(一)菱川師宣『小倉山百人一首』の百人一首絵改革

菱川師宣『小倉山百人一首』表紙  (国会図書館本、延宝八年)
菱川師宣『小倉山百人一首』表紙
(国会図書館本、延宝八年)

だが、崇徳院の上畳の不在は歌人図像付きの「百人一首かるた」の始期を物語るとしても、上畳の問題はこれがすべてではない。これと逆に、元禄年間(1688~1704)に崇徳院のカードに繧繝縁(うんげんべり)の上畳が現れたことは、この頃に「古型百人一首かるた」が終期を迎えたことを物語る。この事情を明らかにしなければ、崇徳院の上畳が私に語りかけてきた課題をすべて拾い尽くしたとは言えないのである。以下、若干の説明をしたい。

光悦、素庵流の百人一首理解に大きな不満を抱いたのは江戸の絵師、菱川師宣である。師宣は、『素庵百人一首』(以下、『素庵本』)以来の版本に次の改革を加えた。まず、『素庵本』の誤りをただす。それは、①位、官の記載の誤り、②和歌本文の仮名遣いの誤り、③衣裳の描写の乱れ、④座席の混乱の是正に及ぶ。次に、『幽斎抄』を基本にして和歌の解釈の文章を添える。さらに、師宣自身が創作した和歌の内容の図、歌意画を加える。これだけの改革を施したのが延宝三年(1675)上方刊、同六年(1678)江戸刊の『百人一首像讃抄』(以下、『像讃抄』)であり、このとき百人一首は文芸の作品として広く社会的に、多くの人々によって理解されることとなった。

『小倉山百人一首』漢文後記
『小倉山百人一首』漢文後記

師宣は、この書で、漢文の後記に「右(みぎ)百人首之繪(ゑ)、位官(ゐくわん)之(の)衣服(いふく)ヲ改(あらため)、幷、歌(うた)之(の)心(こころ)ヲ絵(ゑ)ニ道引(みちびき)候」と書き、歌人絵改革の志を明示した。そして、師宣は二年後の延宝八年(1680)に、改めて旧来の娯楽的な「手鑑」を求める需要に応えるように、師宣版の「手鑑」である『小倉山百人一首』(以下、『師直本』)[1]を出版した。『像讃抄』の場合は、「歌の心を絵に導き」た史上初の「百人一首歌意画」こそが新企画の目玉であり、歌人像画は書物を飾る附属物の感があったので『素庵本』や『尊圓本』との正面衝突に至らなかったが、『師宣本』は、書物の形態がこの二冊の基準書と同じ「手鏡」であり、師宣の真正面からの挑戦であった。

師宣は、同書の序文において「小倉山の百人一首は、京極の黄門撰ひあつめたてまつらしめ給ふとなむ。世にもてあつかふのあまり、中つむかしより、かの哥人を繪かき、その詠歌をかき載、しかも梓にちりはめて、あまねく世におこなふ。しかはあれと、●[2](とき)うつりことはりて、そのつかさ位の座席もみたれ、哥の文字もあやまれり。是をおもふしあらためずむはあるへからすと。此一巻をものして、後の世につたへんといふならんかし」(句読点は筆者)とした。つまり、師宣に言わせれば、小倉山の百人一首は京極の黄門(藤原定家)が集めて歌集にしたものであるが、世間で扱ううちに、相当の昔から、歌人を絵に描き、和歌を書き載せて、枠を持ったかるた札にして、あまねく世に広まった。しかし世に行われるうちに、位、官、その座席(上畳や茵(しとね))の描写も乱れ、和歌の文字も乱れてしまった。これは改めねばならないと思えるのであり、この一巻をものして後世に伝えたいのである」ということになる。また漢文後記も「右此一策古本乱雑而有錯謬。所謂装束之品節、座席之混乱、仮名使之誤等繁多也。今再往改之、以新令板行者也。」(この一冊は、古い時期から伝えられてきた書物は乱雑であり、錯誤がある。装束の品節、座席(上畳や茵(しとね))に混乱があり、仮名遣いの誤り等も繁く多いので、今再びこれを校訂して、もって新たに板を行うことを命じるものである。)(句読点は筆者)として、その主張を鮮明に述べている。そして、皇族の歌人画の是正、とくに崇徳院の歌人絵に繧繝縁(うんげんべり)の上畳を配するという改革は、師宣による刷新の目玉の一つであった。


[1] 国立国会図書館蔵本による。この国会図書館本は江戸時代の大田南畝旧蔵本であり、題簽は文字がかすれていて判読が難しい。巻末に、この書の標題は「小倉山百人一首延寶刻菱川師宣画」であり、この十五文字は南畝の書であるとする明治辛未(四)年の注記が付く。『小倉山百人一首』が南畝による原題の写しであったのか、新たな命名であったのかは分からない。ただし、「小倉山百人一首」というのは奇妙な題名であり他に例がない。一般には「小倉百人一首」である。南畝が「小倉山荘百人一首」と書いたものを注記が「小倉山百人一首」と誤記した可能性もあるが、「小倉山荘百人一首」も奇妙な題名で、京都にある「小倉山荘」というあられ屋の店名と「百人一首」というせんべいの商品名を続けて「小倉山荘百人一首」とするとき以外には、同じく京都のかるた屋である大石天狗堂の奇妙な新商品名「小倉山荘百人一首かるた」くらいしか知られていない。国会図書館では『小倉百人一首』として登録されている。常識的な読解であるが、題簽には「小倉」の下にうっすらと「山」の字が読めるので原書に忠実な読解とは言えない。

[2] 日偏に旁は乏、「時」の異体字。

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