四 榛原茂樹牌と梅蘭芳牌 (五)榛原茂樹と波多野乾一 閑話休題。榛原は、さすがに、草創期の麻雀関連書物のこともほぼきちんと指摘していて誤りがない。また、クラブ式麻雀のその後についても、関西方面にはいくつかのクラブができていたが、それを別にして東京で考えれば、第二号は、大正十三年(1924)の春に『婦人画報』社が同社の建物で毎週開催したクラブである。ほぼ同じ時期に東京牛込の... 館長
四 榛原茂樹牌と梅蘭芳牌 (四)麻雀と書いて「マージャン」と読む歴史 ここで大きく脱線するが、「麻雀」と書いて「マージャン」「まあじゃん」と読むのは何語だろうか。「麻」は日本語では「ま」であり、これを「まー」と引き延ばすのは他に例が少ない。「雀」は「じゃく」であって、「じゃん」と撥音便化するのは他に例を見ない。そして、日本語の漢和辞典では、「雀」には、「すずめ」と「じゃく」はあっても「じ... 館長
四 榛原茂樹牌と梅蘭芳牌 (三)上方屋牌と文藝春秋社牌 麻雀ブームはその後東京にも移ってきた。大正十三年(1924)、まず『婦人画報』に麻雀を楽しむ女性たちが紹介され、林茂光の執筆になる競技法が掲載された。婦人画報社は、中国から麻雀牌を輸入し、林茂光の『麻雀の遊び方』を添えて売った。ついで、大阪で編集されていた『サンデー毎日』に麻雀の競技法が紹介された。同好の士のグループと... 館長
四 榛原茂樹牌と梅蘭芳牌 (二)関西での麻雀の流行 井上壽美枝『麻雀教科書』 その後、大正十年(1921)頃から関西地方で麻雀が徐々に流行し始めた。当初はルールもバラバラで混乱したが、大正十五年(1926)に大阪に「廣珍園麻雀倶楽部」が生まれ、昭和二年(1927)に「大阪麻雀倶楽部」と改称して規則の統合が進み、大阪の光榮商店から田邊竹三郎が『世界的遊戯 麻雀の遊び方』を... 館長
四 榛原茂樹牌と梅蘭芳牌 (一)黎明期の日本麻雀 日本人と麻雀の接触は、明治年間以降、中国を旅した者が現地で見聞したところに始まる。その多くは記録されることなく歴史の中に埋もれて風化してしまったが、鈴木知志は、長年、文献史料の発掘に努力し、何点か、埋もれていた史料を発掘した。夏目漱石が明治四十二年(1909)に大連、ハルピン、朝鮮を旅行して、その様子を「満韓ところどこ... 館長
三「自由麻雀」時代の麻雀牌 (四)自由麻雀の時代を代表する花辺牌 この、榛原牌の再鑑定は、「品子」を使っている古い時代の「昇官」牌や「公侯相将」牌の評価にも影響する。というのは、これまでは、榛原牌が1860年代のものと考えられていたので、それよりも図像として古そうな「昇官」牌や「公侯相将」牌は、それ以前、十九世紀中期、もしかすると十九世紀前半期のものと考えられていたのである。しかし、... 館長
三「自由麻雀」時代の麻雀牌 (三)榛原茂樹牌も自由麻雀の時代の産物 ここに一つ、問題がある。1928年に榛原茂樹が北京市で発見して入手した古牌である。榛原によれば、それは「一品」「二品」となっている麻雀牌で、文字牌は、三元牌が「晩」「凉(凉は涼の俗字)」牌で「白」牌は欠けている。風牌は「江」「村」「斜」「影」である。花牌として「棋」「僧」「待」「月」牌もあるという。花牌の図柄もまた、い... 館長
三「自由麻雀」時代の麻雀牌 (二)榛原牌と自由麻雀の時代 バブコック「自由麻雀」牌 1920年代にバブコック(Joseph Bubcock)がアメリカに輸出した麻雀牌の中に、四枚の「一筒」牌の各々で、筒子の中央に「自」「由」「麻」「雀」と彫り込まれたものがある。たまたまその牌のうちのひとつがモデルになってオランダで麻雀のトランプ状の紙牌が作られて、それが大ヒットして欧米各国で... 館長
三「自由麻雀」時代の麻雀牌 (一)榛原牌の発見 麻雀の発祥についてはよく分からないだけに、諸説が登場した。1860年代に太平天国の陣中で骨牌という形が考案されたという説が有力であるが、北京の宮廷だという説もあり、長江の物資輸送に携わる水夫たちが、馬吊の遊技に使う紙牌だと川風で飛ばされてしまうので工夫して紙牌から骨牌に改めたという説もある。 榛原茂樹牌 その中で異彩を... 館長
二 十九世紀の麻雀牌(プロト・マージャン) (十一)十九世紀、中国中部での麻雀の歴史 以上の検討によって、今日、十九世紀の麻雀牌の歴史に新しいスポットライトが当たるようになったといえよう。簡単に要約すると次のようになる。 (1)スタンウイックによるグロバー牌の発見により、麻雀史研究は、それまで、ウイルキンソン牌を軸にして十九世紀末から歴史を語っていたのを、約二十年遡って、1870年代の麻雀の歴史から語る... 館長
二 十九世紀の麻雀牌(プロト・マージャン) (十)野口晋一郎の麻雀牌 野口恭一郎牌 麻雀博物館には、館長の野口晋一郎が発見した、二組の宮廷麻雀牌がある。このうちの古いほうが、十九世紀麻雀史の検討に大いにかかわりを持ってくる。この牌は、縦二十二ミリ、横十七ミリ、厚さ十ミリで、ほとんど江橋牌と同じ大きさである。牛骨、裏は黒檀である。凹面で、四隅は角である。江橋牌と同時代の、1880年代のもの... 館長
二 十九世紀の麻雀牌(プロト・マージャン) (九)江橋崇の麻雀牌 日本のカルタ史の研究者である私、江橋崇は、中国のカルタである馬弔(馬吊)紙牌の歴史を検討していくなかで、馬弔(馬吊)紙牌から麻雀紙牌を経て麻雀骨牌への発展があることを知り、麻雀の歴史についてもカルタ史の一部としての研究を行い、中国各地に残る伝統的な紙牌や古い麻雀牌のコレクションを行っていた。江橋は、十九世紀に馬弔(馬吊... 館長