明治十八年(1885)に「西洋かるた」の販売が公認された。この事情を説明したのは宮武外骨である。彼は昭和四年(1929)に次のように述べた。

「さて采コロや花骨牌、めくり骨牌等は賭博用のものであるから売買を厳禁されて居たのであるが、明治十九年(1886)頃に政府は其禁を解いて公然の売買を許す事にした、それは外国より輸入するトランプの札を、日本政府は賭博用具として其輸入を禁じたので、外国公使が抗議を申込み『トランプは賭博具にも悪用されるが、元来は遊戯用である、其遊戯玩弄品の輸入を禁ずるのは没分暁の甚だしい事である、賭博をなさんと欲する者は、トランプの札がなくても出来得る、何物何事を対象としても賭博は容易に行い得るではないか』と理屈詰めの談判に、政府は其輸入を許す事にしたある、そこで西洋のトランプを許す上は、日本の骨牌も采も解禁にせねばならぬといふ評決の結果であった」[1]
ヨシア・グッドオールの肖像

こういう指摘に合致する史実はあった。イギリスは、明治十年代の後半に日本経済が松方デフレと呼ばれるような不況になってイギリスからの輸入を減らし、結果的にイギリスの対日貿易が赤字になったことに神経をとがらせていた。トランプの輸入禁止は不当な非関税障壁であると抗議したとする宮武の指摘を証明する具体的な外交史料は発見されていないが、いかにもありそうなことである。そしてこれと符合するのがイギリスの大手のカード制作者、グッドオール社の幹部ヨシア・グッドオール(Josiah Goodall)の極東地域での販路の拡張を狙ったツアーの一環としての来日[2]であった。これについても日本側には記録が残っていないが、ヨシアの家族にはこの旅行の伝聞とともにそのパスポートが残されており、私は子孫のミッチェル・グッドオールからそれを見せてもらい、実際に手にして直接に検討する機会があったが、そこには確かに当時の日本入国の記録があった。来日したヨシアから在日のイギリス外交官に要請なり助言なりがあって、それに基づいて公使が日本政府に圧力をかけたという事態は十分に想定できる。いずれにせよ、このグッドオール社経営幹部の訪日直後にトランプの輸入解禁の動きがあったことになる。

團團社・『西洋遊戯かるた使用法』

そして、どのような会議で「評決」が決まったのかの記録はどこかにあるのだろうが、私は見たことがない。ただ、こうした政府内部の動きがあったとすると、それに符合するのが時事風刺雑誌『團團珍聞(まるまるちんぶん)』を発行して人気を得ていた「團團社」の社主、野村文夫[3]の動きである。同社は明治十八年(1885)十二月に櫻城酔士著の小冊子『西洋遊戯骨牌使用法』(定価二〇銭)を出版するとともに、「西洋トロンプカルタ 正価弐拾銭」の販売を開始した。

「團團社」は明治十一年(1878)に野村文夫によって設立され、翌明治十二年(1879)に戯画入りの風刺雑誌『團團珍聞』を発行して人気を得て、この時期を代表するジャーナリズムの一つという地位を確立することができた。社主の野村は立憲改進党員となり、風刺雑誌であるから『團團珍聞』には西南戦争後の藩閥政府の国政運営への批判が盛られ、在野の自由民権運動を盛り上げることになった。こうした硬派の「團團社」が他に先駆けてトランプの販売に取り組んだのである。

「團團社」は、まず、トランプの遊技法の教本を出版した。櫻城酔士著『西洋遊戯骨牌使用法(かるたのとりかた)』(定価二〇銭)がそれで、明治一八(1885)年一二月三日に届出して同月一二日に出版している[4]。編者の櫻城酔士については情報がないが、この本の編集者である岡山県出身の岡初平本人か彼と親しい「團團社」関係の人物であろう。当時の『團團珍聞』にはこの書籍の出版予告が繰り返し掲載されていて、同社の意気込みを見ることができる。

「西洋遊戯 骨牌使用法 定價金貮拾銭 右ハ西洋にて専ら流行するトランプ骨牌の使用方法に付其術に巧手なる或先生の著述に係りし者により骨牌の種類、配分法、共伍(きょうご)法、定則、騙術(へんじゆつ)等各使用の種類を擧げて尤(もつとも)精密に述べたれば婦女童蒙も直に了解すべく本書一たび出れば従来の将棊双六は尻尾を捲き歌留多花牌ハ素足で逃出すべき珍奇妙絶の書なり殊に歳暮年始の御進物には尤妙なれば近日発兌(はつた)を待ち續々御注文あらんことを希ふ 発兌元 東京神田 團々社」」

また、同書には、当時「團團社」の社員であった、今日でも『明治のおもかげ』(岩波文庫)等で著名なジャーナリストの鶯亭金升こと長井総太郎が次の序文を寄せている。

「うべ山(やま)の大嵐(おほあらし)は手(て)に蚯蚓(みゝず)ばれの痕(あと)を殘(のこ)し、六歌仙(ろくかせん)ならぬ遣(や)り羽子(はご)の墨塗(すみぬ)りには業平(なりひら)の黒主(くろぬし)と變(へん)ずる、其(その)戯(たはむ)れさへ去歳(こぞ)の熊手(くまで)と同様(どうやう)古(ふる)ぼけたので春(はる)の遊(あそび)は何(なん)でも是(これ)に西洋(せいやう)骨牌(かるた)だと、雑煑(ざふに)の一口(ひとくち)に呑込(のみこま)せる無類(むるい)の珍書(ちんしよ)成(なれ)ば、何(どうだ)君(きみ)も一番(いちばん)上(あが)りの一番(いちばん)に晴着(はれぎ)と御一所(ごいつしよ)にサアサアめし玉(たま)へ。 屠蘇酒(とそざけ)の酔(よひ)を柳(やなぎ)に吹(ふか)れ乍(なが)ら 根岸の鶯亭金升」

