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四 関西地方の「いろは譬えかるた」

「いろは譬えあわせかるた」の発祥の地は上方、大坂である。時期は、江戸時代中期(1704~89)の後半、物事をいろは順に揃える文化が大流行した天明年間(1781~89)頃に、それまで一組が五十対・百枚か百対・二百枚の「譬え合せかるた」を制作していた大坂のかるた屋で、それをいろは四十七文字・九十四枚に縮小再編成する新しい考え方が生じた。それには、多くある譬えの中から頭文字に従って適切なものを選ばなければならない。選んだ時期の違いというより、制作したかるた屋の好みの違いと思われるが、何種類ものかるたが誕生した。「い」の札では「石の上にも三年」「鰯の頭も信心から」「一寸先は闇」「いやいや三杯」「石原を薬鑵曳く」などがある。

 

この大坂出来のいろはかるたのうちの何種類かは京都でも子どもの人気を得て遊ばれるようになった。江戸から京都に来た者は、関西地方の事情に明るくないままに、都の洗練された文化へのあこがれの気持ちでこれを京都のいろはかるたと記録した。京都で子どもらが遊技しているかるたという意味では正しいが、京都製のかるたとするのは誤りである。また、京都でこれを制作するとしても、それは大坂のいろはかるたを現地生産したということに過ぎない。後に、このあいまいな事情を誤解して、京都には京都製のかるたがあり、それこそが日本最古のいろはかるたであり、京都こそが発祥の地であるという本家争いを始めたのが任天堂である。その宣伝に鈴木棠三が協力して権威付けを試みた。数十年後に今度は大石天狗堂が同じように京都発祥のいろはかるたなるものの存在を主張し、吉海直人がそれの宣伝に協力して、そもそも実体が不存在なのだから当たり前であるが、同じように失敗に終わったこともすでに扱った。

 

この関西地方の多様ないろは譬えかるたの一部が江戸に流れた。幕末期(1854~67)に斎藤月岑は自分が子どもであった化政期(1804~30)を偲んで『翟巣漫筆』中で四種のいろは譬えかるたを記録したが、そこに、その文化文政(1804~30)年間の「北斎のいろはたとへ」よりも以前からある「昔よりありしいろはたとへ哥かるた」を記している。それが関西地方発祥の「いろは譬えあわせかるた」であるので、江戸では、江戸時代中期(1704~89)の終わり頃にまず関西地方のかるたが伝わって流行し、その後、文化文政年間(1804~30)頃までに江戸に独自のかるたに変化したと考えられている。このことはすでに触れた。

 

そしてその後、江戸時代後期(1789~1854)、幕末期(1854~67)には、今度は江戸で盛んになった江戸風のいろは譬えかるたが関西地方に流れた。江戸のいろはかるたは、多彩色の木版摺りでカラフルに美しく仕上げられており、札の大きさも今日のトランプ並であったので様々な情報を盛ることができ、それなりに魅力的であった。一方、関西地方のいろは譬えかるたは、後に道斎かるたとして残ったものの形が示すように、花札の大きさの小型かるたであり、文字数は少なめで、絵札の彩色も単純であっさりとしていた。そして関西では、このかるたを絵札で一枚、字札で一枚、併せて二枚の紙に墨一色の木版で摺って販売し、購入者の側で裏打ちをして切り放して遊技に使う例が多くあった。その場合、購入者は、包装されているのでパッケージ上の情報だけで選択させられる江戸のかるたと違って、一組のかるたの中身を全部眼にすることになるので、じっくりと検討するには好都合であった。中身を確かめねば容易に信頼しない買物は関西人の風習であろう。その結果、関西では、関西人の好みに合った内容の、大坂発祥のいろは譬えかるたが長く愛好された。

 

このへんの事情については、すでに鈴木棠三、森田誠吾らによって詳細に研究されている。とくに森田は、かるたに採録されている譬え、諺の中身に立ち入って、同時代の文献とも照合して、上方のいろは譬えかるたは天明年間(1781~89)頃の発祥であり、江戸のそれは遅れて文化年間(1804~18)頃の発祥であろうと判断した。私はそれに概ね同調しており、ここでそれを繰り返すのを避けて省略させていただき、一、二点を補足的に説明させていただこう。

 

ひとつは上方のいろは譬えかるたの双六である。私は自分で新たに発掘することはできなかったが、森田は自己のコレクションに幕末期(1854~67)の関西地方の「新板以呂波譬飛廻雙六」㊤㊦二枚を所蔵しており、昭和四十五年(1970)刊の『昔いろはかるた』の冒頭に、江戸のいろは譬えかるたの内容を示す大橋堂版の「新板いろはたとへ雙六」とともに掲載して、東西のいろはかるたの「代表例」とした。これは㊤、㊦となっているが各々独立した紙双六であり、㊤では「い」の「いづすんさきやみのよ」が「ふりはじめ」で、二十四コマ目の「うちよりはそだち」で「上り」になる。㊦は、「ゐわしのかしらもしんじから」で始まり、「京にゐなかあり」で「上り」になる。各々のコマにはカルタの絵札のような挿画があり、切り離せばそのままかるたの絵札、字札になる仕掛けである。参考のために、同書から引用して紹介しておきたい。

 

新板以伊呂波譬飛廻雙六㊦
新板以伊呂波譬飛廻雙六㊦

新板以伊呂波譬飛廻雙六㊤
新板以伊呂波譬飛廻雙六㊤

 

