二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (十)かるた文化の近代化 松井天狗堂(大阪)の対米輸出品の包み紙 このようにして、明治、大正、昭和前期と、様々な問題を含みながら近代化を遂げてきた日本の社会で、かるたの文化もまた近代化を遂げた。自然と共生し、文芸文化の香りを強く漂わせていた江戸のかるた文化は衰退し、多くは滅んでいったが、新しいかるたの文化も誕生した。花札はカードに固有の点数と役... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (九)日本のカルタの対外進出 カルタの近代を性格づけた大きな要素はカルタの対外的な進出である。日本は東アジアに巨大な帝国を築き上げたが、その対外的な膨張と侵略の先端では常にカルタ博奕が盛んに営まれており、日本は言わば「花札帝国主義」の国になっていた。 北海花(任天堂(明治前期)・復元品) 日本の膨張の第一段階は明治前期(1868~87)の北海道と琉... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (八)詐欺的なカルタ札に関する取材の経験 こうした詐欺的なカルタの制作は昭和後期にまで続いていて、私もカルタの制作者サイドでわずかに見聞する機会があった。これは、なにしろ取材先の非合法な行為に関することなので、ある時、あるカルタ屋でとしかいいようがないし、読者が実証も反論もする余地のないデータを掲載して良いものか迷ったが、余計な無駄話だと寛大にお考えいただけた... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (七)日本国内での花札賭博、カルタ賭博の展開 花札やその他のカルタを扱う博徒には巧みな技の持ち主が多かったようである。博徒の一家では、花札賭博を開始するときには、若い下端の構成員は客の案内、警察の取り締まりを警戒する見張り、下足番などの仕事を割り当てられ、長時間その仕事を担当させられた。その際には花札を一組渡されて、手がカードに馴染むように、一組四十八枚の札を切っ... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (六)京都のカルタ屋による全国の「地方札」の制作 カルタ屋は、同時に少量ではあるが、「八八花」の全国に及ぶ大流行よりも以前の時期に各地で使われていた、その地方の花札の遊技を支えてきた個性の強い地方札のカードの生産も続けていた。明治前期(1868~87)に製作されていた物を北から言うと、「北海花」「花巻花」「山形花(奥州花)」「越後花」「越後小花」「虫花」「阿波花」「備... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (五)賭博遊技カルタの生産 骨牌税が導入された明治三十五年(1902)から第二次大戦の敗戦の昭和二十年(1945)までの約半世紀の間は、賭博遊技カルタの歴史の中で最も明るい時代であった。それの制作も、販売も、使用も公認されて合法のものとされ、広く人々に開放された。この時期を賭博遊技カルタの歴史の最盛期と呼ぶべきなのかもしれない。 賭博遊技カルタ制... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (四)「賽本引」と「手本引」 ここで、上でちょっと触れた「賽本引」と「手本引」について少し踏み込んで説明しておこう。 近代の日本に起こった新種のカルタ賭博として、「賽本引」と「手本引」がある。両者についてはウィキペディアに詳細な説明が掲載されており、基本的にそれの活用を勧める。したがって、ここではウィキペディアが書き洩らしている点を補足するように説... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (三)カルタ賭博の隆盛とその取締り 明治時代(1868~1912)から昭和前期(1926~45)にかけては、「めくりカルタ」や「かぶカルタ」などの賭博用カルタの盛期でもあった。博徒が経営する各地の賭場では伝統の賭博カルタが盛んに用いられた。そこで用いるカードは京都のカルタ屋から高品質のものが供給された。カルタ屋は納税すれば合法のカードなので安心して制作、... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (二)骨牌税法の展開 帯状骨牌印紙(明治三十五年) 骨牌税法の施行については、明治三十五年(1902)七月一日に向けて準備が進んだ。五月二十二日に「骨牌税法施行規則」(明治三十五年勅令第百五十四号)と「骨牌ニ貼用スヘキ印紙ニ関スル件」(明治三十五年勅令第百五十五号)が定められ、六月十日に大蔵省令第十四号で骨牌印紙の形式が定められた。この段階... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (一)骨牌税法の制定 花札の流行が盛んなさなかに、カルタ業界にとってはゆゆしい事態が生じた。骨牌税の導入である。骨牌税法は明治三十五年(1902)二月に帝国議会に提出され、同年四月に成立して公布された。施行日は七月一日であった。 片山貞次郎「骨牌ニ重税ヲ課スル事ニツイテ」 骨牌に対する課税を最初に主張したのは東京帝国大学卒の大蔵官僚、片山貞... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (五)手作り花札の製作工程 花札はもともと、多くの色彩が加えられていてカラフルに美しいのが魅力の基礎であった。そのために花札の製造では手仕事が大事にされて、張り抜き、カッパ摺りの技法が用いられていた。これまで、この制作工程については、昭和四十八年(1973)の『季刊「銀花」』第十三号、昭和五十二年(1977)の『京都』第三百八号、平成七年の『中央... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (四)人気ブランド花札の登場と商標登録法制度への参入 日本骨牌製造の「大隊長」印(左:明治、中:大正「錫箔包」、右:昭和) 明治二十年代(1887~96)、急激な花札の需要の拡大に追われて既存の花札の製作業者が多忙に過ごすとともに、何軒もの新規参入業者も出てきたが、市場で商品の品質と価格の競争が起こり、いつしか、市場での評価の高いブランド商品ができてきた。東京銀座の「上方... 館長