二 トランプの解禁 (二)「團團社」によるトランプ販売の開始 明治十八年(1885)に「西洋かるた」の販売が公認された。この事情を説明したのは宮武外骨である。彼は昭和四年(1929)に次のように述べた。 「さて采コロや花骨牌、めくり骨牌等は賭博用のものであるから売買を厳禁されて居たのであるが、明治十九年(1886)頃に政府は其禁を解いて公然の売買を許す事にした、それは外国より輸入... 館長
二 トランプの解禁 (一)開国後、解禁前のトランプ 日本では、幕末期の開国以降も、トランプは輸入が認められていなかった。だからそれは、長崎、神戸、横浜などの外国人居留地の内外や、東京の鹿鳴館のような外国人との交際をする場所で遊技される程度の広まり方であった。 万博事前展覧会での西洋カルタ 日本におけるトランプの普及と言えば、まずは、江戸時代末期(1854~67)の開国で... 館長
一 花札、トランプの解禁 (二)花札合法化の定着 上方屋銀座店は大きな反響を呼び、花札の販売が公許されたことが明白になった。前田はさらに同年五月二日からは、それまでは自身も禁止の品と言っていた「めくりカルタ」も売り出し、十二月には銀座店の店頭に巨大な賽ころの看板を出し、翌明治二十年(1887)一月には賭博用の賽ころも販売するようになった。当時の常識としては、花札は一般... 館長
一 花札、トランプの解禁 (一)花札の公然の販売‥‥「上方屋」の挑戦 明治十九年(1886)の春、東京の銀座に花札を販売する店舗「上方屋」が出現した。当時は、花札の売買は禁止という観念が強かったので、これは奇想天外の出来事とされ、世間は大いに驚いた。これを敢行したのは、大阪市の心斎橋通塩町角に店舗を構えて手広く商売をしていた絵草子屋「綿屋」の当主、「綿喜」こと綿屋喜兵衛、本名前田喜兵衛で... 館長