌がある。ここで、この梅蘭芳牌について細かく見ておこう。

梅蘭芳牌は、麻雀博物館が所蔵し、『麻雀博物館大圖祿』でほぼ実寸大に近い大きさで紹介されているので詳細が理解できる。そこにあるように、風牌は「遊」「龍」「戯」「鳳」で、三元牌が「演」「劇」「白」である。世には三元牌が「龍」「鳳」「白」のいわゆる「龍鳳白牌」があるので紛らわしいが、「遊」「龍」「戯」「鳳」はいずれも風牌の色、濃紺色である一方で、「演」は「紅演」で「劇」は「緑劇」であり、明らかに「紅中」「緑發」に相当する。最高の男優は演劇の世界で皇帝のように遊び、最高の女優は妃のように戯れる。梅蘭芳の強烈な自我意識が表されている。

一方、花牌は、「名」「伶」「表」「演」「古」「今」「趣」「史」である。伶は、「伶悧」で「怜悧」と同様に「賢い」「利口な」の意味を持つが、元来は「俳優」「楽人」の意味である。だから、この八文字は、名優が古今の趣のある歴史を演じるという意味であろうか。これもまた梅蘭芳のプライドを表している。そして、「一索」は、大きな鳥が地球儀の上を飛翔しており、世界的名優の自負心が示されている。私は、1920年代の「自由麻雀」の時代でも、これほど強烈に自我を表した牌の例を他には知らない。

「筍一索牌」
「筍一索牌」

なお、ここで、「索子」の「竹節」化について指摘しておこう。「索子」を「竹節」と理解したのは主としてアメリカの麻雀界で、“Bamboo”と表記された。「索子」は元来百枚の穴開き貨幣の束であるから、「索子」の図像に横線が入ることはあっても縦線は入らない。一方、「バンブー」牌では、竹らしく、縦線が入り、節の部分が横にはみ出す。したがって、「索子」を「竹節」と表現した牌は中国から対米輸出用のものが多く、おもしろいことに、大正年間(1912~1926)に日本の大日本セルロイド社が制作したセルロイド製の麻雀牌も「竹節」型であり、「白板」牌には枠が彫られており、各牌に英語の数字やイニシアルが入り、それが主として対米輸出用の物であったことを物語る。なお、「自由麻雀」の時期に「索子」を「竹節」に表現するようになると、「一索」牌が「鳥」を表していることに違和感が生まれたのかこの牌の図柄が自由に変化し始めて、ついには、「一索」は「竹」の連想で「筍」とする牌までが現れるようになった。

私は、「花辺牌」は、自由麻雀の気風が濃い時期に、多分中国の南部に現れた、この時期の自由な空気を自由麻雀牌の代表作であろうと思っている。梅蘭芳と榛原茂樹がこの牌で遊技した可能性は相当にある。この牌は日本国内にあって骨董市場に現れ、麻雀博物館が 購入した。梅蘭芳の手を離れて博物館の手に帰するまでの流転の様は分からないが、いずれにせよ、梅蘭芳から日本人の誰かに友情の印として贈呈され、日本に持ち帰ってきたものと推測される。言うまでもなく、榛原茂樹は最重要な関係者であるが、史料がなく、確たることは言えない。

榛原には、この牌に触れた文章はない。いや、梅蘭芳との友情や麻雀を共に楽しんだ時代の追憶の文章もない。私は、ここにも、無用な友人自慢をしない榛原の謙虚な人柄と、人民中国の英雄になってしまった梅蘭芳の若き日の放埓を暴露して今の立場を傷つけまいとする配慮、忖度を感じている。二人の友情は静かに深い。

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