ボハルデカルタ補正版
ボハルデカルタ補正版

四 復元された「南蛮カルタ」の図像学的な特徴

このカードの登場によって、私たち、カルタ史の研究者は、16世紀、大航海時代の世界のカルタとして、①ベルギー、Antwerpen市(現地音表記、英語表記はAntwerp市)内のカルタ屋、GVBこと、GILIS・VAN DEN・BOGARDE・ANVERIS作、1567年に制作されたドラゴンカルタ44枚、②ベルギー、アントワープ市内CF社が、教会の壁紙に転用した1574年よりも以前に制作したドラゴンカルタ骨摺り廃紙13枚、③スペイン、制作地不明のFrancisco Flores社作、1587年頃制作のドラゴンカルタ1組48枚の未裁断表紙2枚と裏紙集1枚、④ポルトガル、制作者不詳、17世紀制作のドラゴンカルタ23枚、⑤マルタ、Inferrera社作、1693年制作のドラゴンカルタ19枚、という基準的な物品史料を手にしたことになるし、日本の「三池カルタ」や「天正カルタ」をこうした世界の潮流の中に位置づけて理解することができるようになった。このことを思うと、今回の発見、情報開示がいかに貴重なものであるかがよく理解できる。

ドラゴンカルタ・アントワープCF社
ドラゴンカルタ・アントワープCF社製
スペインのドラゴンカルタ、フロレス製
スペインのドラゴンカルタ、フロレス製
ドラゴンカルタ・ポルトガル
ドラゴンカルタ・ポルトガル
ドラゴンカルタ・インフェレール社製
ドラゴンカルタ・インフェレール社製

今回発見されたカルタは、Antwerp市のGilis van den Bogardeが、1467年に制作している。そして注目されるのは、何枚かのカードで、カルタの画像が裏返しに摺られていることである。画像は左右が逆転したことになる。この不思議なミスは、日本のカルタのように中国由来の木版印刷の技法、すなわち山桜などの大きな一枚板に一組すべてのカードの図像を彫り、それを摺り出してカードに仕上げる方式では起りえない。そうではなくて、グーテンベルグ以来のヨーロッパの木版活字印刷では王道だが、木口木版で小さな木片に1枚ずつカードを彫り、摺り出すときには48枚の小版木を寄せ集めて表面を滑らかに揃えて摺る方法で作られるときに生じるミスである。実際に、ドイツ、マインツ市にあるGutenberg Museumには古いカルタの制作方法を示すために木口木版の版木が展示されている。この方式では、使用する一部の版木が使いすぎて痛んでくると、その部分を新たに彫った版木と交換する。その際には、まず旧い版木で画像を摺り出して元絵を作り、それを新しい板木に裏返して貼り付け、その線に沿って彫りこんでいく。だが、しばしばこの工程を忘れて元絵を裏返ししないままに貼り付けて彫ってしまい、それを使って摺ってでき上がったカルタの図柄が裏返し、48枚の1組のカード中で、一部のカードだけが左右逆転になってしまうミスが起きる。これは木口木版印刷に固有のミスで、これがあると木口木版の方式で制作したカードだとすぐに理解できるのである。

このカルタの大きさも重要な情報である。これは縦が約9センチである。日本に伝来したカルタとその後の国産のカルタの大きさの変化に言及した研究者は私が最初であったと思うが、私は、諸史料の検討のなかで、16世紀後半に伝来した「南蛮カルタ」は今日のタロットカードに残るような縦が約9センチの大型であり、17世紀前半の日本国産カルタは百人一首歌かるたのように縦が約7センチの中型、江戸時代前期、17世紀最後の4半世紀頃のカルタ大流行期に普及した木版カルタは花札や賭博系のカルタのように縦が約5センチの小型であり、順次に小型化したという仮説を提示した。今回発見された「南蛮カルタ」は縦が9センチ2ミリ、横が6センチちょうどである。私の説の実証性が飛躍的に高まったことは嬉しい。

