最近の日本及び日本人に関する調査

『最近の日本及び日本人に関する調査』表紙

ブロンホフと同時期の出版物であるが、ドイツで通俗的な日本の紹介本が出されている。1821年刊のフレデリック・ショーベール(Frederic Shoberl)『最近の日本及び日本人に関する調査』(”Neuestes Gemälde von Japan und den Japanern”)[1]である。同書には、ドイツ語で次のような記述がある。

 

日本人はカルタ遊びを熱心に愛好し、しばしばそれで巨額の金を失う。日本人はオランダの水夫たちとの交際を通じてこの上品な気晴らしを手にするようになった。というのは、オランダの水夫たちは、当局の許可を得て長崎で居酒屋や娼家に立ち入ることができたからである。

 


 

カルタ上の図柄は、我々のカルタがヨーロッパで持っているのと同じ名前を帯びている。遊びは、以前は五十二枚のカードで構成されていたが、そのうちの四枚は死の表象であり、この国の伝統的な観念に反するところがあった。人々はそこでこれを捨てて今ではただ四十八枚のカードで遊技しているが、カードの大きさは我々の大タロックカードのわずか四分の一くらいのものである。

 

上流階級の日本人女性

上流階級の日本人女性

 

この記述は、上に紹介した1816年刊のゴローニンの著作とほぼ同じ内容である。この書に添付されている挿絵を見ると、日本という東洋の神秘的な国の風俗、文化がどのように理解されていたのかがよく分かる。また、江戸時代に鎖国が続いた結果、日本人はカルタが南蛮船、ポルトガル人から伝来したことの記憶を失い、鎖国後に長崎でオランダ人から伝来したと考えるようになったが、この書はそうした当時の日本での理解を反映している。

 

だが、オランダのカルタは、フランス、イギリスのカルタと同様に五十二枚一組である。それなのになぜ日本のカルタは四十八枚一組なのか。この疑問に答えようとして考え出されたのが、日本でも当初は五十二枚であったが、その内の四枚が「死の表象」であったので排除して四十八枚になったというもっともらしい説明である。これは一見すると荒唐無稽な強弁のように見えるが、江戸時代のキリスト教の禁圧で、キリストやマリアの肖像画を持っていればそれはすなわち刑死をもたらす「死の表象」であったことが反映しているように思える。本書の種本となったゴローニンの著作では、五十二枚のカルタが使われていたころに喧嘩や殺人事件が起きたのでカルタ遊技が禁止され、その代わりに四十八枚のカルタを考案したとなっていたが、よく理解できない。本書の「死の表象」を除外したという説明もよく分からないが、こちらの方がまだしも合理的ではある。

 


 

[1] Pesth, Hartlebens Verlag, 1821. Frederic Shoberl”Neuestes Gemälde von Japan und den Japanern”

 

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