一 中国のカルタ (六)鎖国時代の中国の紙牌 論題を中国固有の紙牌の日本伝来に戻そう。江戸時代初期の鎖国の完成後、中国人の日本国内居住は途絶え、そのカルタ遊技が伝来することもなくなった。江戸時代の文献史料を調査しても、中国の紙牌に言及するものはごく稀であり、日本社会にはそれが流行した痕跡はまったくない。 だが、長崎は別であった。この交易都市は、日中の交易に開かれて... 館長
一 中国のカルタ (五)筑後・三池村でのカルタ制作と中国人の関わり カルタが日本に伝来してまもなく、安土桃山時代に武士階級の間にその遊技具への大きな需要が生じたが、それに応じて最初にカルタのカード制作が行われたのは、大名立花宗茂の領地であった当時の筑後、三池村(現在の福岡県大牟田市三池地区)であったといわれている。当時の三池村は、カルタ遊技が盛んでもないし、工芸品制作の伝統があるわけで... 館長
一 中国のカルタ (四)永見徳太郎のカルタ中国経由伝来説の再評価 池長孟(昭和前期) 「カルタ版木硯箱」は中国製版木であるという永見の理解は、そこで見逃されていた細部の特徴なども私なりに併せ考えると、私には山口の日本製版木という理解よりも説得力があるように思えるので支持したいと考えているが、これに同意してもらえない人であっても、軽々しく無視してよいものとは思えないであろう。しかし、残... 館長
一 中国のカルタ (三)謎の「大明萬暦かるた硯箱」を読み解く ① 切り離しの細工は日本では他に例がない 大明萬暦かるた硯箱(永見徳太郎旧蔵) まず、永見説公表の直接の契機になった「カルタ版木硯箱」について検討してみたい。この硯箱は、上蓋に四列×五枚で二十枚、底箱の横面に、上下辺は二列×三枚、左右辺は二列×四枚で合計十四枚、全部で三十四枚のカードの版木を使って作られている。カルタは... 館長
一 中国のカルタ (二)ポルトガルカルタは中国経由で伝来したのか 永見徳太郎自画像 (大正年間、『夏汀画集』) 次に検討するべきなのは、ポルトガルのカルタが日本に伝来した際の中国とのかかわりである。日本では、カルタは十六世紀にポルトガル船の船員によってもたらされたとする直接伝来説が圧倒的に支配的である。だが、この、カルタがポルトガル人から直接に伝来したという通説に疑問を持った者が一人... 館長
一 中国のカルタ (一)日本には中国「紙牌」の痕跡がない 日本のカルタの歴史を考えるとき、まず検討するべきなのは、中国のカルタの伝来であろう。もともとカルタの母国は中国で、唐代(七世紀~十世紀)から存在していた紙牌の遊技が十四世紀までにアラビアを経てヨーロッパのアラゴン連合王国の領域に入ってそこから全ヨーロッパに広まり、カルタ遊びとして大いに栄え、十六世紀の大航海時代にポルト... 館長