このカードの図像、模様を見ると、いくつかの特徴が見える。まず、このカルタのエース札には、いずれも「ドラゴン」の図像があり、それがこのカルタを「ドラゴンカルタ」と命名する理由になっている。そして、その4枚の「ドラゴン・エース」の中で、紋標「こん棒(ハウ)」の「エース」の図像が左右逆転している。日本の「天正カルタ」では紋標「こん棒(ハウ)」のエースは他の三枚の「エース」と同じように左向きであり、紋標の「こん棒(ハウ)」は右上隅に向かっている。それがこのカルタでは「ドラゴン」は右を向き、「こん棒」は左上隅に向かっている。但し、こういう例はほかにもあり、特に、上記の④の旧Sylvia Mann コレクションにあった17世紀、ポルトガル製とされるドラゴンカルタでもこのカルタ札と同じ向きである。16世紀のヨーロッパでは、ミスに拘らないと言えばいいのか、おおらかと言えばいいのか、左右のどちら向きのものも作られていたのだろうと思われる。

ドラゴンエース、上ボハルデ・下三池カルタ
ドラゴンエース、上ボハルデ・下三池カルタ
ポルトガルのドラゴンエース
ポルトガルのドラゴンエース

なおここで、「ドラゴン」という表記について一言注記を入れておきたい。日本に伝来したカルタには、木版の「南蛮カルタ」や「天正カルタ」のように、「ヨーロッパのドラゴン」のイメージを伝えるものと、主として手描きだが「うんすんカルタ」などのように、「中国の龍」のイメージを伝えるものがある。「ヨーロッパのドラゴン」は年老いた「蝙蝠(こうもり)」の化身であり、飛膜のある翼をもっているが火は吹かない。一方「中国の龍」は、年老いた「蛇」の化身であり、翼はなく、「火龍」と言われるように、火を噴いて旋風の様になって天に上る。だから木版「天正カルタ」の「ドラゴン」は飛膜のある翼を伴って描かれ、手描きの「うんすんカルタ」の「龍」は火炎をまとって描かれるものが多いこれは定型的な相違点であり、そこにどういう意味が潜んでいるのかは検討に値する。

ヨーロッパのドラゴン
ヨーロッパのドラゴン
中国の火龍
中国の火龍
手描き天正カルタ・南蛮文化館
手描き天正カルタ・南蛮文化館

ただし、誤解のないように触れておくが、大阪の南蛮文化館にある江戸時代初期の手描きの「天正カルタ」の「龍」は「火龍」である。また、18世紀の「うんすんカルタ」の中でも、「三池カルタ館」が復元した、『うなゐの友』収録の西沢笛穂旧蔵のもの、シルビア・マン・コレクション旧蔵のもの、そして、九州国立博物館蔵のものなどはいずれも翼のある「ドラゴン」である。「南蛮カルタ」の伝来ルートは錯綜しているように見える。基礎となるデータが少なすぎて断定的な意見に躊躇する。

うんすんカルタ・九州国立博物館
うんすんカルタ・三池カルタ記念館
うんすんカルタ・九州国立博物館
うんすんカルタ・九州国立博物館

従来のカルタ史研究では、比較研究できる物品資料が少なかったことも影響したのか、この重大な相違点には無関心であったが、私は、翼のある「ドラゴン」を描いたカルタは「南蛮カルタ」のようにヨーロッパ船から直接に日本に伝わった、つまり「直接伝来」であり、「火龍」を描いたカルタはアジアに入ってからどこか、東南アジアか中国本土の中国人社会で愛玩されて時を過ごし、デザインが現地化して「中国の龍」になり、それが日本に伝来した「間接伝来」である可能性があると考えている。このように、「ヨーロッパのドラゴン」と「中国の龍」の二種類の画像のイメージから、ヨーロッパのカルタの日本への伝来ルートが複数あったかもしれないし、さらに言えば火炎を噴く「龍」のあるカルタは、もしかしたら中国人社会の制作かもしれないのであるが、この点への関心を表わす趣旨で、この文章では「龍」ではなく「ドラゴン」と表記している。 

