この時期のもっとも代表的な「花札小説」は東京日日新聞社社長で執筆家も兼ねていた福地源一郎の作品であった。彼は、福地櫻癡(桜痴)の筆名で明治二十三年(1890)に『滑稽小説花懺悔』[1]を「やまと新聞」紙上で発表した。これは、当時の東京の上流社会の七人の花札好きの男たちが織りなす賭金が高額の花札勝負の有様を面白おかしく描いた小説で人気を得た。

この小説に登場する七人とは理財家の松野鶴蔵、法律家の桐山鳳栖、商業家の櫻谷幕助、製造家の武蔵野丸作、事業家の柳下定九郎、時論家の菊川青也、著述家の梅田鶯所である。彼らはいずれも時流に乗って成功して財をなした者たちで、この他に紅葉山棹鹿、萩原猪助、藤山杜鵑斎、八橋菖蒲之助、高雄紅楓、牡丹花蝶柏等というわき役も登場する。彼らが、色と慾の二本道で各地の贔屓の芸者らと花札の遊技に耽り、また、男同士での対戦ではお互いに熱くなって徹夜の連続で三日三晩の真剣勝負になり、賭金のレートもどんどん上がっていく。この激突の中、インチキをした、しないで殴り合いのけんかもするという体たらくである。そしてついには、柳下の二男で七歳の短作がジフテリアで危篤になっても勝負をやめないで死に目にも会えないという非道ぶりである。それが頭の上がらない人に説教され、ごろつきにゆすられ、新聞で叩かれ、若いものに負けるようになり、没落してゆくという筋書きである。当時の上流社会とは、実は明治維新後の成り上がり者、成金たちであり、彼らの間での花札熱が品性のなさまでとことんからかわれていて、全編のほとんどが「八八花」の遊技場面の描写であるので、当時の遊興の様が実によく分る、花札史研究にとっては必読の文献である。

花札の行われる場所はそれこそ所構わずであり、待合茶屋、料亭、食堂、旅館などの一室を借りて行うこともあれば、個人の家宅、別荘、移動中の列車や汽船などでも盛んに行われた。一般の庶民は三銭、四銭の低額の賭金で遊んだが、金持ちになると高額になり、その分、警察の眼をはばかって隠れて行わねばならないので、一室にこもるのが普通であった。福地は花札に熱狂する上流階級の人間を活写する中で、彼らの賭金を、五円賭けるのが「塔外(とうがい)」、十円が「半忍(はんにん)」、二十円が「惣忍(そうにん)」、三十円が「直忍(ちょくにん)」、四十円が「公簇(こうぞく)」で、遊技を始める前に、「おとなしく半忍かね」「なに半忍じゃあ詰まらないよ」「それじゃあ惣忍」「よしよし惣忍で辛抱しよう」「何だか食い足りないような心持だぜ」などと相談する場面を描いている。これだけ高額になるともちろん賭博罪の適用があるのだが、閉鎖空間で行っていれば仲間内や関係者からの密告がない限り警察は手を出せない。なお、隠語の「塔外」は「等外」で「半忍」「惣忍」「直忍」「公簇」は宮中での官吏の序列区分を示す「判任官」「奏任官」「勅任官」「皇族」のもじりであるのが明治人らしい諧謔でおかしい。


[1] 福地櫻癡『滑稽小説花懺悔』やまと新聞、明治二十三年。但し、『櫻癡全集』中巻、博文館、明治四十四年による。

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