伝来直後のトランプの呼称は安定せず、当初は「西洋カルタ」という奇妙な名称で呼ばれ、その後「パース」や「パー」という俗称も生まれたが、明治十年代(1877~86)末期に、「團團社」の教則本の著者、櫻城酔士が、トランプの遊技に際して重要な役割りを果たす良き札の「切り札」を意味するトランプという言葉を、カードの品質が良き札を意味する言葉と誤解して、上等なカードはトランプであるとしたところ、その誤解が「上方屋」に引き継がれて拡大し、同店の大きな影響力のために全国に普及してしまい、「トランプ」という世界中で日本でしか通用しない呼称が一般化し、定着した。また、クラブ、スペード、ハート、ダイヤの四紋標の中では、クラブ、スペード、ダイヤは理解しやすかったもののハートは日本にはないデザインであったので、これを逆転させて「桃」と見る見方が広まっていた。福島県の場合はさらにすごくて、四つの紋標は「三つ葉」「芋っ葉」「桃」「菱」である。クラブが「三つ葉」でダイヤが「菱」であるのはよそでも見かける呼称であるが、ハートが「桃」であるのに加えてスペードが「芋っ葉」であるのは珍しい。日本には古来ハート型に似ている「猪目」というデザインがあったのだが、日常の世界では縁遠かったのであろうか、これになぞらえることなく「桃」になった理由は分からない。
ここでひとつ注目したいのは、カードの隅に付けられたインデックスである。今では、これがあるので、手の中に数枚のカードを持っているときにそれを重ねて扇状に広げても内容が良く把握できるのでごく当たり前に思っているが、この工夫がなされたのがまさに1880年代であり、その便宜性から瞬く間に普及した。そして、初期には、「K」とか「Q」とか「J」といったカードの順位の情報だけであったものが、すぐにその下に「スペード」「クラブ」「ダイヤ」「ハート」というカードの紋標の情報も小さく加えるようになった。また初期には、カードの四隅にすべてインデックスを入れた物も考えだされたが、間もなく左上隅と右下隅の二か所に入れることで落ち着いた。だから、このインデックスの有無でカードの製作年代の古さがある程度分かるのであり、ごく初期にはインデックスがないカードが輸入されていたと思われる。
この時期に輸入されたトランプはほとんど残っていないが、その中でも最も史料的な価値が高いものはイギリスのカルタ制作者、ウーリー社のトランプである。このウーリー社製のカードは、同社が1875年から80年にかけて制作した標準的なものであることは判明しており[1]、この時期のものとしては当然のことであるがインデックスがまだ整備されていない。こうした時代の特徴がはっきりと見てとれる史料がほぼ完全に残されていたことはありがたい。これは私が東京の骨董市で発見して入手したものであり、日本での来歴は不明である。
ウーリー社製のカード以外には、インデックスのないカードはほとんどない。以前に、この時期の木製、漆塗りで日本製のカードケースを骨董市で発見したことがある。このケースの大きさは、縦十二・二センチ、横八・五センチ、厚さ六センチで、黒地に唐草模様の上にエースのカードが四種類で八枚描かれている。ケースには中仕切りがあって、二組のカードが収納できるようになっている。そして、その各々に枚数の不足したトランプが残されている。このカードのうちの一組は五十二枚中の四十五枚が残されている。紺色に印刷された上に、朱色、黄色、黒色の三色がステンシル技法で彩色されている。ダブルヘッド、ノーインデックス、ラウンドコーナーという点はグッドオール社のものと同じである。ただ、デザインが稚拙で顔面が異常に大きく描かれていて、ダイヤのキングの右肩に覗かせる右手が欠落していたり、クラブのジャックが珍しく右を向いていたりするなど、一見したときに違和感がある。残念なことにスペードのエースが欠落しているので製作地、製作者が不明である。紙質などからするとイギリスか下請けのベルギー製のカードであるように見えるが確証はない。印刷の不出来な点などからすると、近代的な製造方法が確立したこの時期よりも古く、あるいはウーリー社製の物よりも早くに日本に伝来して、日本の取締り当局の手が届かない横浜などの治外法権の地域で外国人目当てに売られていたような印象もあるが、なんとも言えない。
もう一組のカードは、ダメージが大きくて三十五枚しか残されていない。これも、紺色の印刷の上から、朱色、黄色、黒色がステンシル技法で彩色されていて、ダブルヘッド、ノーインデックス、ラウンドコーナーという点はグッドオール社のものと同じである。数札がダブルヘッドになっている点は今日のカードに一歩近いが、同じ「クラブ」「スペード」「ダイヤ」「ハート」の紋標を用いたフランスのカードでは古くから数札もダブルヘッドになっているので、それに従ったのかもしれない。デザインは上品でバランスが良い。紙質や背面の斜線の模様などからしてベルギー製であるように見えるが、このカードにも「スペードのエース」が欠けていて確証はない。
この二組のカードが、この木箱にもともと入っていたものなのか、それとも何かの事情で後にこの箱に納められたものなのかは分らない。一般に、当時のトランプは、本国では包装紙に包まれて売られていたものであり、アジア向けに輸出する際にわざわざ外箱を作ってこれを収納したとは思えない。カルタを木箱に入れるというのは日本の工夫である。しかし、明治十九年(1886)以降のトランプの解禁の当時には、「團團社」にしても、「上方屋」にしても、これをわざわざ外箱に入れて売り出したという記録はない。それも、紙箱ならあり得たかもしれないが、わざわざ木箱をこしらえるというのも変であるし、まして全面に漆絵を配するのはコストがかかり過ぎて行き過ぎの感が強い。
