南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 四 南部黒札の骨刷り五点 以上のような研究の状況を土台として、まず、今回知ることができた黒札五点について私の評価を記しておきたい。なお、カルタの名称は、「張込帳」中に特に記載がないので、整理の都合上、私が決めた。 南部黒札①(岩手県立図書館蔵) 黒札版木骨刷り①(後刷り、「吉見」製、幕末期) 相当に古い図柄のものである。一般に、旧南部藩内でカル... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 三 花巻市内でのインタビュー調査 花札ラベル紙(「京娘」)(花巻・鶴田実、昭和後期) (一)花巻市の「鶴田」の鶴田ハナからの聞き取り調査 私は、昭和五十六年(1981)に花巻市で面接調査を行い、廃業したカルタ屋、鶴田の女主人、鶴田ハナから話を聞いた。当時のメモをここに再現する。 自分は現在六十四歳で、四十年前に嫁に来た時からカルタ作りで働いたので、今で... 館長
二 南部カルタの研究史 (二)花巻でのカルタ屋の起り 江戸時代の天正カルタでは、京都ないし大坂のカルタ屋が制作するカルタ札が全国に普及していたが、江戸時代後期(1789~1854)、天保の改革以降の時期には、カルタ札の制作、販売への規制も厳しくなり、その供給に障害が生じたこともあり、幕末期(1854~67)頃までには各地でカルタ札を現地で生産する動きが生じた。南部藩内では... 館長
二 南部カルタの研究史 (一)カルタ遊技の伝来 岩手県及び青森県にはこの地に独特の天正カルタ系の「黒札」と、独特の図柄の「花札」がある。 岩手県の旧南部藩には、江戸時代初期(1603~52)までにカルタ遊技が伝わり、江戸時代前期の元禄年間(1688~1704)頃までには、藩主、家臣、領民の間で相当に流行した。カルタ遊技が海外から伝来した時期からすると極めて早い使用例... 館長
南部カルタ、黒札及び花巻花札の歴史 一 岩手の郷土史家、太田孝太郎と南部カルタ版木の骨刷り 岩手県盛岡市の岩手県立図書館に、岩手の地方史研究者で、昭和三年(1928)に発行された『南部叢書』、昭和二十六年(1951)に刊行された『盛岡市史』の編著者である故太田孝太郎が残した資料『張込帳』があり、その中に旧南部藩領で制作された地方札、黒札の画像五枚と、南部花札(花巻花)の画像五枚がある。地方カルタ史の史料が僅少... 館長
幸徳秋水のかるた遊戯論 四 石川啄木 幸徳秋水 獄中からの手紙 さて、吉海の「百人一首かるたの研究(その2)」は、この幸徳秋水の文章の紹介に続けて、石川硺木の一文を紹介している。吉海曰く。「石川啄木の『A LETTER FROM POISON』(明治四十四年(1911)五月)に、幸徳秋水の『歌牌の娯楽』について、次のように記されていたので、参考までに挙げておきます。」である。『獄中... 館長
幸徳秋水のかるた遊戯論 三 幸徳傳次郎「歌牌の娯楽」≪考察≫ まず、若干の典拠を示しておこう。この文章、「歌牌の娯楽」は、元来は『平民新聞』第八號(明治三十七年(1904)一月三日)に載り、後に明治四十年(1907)に幸徳秋水の著作『平民主義』に収められたものである。この三年間に幸徳はだいぶ過激化したが、この穏健な文章はお気に入りらしく、『平民主義』に残されたのである。この三年後... 館長
幸徳秋水のかるた遊戯論 二 幸徳傳次郎「歌牌の娯楽」≪現代語訳≫ 一 ひとりの少女に、正月は何が最も楽しいかと問うたら、歌がるたを取ることだと答えた。そうだろう。私も子どものころこれがとても好きで、兄に付き従い、姉を追いかけ、食事も睡眠も忘れて熱中したことがしばしばあった。そこで思う。歌がるたの遊戯はなぜこれほどに楽しいのかと。 二 多くの人が、歌がるたの楽しさは競争にあるという。そ... 館長
幸徳秋水のかるた遊戯論 一 幸徳傳次郎「歌牌の娯楽」≪原文≫ (『平民新聞』第八號) 一 一少女に問ふ、新年に於て何物か最も楽しき、對へて曰く、歌がるたを取るなりと、之れ有る哉、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従ひて、食と眠とを忘るゝこと屡々なりき、依て想ふ、歌がるたの遊戯、何ぞ爾く楽しかりしやと 二 人多くは曰ふべし、歌がるたの楽しきは競爭に在りと、或は然らん、然れども... 館長
MONOGRAPH 江戸期かるた文化の研究 安土桃山時代に伝来した南蛮カルタは、江戸時代に、天正カルタ、うんすんカルタ、きんごカルタなどに変身して日本社会に定着しました。これに刺激を受けて、日本式の絵合せかるたも誕生して、花合せかるた(花札)や各種のいろはかるた群も遊ばれました。これと別に歌合せかるたも考案され、百人一首かるたを中心に栄えました。当時の日本は、身... 館長