令和三年に、「幻の南蛮カルタ」の探索は、新史料の発見に伴い、新たなステージを迎えることとなった。
日本にカルタの遊びが伝来したのは戦国時代の十六世紀後半、ポルトガル船の来航の時期である。この遊技に用いる一組四十八枚のカルタ札は、以前はポルトガル船だから備品のカルタも当然にポルトガル製のものと考えられていたが、昭和後期にベルギーのアントワープ市で十六世紀に建造された古い教会の建物を取り壊していたところ、壁紙の芯材に木版カルタの骨摺り紙が転用されていた。これが四枚のエースカードの各々に「ドラゴン」の絵がある、ドラゴン・エースのあるカルタ、縮めてドラゴンカルタの骨摺りであった。

この史料は、わずかに十数枚分のカードしか残っておらず、その残されたものには欠け落ちた部分が目立ったが、読み取れたわずかな情報からでも、日本の「天正カルタ」の図柄ととてもよく似ていると分かった。この発見から、ポルトガル船がもたらした最初のカルタ札はベルギー製であったのではないかという疑問が生じた。 

考えてみれば十六世紀のベルギーはスペイン王家の領土であり、手工業が盛んで、製品をスペインやポルトガルで販売していたのだから、顧客の好みを反映してポルトガルのカルタのデザインを採用したベルギー製のカルタがあって当然であるし、それがポルトガル船に積まれてはるばるアジアにもたらされて、拠点のジャワ、バタビアに到着していても不思議ではない。日本に来航したポルトガル船が、本国でカルタを仕込んだのか、バタビアで日本向けに出航する際に買い求めたのかは分からないが、いずれにせよ、ベルギー製のカルタ札を日本にもたらした可能性はきわめて高い。 

ポルトガル船が広めたカルタ札は「南蛮カルタ」と呼ばれる。だが「南蛮カルタ」は日本国内には一枚も残っておらず、また文献史料や絵画史料も残っていない。だから「南蛮カルタ」は幻のカルタと言われてきた。日本最初の国産「三池カルタ」はこの「南蛮カルタ」を模倣したものであったから、これの復元を志した「大牟田市立三池カルタ記念館(現:大牟田市立三池カルタ・歴史資料館)」(以下、「三池カルタ館」と略記)は、開館にあたってベルギー現地まで出かけて「南蛮カルタ」の情報を広く探索したがはかばかしい成果はなかった。 

ベルギー国立カルタ博物館
ベルギー国立カルタ博物館

こうした状況が変化したのは、二〇二一年一月にベルギー、アントワープ州ターンハウト(Turnhout)市にある「国立カルタ博物館」(Nationaal Museum van de Speelkaart)がデジタル化に踏み切り、所蔵品の画像をネット上で公開して、全世界に発信したからである。驚くべきことに、この収蔵品の中に、一五六七年、日本に「南蛮カルタ」がやってきたまさにその時代のベルギー製ドラゴンカルタが含まれていた。ベルギーの「国立カルタ博物館」がこのカルタを入手した経緯については同館に問合せ中である。 

カルタの歴史では、今から五百年も以前に実際に使われていたカードが残っていることは極めて珍しい。しかも、それがわずかに二、三枚のカードという残欠ではなく、一組四十八枚の内で四十四枚ものドラゴンカルタが残っていたとなると、そのカルタを構成していた四十八枚のカードの復元も可能であり、奇跡だと言いたくなる。ここでは四紋標、「Paus(こん棒)」「Espadas(剣)」「Copas(コップ)」「Ouro(金貨)」の各々にある「ドラゴン・エース」、ドラゴンが絵柄になっているエースの札も、四枚が揃って残っている。これほどのカードが残存していたのはとても貴重なことで、カルタの大きさ、重さ、模様、図像デザインの特徴、着色された顔料などがよく分かる。図像中の記載から、制作者、制作年も分かる。さらにありがたいことに、カードの裏面の図柄、デザインまでもよく分かる。試みに、私が四十八枚の構成を復元してみた。これは私の試作した補正品にすぎないが、「南蛮カルタ」のイメージは伝わると思う。これはカルタ史の研究にとっては今世紀に入ってからの最高の新史料提供である。 

このカルタ札の登場によって、私たち、カルタ史の研究者は、十六世紀、大航海時代の世界のカルタとして、①ベルギー、アントウェルペン市(現地音表記、英語表記はアントワープ市)の市内、ギリス・ファンデン・ボハルデ(GILIS・VAN DEN・BOGARDE・ANVERIS、省略表記はGVB)作、一五六七年に制作されたドラゴンカルタ四十四枚、②ベルギー、アントワープ市内CF社が、教会の壁紙に転用した年の一五七四年よりも以前に制作したドラゴンカルタ骨摺り廃紙十三枚、③スペイン、制作地不明のフロレス社作、一五八七年頃制作のドラゴンカルタ一組四十八枚の未裁断表紙と裏紙、④ポルトガル、制作者不詳、十七世紀制作のドラゴンカルタ二十三枚、⑤マルタ、インフェレエル社作、一六九三年制作のドラゴンカルタ十九枚、という基準的な物品史料を手にしたことになるし、日本の「天正カルタ」をこうした世界の潮流の中に位置づけて理解することができるようになった。このことを思うと、今回の発見、情報開示がいかに貴重なものであるかがよく理解できる。 

ドラゴンカルタ(ポルトガル製、17世紀)
ドラゴンカルタ(ポルトガル製、17世紀)
ドラゴンカルタ(マルタ・インフェレエル製)
ドラゴンカルタ(マルタ・インフェレエル製)
ドラゴンカルタ(補正あり)(ベルギー・ボハルデ製、16世紀)
ドラゴンカルタ(補正あり)
(ベルギー・ボハルデ製、16世紀)