ドラゴンカルタの彩色、左からフロレス ボハルデ、うんすんカルタ
ドラゴンカルタの彩色・左からフロレスカルタ、ボハルデカルタ、うんすんカルタ

次に気になるのは、紋標「こん棒(ハウ)」と「剣(イス)」のカードの彩色である。日本の「天正カルタ」は、「こん棒」は緑色、「剣」は赤色と明瞭に別れていて、一目で区別がつく。しかし、スペイン、セビリア市の博物館に残る上記③のフロレスのカルタでは紋標「こん棒」でも「剣」でも赤色と緑色が混じっていて区別がしにくい。それが、このベルギー製のドラゴンカルタの場合は、紋標「こん棒」ではなお部分的に赤色が残っているが中央部分は緑色が支配的であり、紋標「剣」では骨摺りの黒色と赤色に二分されていて、一目で見分けがつくように明確に区別されて彩色されている。同じヨーロッパでも時期と場所によって彩色に違いがあるのだと気づかされる。

「オウル」の6
「オウル」の6、左から、ボハルデカルタ、フロレスカルタ、三池カルタ(復刻品)

もう一点気になるのは、紋標「金貨(オウル)」の「6」のカードにある横顔の図柄である。ヨーロッパのラテン系カルタでは、横顔は左上部と右下部に描かれているのが多数であるが、「天正カルタ」では右上部と左下部になっている。日本のカルタは左右が逆転した裏摺りである。また、このカードにある6枚の「金貨」紋は、ヨーロッパの上記②、③のカルタではいずれも右上から左下に斜めに描かれているが、「天正カルタ」では左上から右下に描かれている。日本のカルタが特に独自性に拘ったとは思われないので、日本にやって来た「南蛮カルタ」はたまたま裏摺りの少数派で、「金貨」紋が左上から右下に6枚描かれていて、空いている余地からして、横顔の位置も右上と左下にあったのであろう。これもまた、画像の反転という現象の事例である。

次に3種類の絵札、「女従者(ソータ)」、「騎士(カバロ)」、「国王(レイ)」に眼を転じよう。まず「女従者(ソータ)」のカードであるが、ヨーロッパのカルタではどれも4紋標のソータの全員が左を向いていて、この「南蛮カルタ」でもそうである。これに対して、日本の「天正カルタ」は紋標「金貨(オウル)」の「ソータ」だけが右を向いている。日本に入ってからの画像の反転であろうか。次に「騎士(カバロ)」のカードでは、紋標「剣(イス)」や「金貨(オウル)」で左右の逆転が起きている。もう一つ、「国王(レイ)」のカードでは「国王」の顔つきが興味深い。「天正カルタ」は若くてかわいい少年王の表情であり、これは、上記②のアントワープの教会壁紙のドラゴンカルタ残欠とよく似ている。それが、今回公開されたカルタではやや大人びた成人の王の表情に描かれている。この点もメーカーにより、あるいは制作地により、異なっているのだということが分かる。

ソータ、上・ボハルテ、下三池
「ソータ」、上・ボハルデカルタ、下・三池カルタ
オウルのキリの顔面(左・ボハルデ、右・三池)
「オウル」の「キリ」の顔面(左・ボハルデカルタ、右・三池カルタ)
ボハルデのカルタ・裏面
ボハルデのカルタ・裏面

もう一点、裏面の図柄も興味深い。そこには、北方ルネッサンスの中心都市らしい、ルネッサンス特有の均整の取れた青年の像が描かれている。これが16世紀のアントワープ市民、Sinjorenの美意識であり、15世紀の頃の中世の宗教画のような図像でないことが印象的である。日本では、「南蛮カルタ」の背面にはキリストの肖像があり、「天正カルタ」ではキリシタンの信仰の偽装ツールではないことの証しとしてその画像を避けたとする、見てきたような実証性のない仮説が通用していた。だが、この仮説は今回の新発見で完全に克服された。

なお、今回の公開によって、ベルギーのドラゴンカルタの彩色についても確定的な史料を得た。それは想定通りの赤色、黄色、緑色であった。その各々が塗られている個所は、着衣などでは復元「三池カルタ」とは異なっている個所が多い。だがそれは制作者の違いによるものを思われる。他方で、ドラゴンカルタではこの3色の顔料を使ったという推測は誤りがなかったことが分かった。また、日本の「天正カルタ」では、早い時期から図像の上に金の彩色、銀の彩色が描き加えられていたと思われるが、基になった「南蛮カルタ」にはそれがなく、金の彩色、銀の彩色は日本独自の工夫であったことも分かった。

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