三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (六)「やまと絵」の本流、土佐派の絵師が描く絵合せかるた こうして、絵合せかるたを江戸時代の日本の美術史の中でどう理解するのかという課題が浮上するのであるが、それはすなわち、日本におけるミニアチュール美術史の理解に直結する。これに触れることは、この方面にずぶの素人である私には、足もすくむ課題である。無知から生じる誤りを恐れ、最小限の記述にとどめたい。 まず明らかなのは、絵合せ... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (五)絵合せかるたの制作年代の測定 発見者である私の思いは、かるた札の制作工程に及ぶ。江戸時代の朝廷に「歌留多所」という部署があったとは知らない。つまり、美麗な絵合せかるたは内裏の中で制作されていたものではない。そうではなく、内裏のすぐ近くに店を持つ、二條通り周辺の手描きかるた屋に発注して、繪所預が描いた図像を生かして、かるた屋の工房でその技を生かしてか... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (四)絵合せかるた札は江戸期のミニアチュール絵画の粋 絵合せかるたのかるた札は散逸が激しいが、何点かの遺品がある。その中で特筆するべきなのは兵庫県芦屋市の滴翠美術館が蒐集した何点かのもっとも古く、美麗なかるた札である。また、大聖寺や宝鏡寺などの京都の門跡寺院にも、何点かのきわめて上品な、細密画法で描かれたかるた札が伝えられている。これらは、絵合せかるた史の研究上は最重要な... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (三)使用するかるた札の枚数の削減と図像の変化 四枚絵合せかるたでは一組の札が合計二百枚、ないし四百枚になって大部に過ぎるので、実際に遊技する際には一組の札を全部使うのではなく、貝覆の遊技法と同じように、一部の札に絞って少ない枚数で遊技して、ゲームをスピードアップするとともに札を釣り取りやすくする遊技法の改良が起きた。それに応じるように、絵合せかるたの札の構成にも変... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (二)釣り取る相手を選ぶ遊技法の登場 日本の遊技文化の歴史を見ると、新しい遊技が登場して古い遊技を凌いでいく過程は、何か大事件があって古い遊技が断絶して一挙に交代する革命劇が起きるのではなく、古い遊技が遊ばれている社会に新しい遊技が後発して、両者はしばらくの間併走して競争し、そのうちに新しい遊技法の人気が高まってそちらを用いる人々が増えて、古い遊技法が徐々... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (一)一紋標が四枚の「絵合せかるた」の誕生 こうして貝覆の伝統を引き継いで成立した絵合せかるたであるが、数十年後の貞享年間(1684~88)や元禄年間(1688~1704)になると、図像は二枚が対をなすものから二枚とも同一の図像の、制作が簡便で安価なものに替わり、ただ札の図像の主題を説明する文字が、一枚では漢字で、もう一枚では平仮名で書かれている点で、前段階のか... 館長