これに続く櫻城酔士の本文は次のような印象深い文章で始まる。「(トランプ)は西洋(せいやう)遊器(あそびもの)の一種にして吾邦(につぽん)の佳留多(かるた)に似(に)たるところあれは、之を西洋佳留多(せいやうかるた)と譯(やく)しても可(か)なるに似(に)たれども、夫にては意味(いみ)茫然(ぼんやり)として西洋の佳留多の内にて何れの分(ぶい)なる事か判然(はつきり)せさるゆゑ、尚(なほ)元名(もとのな)を存(のこ)して(トランプ)と云ふを好しとす。是(これ)恰(あだか)も西洋の帽子(ぼうし)を西洋帽子(せいやうぼうし)と稱へずして(シヤツポ)、燈檠(ひともし)を(ランプ)と謂ふが如し」。ここでカードを用いたゲーム中の切り札を意味するトランプという言葉をカードそのものと誤訳してしまったときに、プレイング・カードをトランプと呼ぶ日本に固有の和製英単語ができてしまったことになる。

「團團社」は、さらに、同時期に「西洋トロンプかるた 正価弐拾銭」の販売も開始した[5]。それまで日本では、トランプは横浜や東京の外国人居留地の商店などで細々と売られていたのであるから、これの大々的な売り出しはカルタの歴史では近代の幕開けになる記念碑的な出来事である。では、そこではどのようなカードが売られていたのかとなると、史料が残されていないので分らない。ありうるのは、アメリカ製かイギリス製、あるいは、ベルギーで下請け製作されたような安価なものである。そして、イギリス製やベルギー製の場合、これらの諸国から直接に輸入されたというよりもアメリカに輸出されたものが西海岸に到達していて、それが太平洋を越えて日本に輸入されたと考える方が蓋然性が高いが、これも正確には分らない。

ここでヒントになるのが、『西洋遊戯骨牌使用法』の表紙絵である。そこには、「ダイヤのクイーン」、「スペードのジャック」、「スペードの七」、「クラブの三」、「ダイヤの三」、「ハートの六(あるいは七か八)」らしく見えるカード六枚が描かれている。1880年代のカードであるから、四隅の角にはまだ面取りがなくま四角であり、また、ノー・インデックスである。絵柄を見ると、右を向いた「ダイヤのクイーン」、左向きの「スペードのジャック」、一方向に揃った数札の数標(ドット)という基本的な特徴のほかに、「クイーン」の着衣が丸首であることや戴いている冠のデザイン、「ジャック」の着衣や画面の上端まで大きく描かれている大きな冠(ビッグ・クラウン)が無地であるなどの特徴が見える。これらのことから、これは1880年代のイギリス・ロンドンのグッドオール(GOODALL)社の製品と推定できる。同社は当時のカード・メーカーとしては一流の大手であり、対日輸出にも熱心で経営幹部が訪日したのであるから、同社の製品が日本に存在していても不思議ではない。私は、「團團社」はグッドオール社のトランプの中で比較的に安価な製品を売り出したと推測している。

ところで、『西洋遊戯骨牌使用法』を刊行した日付をよく見ると、この動きは「上方屋」による花札解禁の出願より一カ月早い。出版準備に数カ月を要すると考えれば、「團團社」は明治一八年の秋にはトランプの販売と教本の編集・出版の作業に入っていたと思われる。また、トランプそのものの仕入れも進めたことであろう。この時期は、「上方屋」が汽船東海丸で上京するよりも以前であり、つまり、この時期のトランプ解禁と花札解禁とではトランプの方がわずかに先行していたのである。まずトランプの解禁が決まり、それが花札の解禁に広がったという宮武外骨の指摘は正しいように思われる。

そうだとすると、こうした経緯は前田の冒険とピッタリとタイミングが合っていて、前田は大変に幸運だったことになる。前田が出願したところ、政府部内にすでにトランプ・カルタ解禁の「評決」があり、「團團社」によるトランプ売り出しも進んでいて、花札解禁も簡単に実現できたことになる。だが、本当にこれは偶然なのであろうか。「團團社」の野村文夫は立憲改進党員であった。「上方屋」の前田喜兵衛も同党の党員であったと思われる。野村も前田も、イギリスからの要求という最強の外圧による政府の方針変更をインサイダー情報としていち早くキャッチできる立場にあり、自由化の確信をもって新商売を始めたのではないかという疑問はどうしても残る。


[1] 宮武外骨「売買公許の花骨牌」『面白半分』昭和四年、二八頁。

[2] Michael H Goodall “Charles Goodall and Son, the Family and the Firm. 1820/1922” (Private Edition), 2000, p.4.

[3] 野村文夫と「團團社」につき、江橋崇、『ものと人間の文化史一六七 花札』、法政大学出版局、平成二十六年、一九六頁。

[4]『西洋遊戯骨牌使用法』は、表紙では『西洋遊戯かるた使用法』となっている。同書で現存するのはほとんどが明治一九年以降に再版されたものであるが、本稿は初版(明治一八年一二月三日届出、同年同月□□日出版)のもので確認したうえで記述している。

[5] 前掲『西洋遊戯骨牌使用法』巻末広告では上等二五銭・中等二〇銭(郵送料無料)、『團團珍聞』一二月二六日号の広告では「西洋トロンプかるた・正価二〇銭」。

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