六 江戸期の庶民文化と「百人一首」 (一)庶民文化が取り込んだ「百人一首」 百人一首は、和歌文化の範囲を超えて、江戸時代の文芸に広く影響した。岩田は、俳諧、とくに雑俳の「小倉附け」「小倉笠」の果たした役割の重要性を指摘して、享保十八年(1733)刊の『雨のおち葉』の「きりぎりす・泣とおさえる歌かるた」を例示し、また、江戸座附句集の「八重むぐら臼盗まれて広く成」、解説すれば、八重むぐら茂れる宿で... 館長
五 賭博遊技化した百人一首かるた (三)新発見の史料がもたらす旧説の見直し この初期の「むべ山かるた」の新発見に付随して、一、二点の注記が必要である。第一に、昭和四十年代(1965~74)に山形県の旧家の人から滴翠美術館に寄贈された、屏風に仕立てられた手描きの「むべ山かるた」のカード二百枚の史料批判である。これは他に例がない完揃いのカードであり、発見の当時には、「日本かるた館」での研究において... 館長
五 賭博遊技化した百人一首かるた (二)初期の上方製「むべ山かるた」の発見 むべ山かるた」(上方風、 制作者不明、江戸時代後期) しかし、私は、江戸時代中期(1704~89)でも早い時期の上方製と思われる「上方風」の札を発見し、手元に確保することができた。これを基に「むべ山」の発達の跡をたどりたい。 まず、「上方風」かるたの外形の事実であるが、漆を生掻けした木箱は縦十四・七センチ、横九・一セン... 館長
五 賭博遊技化した百人一首かるた (一)むべ山かるたの賭博遊技化 『博奕仕方風聞書』(寛政年間) さて、江戸時代中期(1704~89)の江戸で、「むべ山かるた」が賭博系のかるた遊技として大流行した。かるたの文化現象としてはとても興味深いものがあるので、ここで紹介しておこう。 まず、その遊技法であるが、寛政年間(1789~1802)にできた江戸町奉行所の与力の報告書『博奕仕方風聞書』に... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (六)庶民教育の教材となった「百人一首かるた」 かくして、江戸時代後期(1789~1854)はかるたの全盛期になった。本章ではそのことを細かく見てきた。そこには、これまであまり注目されてこなかったが、言葉遊び、歌舞音曲、芝居見物、旅行、性娯楽など、大人の遊興が色濃く反映していて、かるたは大人の遊技の道具であった。そしてそこにはもう一つ庶民教育、特に女子教育という要素... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (五)かるたは百人一首の優位、文芸作品は源氏物語の優位 こうして、口承文芸、もじりの精神を組み込むことによって、百人一首カルチャは拡大し、かるたの世界では源氏物語のかるたよりもはるかに広く遊ばれるようになった。文字を知らなくても遊べる点や、賭博の臭いの強い遊技法の開発など、文芸としては外道な部分でも創意工夫の差が大きかったのであろう。 だが、文芸としては源氏物語のほうがはる... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (四)異種百人一首、もじり百人一首の成立 こうした百人一首カルチャの成功を見て、さまざまな類似品が考え出された。何かしら、テーマで百首の和歌を集めた異種百人一首がそうであり、さまざまなものが開発された中には、上流階級のお姫様の好みであろうか、百人の女性歌人の和歌に、各々の歌人像を添えた美麗な「女房百人一首」本も登場している。こうしたものは源氏物語の文化では発生... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (三)百人一首かるたと源氏物語かるた かるたとしての広がりという点からすると、百人一首かるたの勝ちであった。江戸時代の全期を通じて、さまざまな歌合せかるたが存在した。伊勢物語、古今集、新古今集、自讃歌集、三十六歌仙歌集などが作品として盛んに用いられた。これらは、文字かるたが多かったが、中には、源氏物語と同じように、和歌の作品の場面を描く挿絵の入ったものもあ... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (二)源氏物語かるたの起源 貝型源氏歌かるた(制作者不明、 三池カルタ・歴史資料館蔵、江戸時代前期) 初期の歌合せかるたとしては、「百人一首かるた」よりも「源氏物語歌合せかるた」(以下「源氏物語かるた」)のほうが優勢であったように思われる。残された寛文、延宝期(1661~1681)以降の「源氏物語かるた」を見ると、紙片を雄雌の貝殻の形に切り取り、... 館長
四 源氏物語かるたと百人一首かるた (一)江戸時代の女性文化を飾った源氏物語、伊勢物語、小倉百人一首 江戸時代の女性文化の中心に源氏物語の受容があった。それは広く「源氏文化」ないし「源氏物語カルチャ」と呼ばれている。江戸時代の日本においては、源氏物語は、主として公家や大名の世界で長大な作品のままに文芸作品として読み込まれただけでなく、同時に、高い識字率を背景にして成立した木版印刷の梗概書(こうがいしょ)によってあらすじ... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (四)吉田家伝来百人一首かるたは合せ取る歌貝・續松遊技の仕様 こうして、吉田家旧蔵かるたの正体についてある程度の推測が可能になる。このかるたは高級な手描きのものであるが、京都の二條通り周辺のかるた工房で制作されていたこのレベルの高級かるたでは元禄年間(1688~1704)に裏紙が銀色紙からより一層豪華に見える金色紙に代わっている。しかし、本品はなお銀色紙であるので、元禄年間(16... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (三)歌意図の食い違いと書家の関与 問題はこの先にある。かるた札は一対の上の句札と下の句札を、前者を右に、後者を左に隣接させて並べて見ると、図像が見事に連続しており、元々かるた札二枚分の大きさの一枚の紙に歌意図を描き、それを二つに裁断してかるたに仕立てたことが分かる。ところが、百対のうち三十対以上で、左右が入れ替わり、図像の右半分の札に下の句が、左半分の... 館長