MONOGRAPH Namban Carta: Resurrected after 450 Years Takashi Ebashi English/Japanese 次のページ 1 2 3 4 5 6
五 読み遊技の絵画史料、『繪本池の蛙』 (二)『繪本池の蛙』の画像は合せカルタ遊技の場面 そこでは、ページの上部に「二子(にこ)ゝゝと三子(さんこ)にちかきよみがるた 青二(あをに)ひねれば丸二(おかわ)なりけり」という狂歌があり...
三 「ことば遊びかるた」の広がり (五)意外に少ない旅行のかるたと性娯楽のかるた 江戸の娯楽で盛んだったのが、寺社詣での旅行である。江戸で言えば、近隣の成田詣で、大山詣で、富士山詣でから、善光寺詣で、伊勢神宮詣で、出雲大社...
三 賭博遊技系カルタの 展開 (一)トランプ類税法の制定 骨牌税は、カルタ産業の規制に猛威をふるったが、昭和二十六年(1951)に税額を六十円に減額した。この時から、従来の禁止税のような重圧はなくな...
二 『百人一首手鑑』、『百人一首画帖』発祥の歴史 (一)歌仙手鑑の手本は『素庵百人一首』 百人一首の「歌仙手鑑」が登場するには、歌人像のモデルが必要であった。それは『素庵百人一首』や『尊圓百人一首』に掲載された図像であった。『素庵...
二 大正末期の新輸入品、麻雀の伝来 (二)麻雀遊技のパイオニア 名川は、確かに記録上は日本に最初に「麻雀」をもちこんだ人物であり、樺太の中学校の教員であったのでその周辺で「麻雀」の遊技を楽しんだと思われる...