こうした百人一首カルチャの成功を見て、さまざまな類似品が考え出された。何かしら、テーマで百首の和歌を集めた異種百人一首がそうであり、さまざまなものが開発された中には、上流階級のお姫様の好みであろうか、百人の女性歌人の和歌に、各々の歌人像を添えた美麗な「女房百人一首」本も登場している。こうしたものは源氏物語の文化では発生していない。
この異種百人一首はたちまちかるたになっていて、残存するものも少なくないが、それ以上に興味深いのが、百人一首のもじりの成立である。江戸時代の「百人一首カルチャ」の特徴は、落語、川柳などに、頻繁に百人一首のもじりや諧謔が登場することであり、刊本も数多く発行された[1]。そして、このもじり百人一首の高まりが、もうひとつの異種の百人一首かるたを生み出した。それがむべ山かるたの専用札である。
むべ山かるたの札を最初に発見したのは、山口格太郎であった。最初の出会いは山形県米沢市内の旧家の女性から滴翠美術館に贈られた、手描きのこのかるたが貼り込まれていた枕屏風であった[2]。そのカードには、下の句の札に挿絵があり、その内容が百人一首の和歌をもじった笑いの作品であった。「もろともに」の歌では「花よりほかにしる人もなし」が「鼻よりほかに」ともじられて天狗の面と羽団扇である。「みせばやな」の歌では「ぬれにぞぬれし色はかはらず」が夕立に遭って濡れた着物を乾かしている図になっている。その後、木版のカードも何点か発見された。「もろともに」のカードのようにどの事例でも天狗の面が共通しているものもあるし、「みせばやな」のように、濡れても色が変わらないものとして、水中に落ちた小判が描かれているものや、鵜飼の鵜が描かれているものなど、変化しているものもあり、このかるたが広く普及して多くの版元から出版されていた事情とがうかがわれた。当初、山口らは、まず通人による手描きのカードが作られ、その後にこれに着想を得たカルタ屋によって木版印刷されて拡散したと考えていたが、私はアメリカに残るコレクションン[3]の中に滴翠美術館の手描きのカードと同じ意匠の木版のカードを発見し、このかるたは古い時期から木版のものであり、通人がそれを模写して手描きのものを後から制作したと考えられるようになった。その際には、その通人の好みで、色っぽいもじり仕立が多い。
[1] 秋山忠弥「江戸市民文芸にみる百人一首」東洋大学井上円了記念学術センター編『百人一首の文化史』、すずさわ書店、平成元年。武藤禎夫『江戸のパロディー もじり百人一首を読む』、東京堂出版、平成十年。阿部達二『江戸川柳で読む百人一首』角川選書三百二十八号、平成十三年。江口孝夫『爆笑 江戸の百人一首』、勉誠出版、平成十七年。
[2] 佐藤要人「むべ山かるた」『別冊太陽愛蔵版百人一首』、平凡社、昭和四十九年、二七五頁。
[3] Jap.49, “A Catalogue of the Cary Collection of Playing Cards” Vol. II, p.63, Vol. IV, p.72