つまり、これは、木箱そのものに価値を認めて、コストをかけて製作しなければならなかった物だと推測できる。当時の日本社会で、そういう場所はどこにあったのか。明治十年代後半期(1982~86)に、鹿鳴館のような上流階級の社交の場を飾るように作られたのか、あるいは、日本土産として横浜あたりで外国人向けに商いされていたものであろう。後者であるとすると、木箱は確かに日本文化の匂いが立ち込めていて格好の土産品であるが、中身のトランプが、西欧人にはあまり魅力のない平凡なものである。だから私は、鹿鳴館のような社交場の調度品として、木箱は明治十年代(1877~86)に製造、販売された物であり、カードの方もこの時期に輸入されたものと考えている。そういう意味で、この二組のカードは、まだインデックスが付かない古い時期1880年代以前のものと考えられるのである。
なお、この時期の事情を明らかにする興味深い史料が私の手元にある。第三章の扉の挿絵に使っているものであるが、明治二十五年(1892)三月七日に、東京市浅草區西鳥越町二番地太田節次方より出版された、錦絵「雪中之花」である。雪の残る枝に紅梅の花が咲いているのだが、前景に二人の女性が描かれている。左の女性は少し年上で、落ち着いた上品な着物姿で既婚者であることが分かるが、手中に黒裏の花札がある。優美な指には大きな宝石の指輪が光っていて、上流階級であることが示されている。右の女性は少し若く、衣装も髪飾りも派手目で未婚のお嬢様であることが示されている。その前に机があり、そこに西洋カルタが描かれている。縦に積まれた一束のカルタ札の一番上にはスペードのエースが描かれていて、これがトランプであることが示される。花札に比べると大振りで、四隅は面取りがなく真四角であるのはいかにもこの時期の輸入物のトランプのリアルな描写である。札の四隅にインデックスがついているのも当時のトランプらしくて良い。そして、私にとって最も興味深いのは、トランプを包んでいた包装紙がきちんと描かれていることである。模様があり、細長い四角の枠内に、製作者の名前であろうか、文字らしきものがある。私はこの章で、初期の輸入トランプは木箱ではなく包装紙で包まれていたと指摘しているが、これがその実例である。松岡と署名している絵師がどういう意図でここまでリアルに描いたのかは分からないが、いずれにせよ解禁直後のトランプの有様を伝えてくれる、ありがたい史料となっており、松岡に感謝している。
以上の三例に次いで古い、明治二十年代(1887~96)以降の輸入品も残っている。「K」「Q」「J」という順位の情報だけのインデックスが後からとって付けたように不自然に入っているカードであり、図柄の特徴からベルギー製のベルギー・パターンのものであることが分かる。こういうものが解禁後の時期に日本に輸入されていたことが面白いが、ベルギー・パターンはフランスのカードの地方版であり、絵柄もイギリスのものとは大きく違うパターンであるのだが、それと知った上で輸入したのか、あるいはイギリスのパターンとの識別が付かないままにトランプ大流行で生じた需要に応じるために安価なので輸入したのかは分らない。
もう一組はイギリスのパターンのカードであり、四隅にすべてインデックスが付いている。このカードでは、スペードのエースのデザインは独特のものであるが、同時代のイギリスに類似の物を見つけることはできない。ここで「スペードのエース」について説明しておくと、もともと、「スペードのエース」はトランプ税を課するカードとして税務当局によって厳重に監督されていて、時には税務当局自身がこのカードだけカード制作者が用意した用紙に印刷して手交することで製作個数を把握して脱税を防止したものであり、図柄は偽造困難なように当局が精密に作成してあるとともに、同じ国王の政府では同じデザインのものが各メーカーに渡されるのであって、メーカー側で自分が勝手に作図してよいものではない。後世、「スペードのエース」が「デューティー・エース(税金のエース)」と呼ばれ、また一種の畏怖の念をもたれるようになったのは、これを偽造、変造して脱税を図ったメーカーが死刑を含む重罰に処せられたことに由来する。偽造カードは、イギリス国内で作ったものであれば脱税品、当時安価な輸出用のトランプ生産が盛んだったベルギーのような国で作りイギリスに輸入すれば脱税品、生産国からイギリス以外の国、たとえば日本に輸出すれば、イギリス製の高級なトランプに似せたコピー商品ということになる。なお、この時期のアメリカでも、課税はなかったものの「スペードのエース」を特にデコラティブに飾る習慣がイギリスから伝わっていた。但し、アメリカでは図柄の上端には鷲を描くのが通例である。残されていたカードは、そこに鷲ではなくて王冠が描かれていたのでアメリカ製ではない。結局、やはりどこかの国で作られたイギリス製もどきのコピー商品と考えられる。最有力候補はベルギーである。
[1] Michael H Goodall “Minor British Playing Card Makers of the Nineteenth Century Volume 2 Woolleys & Company”, 1996, p.8, 11a.