大正十五年(1926)に骨牌税法は大きな節目を迎えた。この年の三月二十七日に「骨牌税法」は改正され、改正法(大正十五年法律第二〇号)は、同年四月一日より、明治三十五年(2002)の制定時からずっと固定されていた税額一組二十銭を一組五十銭に増税した。また、もう一つの大きな変化は、大正十年代に日本に伝来して流行し始めた麻雀牌に始めて課税したことである。麻雀牌の場合は一組三円の課税であった。他方で、製造免許制度そのものは維持されたが第三条の製造免許料六十円の規定は廃止された。この改正以降、昭和期にはいると戦時体制の進行もあって骨牌税の増税が続いた。
この時期に法律文化としては珍しい変化が起きた。骨牌税法は、明治三十五年(2002)の制定時から「かるたぜい」と読まれていたが、この時期から読み方が変わって「こっぱいぜい」になった。それに伴い、この法律は法令集の類では「か」の個所から「こ」の個所に引っ越した。ひとつの法律が施行期間中に法改正の手続きなしに法令名の読み方を変えるというのは珍事である。ただ、骨牌税に関していえば、大正十五年(1925)の法改正以前はもっぱら紙製のカルタ類に課税する法律であったところ、この改正により、麻雀牌という骨牌にも課税するようになったのであり、麻雀牌を「支那カルタ」と呼んだ例はごくわずかであり、普通は「麻雀骨牌」と呼んでいたのであるから、これも包括して課税するようになり適用範囲を拡大させたことからすれば、「かるたぜい」よりも「こっぱいぜい」の呼び方のほうが適切であろう。いずれにせよ、昭和期の読み方は「こっぱいぜい」である。骨牌税を「骨ぱい税」と表記する例も増えた。
課税強化はまずは植民地で起きた。朝鮮では、植民地化よりも以前から日本の花札が大量に流れ込んでおり、併合後は、日本国内からの移出品とともに朝鮮現地での製造も始まっていた。日本政府は当初は無税で放任していたが、昭和六年(1931)四月十五日に「朝鮮骨牌税令」(昭和六年制令第一号)が制定されて、カルタ課税が開始された。カルタで紙製のものは一組二十銭、コルペ(骨牌)のような「紙製ニ非ザルモノ」は一組五十銭、麻雀牌は一組三円の課税であった。同日には「朝鮮骨牌税令施行ノ件」(朝鮮総督府令第四三号)が制定され、「朝鮮骨牌税令」の施行日は同年五月一日とされた。四月二十四日には施行に向けた「朝鮮骨牌税令施行規則」(昭和六年朝鮮総督府令第四五号)が制定されている。 その後、昭和九年(1934)四月三十日に「朝鮮骨牌税令」は改正された(昭和九年制令第一〇号)が、些細な字句改正に留まっている。その後、昭和十五年(1940)三月三十一日に「朝鮮骨牌税令」が改正(昭和十五年制令第二三号)され、紙製のカルタでは課税額一組二十銭を三十銭に、「紙製ニ非ザル」カルタでは五十銭を七十銭に、麻雀牌では一組三円を五円に各々増額した。これは翌日の四月一日に施行された。さらに昭和十九年(1944)三月三十一日の「朝鮮骨牌税令」改正(昭和十九年制令第十六号)で紙製のカルタでは課税額一組三十銭が六十銭に、「紙製ニ非ザル」カルタでは一組七十銭が三円に、麻雀牌では一組五円が二十円に各々増税され、翌四月一日に施行された。
樺太に関しては昭和六年(1931)十月二日に「骨牌税法ヲ樺太ニ施行スルノ件」(昭和六年勅令第二五二号)が公布されて課税が始まった。樺太では花札類の需要はさほどに大きくはなく、また、樺太現地で花札類の製造が始まることもなかったが、政府としては、依然として無税であった関東州への輸出品が大連、旅順から樺太に持ち込まれて、結果的に三角貿易のような形で免税品が流通することを恐れたものである。
台湾に関しては、昭和十二年(1937)九月二十四日に「台湾二於ケル骨牌税法ノ特例ニ関スル件」(昭和十二年勅令第五二五号)が公布され、四色将棋紙牌や客家紙牌にも課税が及ぶこととなった。税額は一組十銭で即日施行された。こうした植民地における骨牌税の課税強化の例外が関東州である。この地域は中国からの租借地であり、満州国建国後は同国からの租借地に形を変えたが、それでも他の植民地とは法律上の扱いが異なり、日本の国内法の骨牌税法は適用されることがなかった。そのために、この地域に無税で輸出された花札類は比較的に安価であり、大連花と呼ばれて同地を訪れた日本人の観光土産品として人気があった。これについては帰国時に日本側の港湾で関東州からの里帰り品であることを証明するゴム印が捺されて脱税品ではないことが明らかにされた。
一方、日本国内では、戦時の国家総動員体制の進捗にともない昭和十五年(1940)年三月二十九日に「骨牌税法」が改正(昭和十五年法律第四六号)された。カルタ類では課税額一組五十銭が七十銭に、麻雀牌では一組三円が五円に増税されて、翌日の四月一日より施行された。また、昭和十六年(1941)十一月二十二日に「骨牌税法」はもう一度改正(昭和十六年法律第八六号)され、カルタ類では一組七十銭が一円五十銭に、麻雀牌では一組五円が十円に増額された。さらに、昭和十九年(1944)二月十五日の「骨牌税法」改正(昭和十九年法律第七号)で、カルタでは一組一円五十銭が三円に、麻雀牌では一組十円が二十円に増額された。最後に昭和二十年(1945)二月十五日の「骨牌税法」改正を含む所得税法他一六法改正(昭和二十年法律第一六号)により、収入印紙の貼付に代え、現金で納入して納税済証印の押捺を受けることで代用を認めた。
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