江戸時代後期(1789~1854)には、「いろは譬え合せかるた」の外にも、「字札」を「読み札」として、「絵札」を「取り札」として使う「絵合せかるた」の遊技が盛んであった。山口吉郎兵衛の著書『うんすんかるた』や集古會の機関誌「集古」に掲載された展示会記録にも「鳥類合せカルタ」「野菜青物尽絵合せカルタ」「士農工商器材尽絵合せカルタ」「虫合カルタ」「花カルタ」「がらカルタ」「鳥合せ加留多」「江戸名物いろはカルタ」「貝合加留多」「風流花鳥カルタ」など、大人向けの「合せかるた」が数多く登場する。展示会の記録上は制作年代が明らかでないが、出品されたかるたの多数は江戸時代後期(1789~1854)から幕末期(1854~68)にかけてのものと思われる。
次に、江戸時代後期(1789~1854)には寺子屋での教育も進んできたので、幼児に文字を教える趣旨も加わって、「草花合せかるた」「樹木合せかるた」「虫合せかるた」「動物合せかるた」「器物合せかるた」などの幼児教育に適した木版のかるたも出回った。いずれもごく単純に、日常の自然や身近な動植物、日用の器物、衣類などを描いた絵札とその名称を書いた字札で成り立っていた。中には万延元年(1860)の「子供かるた」のように江戸のこども言葉を集めたかるたも出現している。
また山口が蒐集した「絵合せかるた」の中には、上流階級の家庭用のごく上質のものも多い。一部に江戸時代前期(1652~1704)のものも混じるが、基本、江戸時代中期(1704~89)、後期(1789~54)に制作された大型で手描きの「草花合せかるた」「鳥合せかるた」「虫合せかるた」などは何組か残されているし、さらに、武家の家庭用であろうか、「御歴代史絵入りかるた」「軍陣武具絵合せかるた」「大名船印絵合せかるた」「下座見かるた」「武鑑かるた」「大名かるた」「御役人加留多」「大名道具かるた」なども制作されていた。
江戸時代後期(1789~1854)には、「絵合せかるた」は基本的には字札のカードと絵札のカードを合わせ取るか、字札を読み上げて絵札をとる遊技法で遊ばれたが、「絵合せかるた」というものは、江戸時代前期(1603~52)には、カードごとの題材に応じた対になる絵のある二枚を合わせ取るものとして誕生し、両者が対であることを明確にするように、その題材の名称が、一枚のカードには漢字で、もう一枚のカードには平仮名で書かれており、前者を「漢字札」、後者を「仮名札」と呼ぶことになった。それが、江戸時代中期(1704~89)になると、カードの制作方法の簡略化が起きて、二枚のカードに題材に応じた同一の図像が描かれ、一方のカードにのみ平仮名で題材の名称が書かれるようになった。これを「字札」と「絵札」と呼ぶ。そしてさらに簡略化が進み、平仮名の表示があるカードから図像が消えて文字の表記だけが残った。「字札」は「読み札」になったのであり、これに対応して「絵札」も「取り札」と呼ばれるようになった。江戸時代後期(1789~1854)の「絵合せかるた」には、こうした「読み札」「取り札」という構成のものが多いが、中には一対のカードの二枚がともに「絵札」でそれを合せ取る昔ながらの「絵合せかるた」もあった。
なお、江戸時代中期(1704~89)、題材ごとに絵札が二枚であった頃の「絵合せかるた」にもう一つ大きな変化が起きている。世界各地のカルタ文化史で生じていることであるが、それまで使用していた同種のカルタを二組同時に遊技に使用する新しい遊技法の開発であり、このデュプリケイション(duplication)が「絵合せかるた」でも起きたのである。ここに成立したのが、一つの題材につき四枚のカードがある「絵合せかるた」である。江戸時代中期(1704~89)に流行した同じ絵柄のカードが二枚の「絵合せかるた」は同じ絵柄のカードが四枚という組み合わせになり、それではさすがに単調に過ぎるのでそのうちの一枚はいっそう華美に描いて役札ないし高得点のカードにするものも生じた。一方、江戸時代前期(1652~1704)から伝来した二枚のカードが対応する図像であった「絵合せかるた」では、四枚が各々その題材にちなむ異なった図像であるようなものになった。この一組四枚の「絵合せかるた」の代表は「花合せかるた」であるが、ほかに、「狂言絵合せかるた」などの実例もある。