もう一点は、この時期の世相をいち早く写した、大阪平野町淀屋橋角の石川和助が出版した「いろは短哥」というかるたである。ここでは幕末の戦乱が取り上げられているが、全体としては冷ややかに事態の推移を見ており、幕府軍、官軍のどちらにも明確には味方していない。以下に全文を紹介するが、これは江戸のいろは譬えかるたを皮肉っぽくもじったものである。「かつたいのかさうらみ」が「かつたるはくはんぐんかた(勝ったるは官軍方)」になり、「るりもはりもみがけばひかる」が「るりよりひかるにしきのはた(瑠璃より光る錦の旗)」であり、「むりがとほればどうりひつこむ」が「むりがとふるかたてたはた(無理が通るか立てた旗)」、「ゆだんたいてき」が「ゆだんのならぬたいちよう(油断のならぬ隊長)」、「おにもじゅうはち」が「おににもにたるかごしま(鬼にも似たる鹿児島)」、「ゑんはいなもの」が「ゑんもゆかりもみさかいなし(縁も所縁も見境なし)」、「やすものかいのぜにうしない」が「やすみつこなしの大たゝかひ(休みっこなしの大戦い)」、「ちりつもつてやまとなる」が「ちがつもりて川となる(血が積もりて川となる)」、「くさい物にはふた」が「くさいものはしびとのやま(臭いものは死人の山)」である。一般の庶民にとっては、「はなみどころがたいへん(花見処が大変)」で、世の中が乱れれば「ぬす人のつけめ(盗人の付け目)」、「なきつらみのみにひま(泣き辛みの身に閑)」「げいにんはみがたゝぬほどのふけいき(芸人は身が立たぬほどの不景気)」で「びんぼうひまあり(貧乏閑あり)」といい迷惑である。

 

当時の大阪人の、世相に対する物の見方が興味深いが、それとともに、関西人が江戸風の譬えに好意を持っていればこういうおふざけには利用しなかったであろうから、そこに関西人の江戸いろは譬えへの違和感も感じられる。短気な江戸っ子であれば、「うちの譬えを勝手におちょくるな」とけんか腰になるであろう。そうした意味で、これは、関西における江戸いろはかるた受容時の皮肉な一史料と言える。

 

いろは短歌㊦
いろは短歌㊦(石川和助)

いろは短歌㊤
いろは短歌㊤(石川和助)

 

いろは短歌(石川和助、幕末期)

 

「いぬもくはないうちわのけんくは(犬も食わない内輪の喧嘩)」

 

「ろんがたたゝぬとこのむほん(論が立たぬとこの謀反)」

 

「はなみどころがたいへん(花見処が大変)」

 

「にくまれぞくとはよをさはがせ(憎まれ賊徒は世を騒がせ)」

 

「ほねおりそんではみがたゝぬ(骨折り損では身が立たぬ)」

 

「へうろうたくのはしものやく(兵糧炊くのは下の役)」

 

「としよりはおのぞき(年寄りはお除き)」

 

「ちがつもりて川となる(血が積もりて川となる)」

 

「りちぎものはきづたくさん(律義者は傷沢山)」

 

「ぬす人のつけめ(盗人の付け目)」

 

「るりよりひかるにしきのはた(瑠璃より光る錦の旗)」

 

「をいては子にすてられ(老いては子に捨てられ)」

 

「われゝゝもたちのく(我々も立退く)」

 

「かつたるはくはんぐんかた(勝ったるは官軍方)」

 

「よしのかげにもてんちやうのはた(葦の蔭にも天長の旗)」

 

「たびはつかれるよはねられず(旅は疲れる夜は寝られず)」

 

「れうじやくはしきりにいそがし(老弱はしきりに忙し)」

 

「そうほうのぢんどり(双方の陣取り)」

 

「つきよにかがりたく(月夜に篝焚く)」

 

「ねんをいれてからだをあらためる(念を入れて身体を改める)」

 

「なきつらみのみにひま(泣き辛みの身に閑)」

 

「らくあればくもある(楽あれば苦もある)」

 

「むりがとふるかたてたはた(無理が通るか立てた旗)」

 

「うそでたらめでまことをうり(嘘出鱈目で誠を売り)」

 

「ゐものおやじもしらぬかほ(芋の親父も知らぬ顔)」

 

「のどもとすぎれはいくさをわすれる(喉元過ぎれば戦を忘れる)」

 

「おににもにたるかごしま(鬼にも似たる鹿児島)」

 

「くさいものはしびとのやま(臭いものは死人の山)」

 

「やすみつこなしの大たゝかひ(休みっこなしの大戦い)」

 

「まけるなはぢだそ(負けるな恥だぞ)」

 

「げいにんはみがたゝぬほどのふけいき(芸人は身が立たぬほどの不景気)」

 

「ふみもやれないいくさみち(文も遣れない戦道)」

 

「こはさんにんよればいくさこと(子は三人寄れば戦事)」

 

「えててゐるてつほう(得手で射る鉄砲)」

 

「ていしゆのすくはしんぶん(亭主の好くは新聞)」

 

「あたまかくしてしりおしをする(頭隠して尻押しをする)」

 

「さんざんたゝかひくみうちしよ(散々戦い組打しよ)」

 

「きいてびつくりみてなげき(聞いてびっくり見て嘆き)」

 

「ゆだんのならぬたいちよう(油断のならぬ隊長)」

 

「めのうへもたまがとぶ(目の上も弾丸が飛ぶ)」

 

「みからさきへはたす(身から先へ果たす)」

 

「しらぬふりがいこく(知らぬ振りが異国〈外国?〉)」

 

「ゑんもゆかりもみさかいなし(縁も所縁も見境なし)」

 

「びんぼうひまあり(貧乏閑あり)」

 

「もつたこともないてつぽう(持ったこともない鉄砲)」

 

「せにもはらにもしみるたいほう(背にも腹にも沁みる大砲)」

 

「すへはよなをしだろう(末は世直しだろう)」

 

「京のうわさ大坂のはなし(京の噂大坂の話)」

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