今回発見されたカルタは、アントワープ市のギリス・ファンデン・ボハルデが、一五六七年に制作している。そして注目されるのは、何枚かのカードで、カルタの画像が裏返しに摺られていることである。画像は左右が逆転したことになる。この不思議なミスは、これが日本のカルタのように大きな一枚板に一組すべてのカードの図像を彫り、それを摺り出してカードに仕上げる、中国中部、長江沿岸地域に伝わる「馬吊牌」などの「紙牌」制作の技法ではなくて、グーテンベルグ以来のヨーロッパの木版活字印刷では王道だが、木口木版で小さな木片に一枚ずつカードを彫り、摺り出すときには四十八枚の小版木を寄せ集めて表面を滑らかに揃えてから摺り出す方法で作られたことを意味する。実際に、ドイツ、マインツ市のグーテンベルグ博物館には古いカルタの木口版木が展示されている。この方式では、使用する一部の版木が使いすぎて痛んでくると、その部分を新たに彫った版木と交換する。その際には、まず旧い版木で画像を摺り出して元絵を作り、それを新しい板木に裏返して貼り付け、その線に沿って彫りこんでいくのだが、しばしばこの工程を忘れて元絵を裏返ししないままに貼り付けて彫ってしまい、それを使って摺ってでき上がったカルタの図柄が裏返し、左右逆転になってしまうミスが起きる。だから一部のカルタ札にのみ左右逆転の裏彫り画像のミスが起きているときは、これは木口木版印刷に固有のミスで、これがあると木口木版の方式で制作したカルタ札だとすぐに理解できるのである。 

ドラゴンエースーポルトガル製ー17世紀
ドラゴンエース(右より、こん棒(ハウ)、
剣(イス)、 聖杯(コップ)、
ポルトガル製、17世紀)

このカルタ札の図像、模様を見ると、いくつかの特徴が見える。まず、このカルタのエース札には、いずれもドラゴンの図像があり、それがこのカードをドラゴンカルタと命名する理由になっているのだが、四種の紋標、日本での呼称で言えば「ハウ(こん棒)」「イス(剣)」「コップ(巾着)」「オウル(貨幣)」の四枚の「ロハイ(ドラゴン・エース)」の中で、紋標「こん棒(ハウ)」の「エース」の画像が左右逆転している。「天正カルタ」では他の三枚の「エース」と同じように左向きであり、紋標の「こん棒(ハウ)」は右上隅に向かっている。それがこのカルタでは「ドラゴン」は右を向き、「こん棒」は左上隅に向かっている。但し、こういう例はほかにもあり、特に、上記の④の旧シルビア・マン・コレクションにあった十七世紀、ポルトガル製とされるドラゴンカルタでもこのカルタ札と同じ向きである。十六世紀のヨーロッパではどちらもあったのだろうと思われる。 

次に気になるのは、紋標「こん棒(ハウ)」と「剣(イス)」のカードの彩色である。「天正カルタ」は、「こん棒」は緑色、「剣」は赤色と明瞭に別れていて、一目で区別がつくが、スペイン、セビリアの博物館に残る上記③のフロレスのカルタでは「こん棒」でも「剣」でも赤色と緑色が混じっていて区別がしにくい。それが、このカルタの場合は、「こん棒」ではなお部分的に赤色が残っているが中央部分は緑色が支配的であり、「剣」では骨摺りの黒色と赤色に二分されていて、一目で見分けがつくように明確に区別されて彩色されている。ヨーロッパでも時期と場所によって彩色に違いがあるのだと気づかされる。 

もう一点気になるのは、紋標「金貨(オウル)」の「六」のカードにある横顔の図柄である。ヨーロッパのカルタでは、横顔は左上部と右下部に描かれているのが多数であるが、「天正カルタ」では右上部と左下部になっている。また、この札にある六枚の「金貨」紋は、ヨーロッパのカルタでは上記②、③のカルタではいずれも右上から左下に斜めに描かれているが、「天正カルタ」では左上から右下に描かれている。日本のカルタが特に独自性に拘ったとは思われないので、日本にやって来た「南蛮カルタ」はたまたま少数派で、「金貨」紋が左上から右下に六枚描かれていて、空いている余地からして、横顔の位置も右上と左下にあったのであろう。これもまた、画像の反転という現象の事例である。 

オウルのキリ、左:ボハルデ製カルタ、右:復元三池カルタ)
オウルのキリ、
左:ボハルデ製カルタ、右:復元三池カルタ)

次に三種類の絵札に眼を転じると、まず「女従者(ソータ)」のカードであるが、ヨーロッパのカルタでは全てのカルタで全員が左を向いているのに対して、「天正カルタ」は紋標「金貨(オウル)」の「ソータ」だけが右を向いている。この例は少数派である。次に「騎士(ウマ)」のカードでは、紋標「剣(イス)」や「金貨(オウル)」で逆転が起きている。もう一つ、「国王(コシ又はキリ)」のカードでの「国王」の顔つきであるが、「天正カルタ」は若くてかわいい王の表情であり、これは、上記②のアントワープの教会壁紙のドラゴンカルタとよく似ている。それが、このカルタではやや大人びた表情に描かれている。この点もメーカーにより、あるいは製作地により、異なっているのだということが分かる。 

なお、今回の発見によって、ベルギーのドラゴンカルタの彩色についても確定的な史料を得た。それは想定通りの赤色、黄色、緑色であった。また、日本の「天正カルタ」では、早い時期から金彩、銀彩が   加えられていたと思われるが、基になった「南蛮カルタ」にはそれがなく、金彩、銀彩は日本独自の工夫であったことも分かった。

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