これに加えて、デジタル社会の驚異的な発展に伴い、インターネット上に多数の花札遊技サイトが登場した。そこでは、もちろん伝統的な花札図像を用いるものもあるが、新しい発想で基本の図像とは異なる独自の図像を取り入れることも容易である。もちろんここでも、個人のアートとして、花札図像をもじった数枚のカードデザインを発表する者が多数おり、中には四十八枚のフル・バージョンで自己の作品を発表する者もいる。

カルタ遊技愛好者の専用の遊技場、同好の士の集まる空間をどうすれば実現できるのか。これが、今後も花札が遊技として社会的に存在し続ける一つの条件となるが、今は社会全般がそうであるようにネット上にそういう空間が出現している。新しいカルタのゲームサイトが現れている。ネットで同好の士と知り合い、花札のゲームを楽しむ。参加者の間で緩やかな集合体を作る。そこに、ポイント制や段級位制を導入して一体感を高める。新しいゲームのルールを試してみる。そして、メンバーが実際に顔を合わせて競い合う大会、オフ会を開催する。そこには優勝の賞金なども用意される。こんな形でコンピュータ時代の愛好者の連携が実現しようとしている。私はここにも新しいかるた、カルタ遊技文化の可能性を感じることができる。

ここで素人の私が言うまでもなく、日本では、デジタルゲームが発達している。それは、遊技する人間のイメージを一新するほどに衝撃的であり、多くの人間がゲーム依存症になって社会問題化している。そして、すでに、デジタルゲームを対象とするゲーム学が成立し、日本製のゲームが、日本の遊戯文化の伝統を受け継いで、欧米のゲームと比較すれば穏やかであることも分析されている。こういう歴史的な文脈の中で、カルタ、かるたの遊戯をどう位置づけるのかは、今日のカルタ研究の大きな課題である。ただ、ここでその世界に踏み込むことはしない。代わりに、最近、私が読んで印象に残っている文献を紹介するにとどめておこう。日本記号学会編『賭博の記号論』(特に吉田寛「ギャンブルに賭けられるものは何か」)[1]中沢新一・遠藤雅伸・中川大地『ゲームする人類』[2]松井広志・井口貴紀・大石真澄・秦美香子『多元化するゲーム文化と社会』[3]などである。ここで、ホイジンガ―やカイヨワにまで遡っている議論を見ると、カルタ研究の世界でのあまりにも牧歌的な議論にため息が出る。令和年間のカルタ、かるた文化論は、アナログ遊技論の世界に閉じこもることなく、デジタル遊技も視野に入れた研究に進展することが望まれる。


[1] 日本記号学会編『賭博の記号論』(特に吉田寛「ギャンブルに賭けられるものは何か」)、新曜社、平成二十九年。

[2] 中沢新一・遠藤雅伸・中川大地『ゲームする人類』、明治大学出版会、平成二十九年。

[3] 松井広志・井口貴紀・大石真澄・秦美香子『多元化するゲーム文化と社会』、ニューゲームズオーダー、平成三十年。


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