三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (二)かるた工房で制作された職人技の作品 そこで、このかるたについて観察を深めたのであるが、まず、これが全く個人的な思い付きで制作された一点限りの素人作りのものではないことを確認しておきたい。個人の好みで自家用に制作されるのであれば、いわば何でもありの状態であるから歌意図を加えることを思いついて実現させる可能性はあるが、その場合には、札の作りがいかにも素人っぽ... 館長
三 江戸中期まで盛んだった歌貝(續松)遊技 (一) 歌貝(續松)仕様の百人一首かるた(吉田家旧蔵)の出現 江戸時代中期(1704~89)、後期(1789~1854)の百人一首かるた遊技の盛衰を扱う上で外せないのが、歌貝(續松)遊技の衰退である。これは、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)には百人一首かるた遊技の最も人気のある遊技法の一つであったのに、江戸時代中期(1704~89)に消えていった。その後... 館長
二 歌合せかるたの遊技法 (四)二人で行うかるた遊び 遊女かるた遊び図(西村重長筆、元文年間頃) 江戸時代中期の絵師、西村重長の肉筆の絵画に、遊女が二人でかるた遊びをしている情景を描いたものがある。西村は西洋の遠近法を取り入れたパイオニアの一人であり、それを用いた遊郭の部屋と、伝統的な日本画の遠近法を用いた風景とを一枚の画面に収める、過渡的な画風の絵や、歌舞伎舞台の「浮絵... 館長
二 歌合せかるたの遊技法 (三)元禄年間に始まる遊技法「むべ山かるた」 近代の百人一首の遊技法では、和歌の上の句のカードが読み上げられ、対応する下の句のカードを素早く取ることが要点になり、ついには「競技かるた」としてもっぱらスピードを競う体育の試合の様相を示すようになったが、江戸時代には、スピードに拘泥しない遊技法があり、とくに、古い時期のものには、他の遊技者に配られたカードに侵略して攻撃... 館長
二 歌合せかるたの遊技法 (二)「上の句札」を吟誦する遊技法の導入 その後「歌合せかるた」の遊技法は、「上の句」のカードを場に出すのではなく読み手が独特の装飾音声が加わった「吟誦」、つまり音節の引き延ばしと言葉の節回しを込めた発声で読み上げて「下の句」のカードを探すものに変形されていた。そして、このように変化してみると、以前の沈黙の遊技法よりも遊技の座が賑やかで華々しくなり、この遊技に... 館長
二 歌合せかるたの遊技法 (一)「露松」と「哥がるた」 『色道大鏡』(写本) (畠山箕山、延宝六年) 江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)の遊技法の理解で最も重要視するべき実証的な記録がある。延宝六年(1678)刊の『色道大鏡』である。同書で著者の畠山(藤本)箕山が「巻第七 翫器部」などで取り上げた遊郭での歌合せかるたの遊技、「續松」と「哥がるた」を見... 館長
一 「歌合せかるた」の広まり (三)歌合せかるたの社会的流行は承応年間以降 歌合せかるたの遊技法は、最初は『当家雑記』がいうように「貝覆い」と同じく「下の句」札を床上に円形に並べ、その中央の空地に「上の句」札を一枚出して対応する「下の句」札を探すというものであった。まさに「上の句」札と「下の句」札を合せ取る「歌合せ」の手法である。 こうした歌合せかるたの遊技は、貝覆とそれを引き継いだ「絵合せか... 館長
一 「歌合せかるた」の広まり (二)和歌は口承文芸の文化財 「百人一首歌合せかるた」には、ゲームの比較研究の上では見逃せないもうひとつの大きな特徴がある。このかるたの遊びでは、江戸時代前期、元禄年間(1688~1704)頃から、音声が使われたのである。今日、日本人はこのことを全く当たり前のように受け止めているが、世界のカードゲーム史のなかではごく稀なできごとである。 日本の口承... 館長
一 「歌合せかるた」の広まり (一)歌合せかるたは女性の遊技具 古今和歌集加類多(制作者不明、 三池カルタ・歴史資料館蔵、江戸時代中期) 蛤貝の貝殻は一対の相手としか合わないことが、夫婦の末永い和合を願う婚礼にふさわしいとして、江戸時代には、上流階層の女性の嫁入り道具にこの貝殻を材料に用いた貝覆の遊技具が加えられた。実家が裕福であれば、それだけ豪華なものが持参された。 これを真似し... 館長
四 宮廷絵画の世界での幕府による覇権の確立 (三)元禄年間に起きたかるた図像の転換 私は、崇徳院の上畳の問題をこういう文化史の背景の中で理解するようになった。後水尾朝廷が崇徳院を「廃帝」として上皇位から追放し、幕府がそれを良しとせず、暗黙裡にそれを是正して上皇とするように求めたという、元禄年間(1688~1704)に至る江戸時代初期、前期の歌人絵をめぐる歴史的な事情、文化的な背景を見据えたうえでの理解... 館長
四 宮廷絵画の世界での幕府による覇権の確立 (二)幕府の文治政策と江戸中心の文化の創出 北村季吟(江戸時代前期) これに代えて幕府が行ったのが、天皇の有する文化的な権威を幕府に吸収し、文化的な意味での首都を京都から江戸に移す文治政治の展開である。文化面での主導権の奪取は着実に進み、儒学での林羅山、仏教での崇伝や天海、輪王寺宮(日光御門主)、歌学での細川幽斎や北村季吟らによって、文化の中心が京都から江戸に移... 館長