(八) 日本における花牌麻雀の冷遇
ところで、日本人が麻雀にしたしむようになった大正後期(二〇一九~二六)から昭和初期(一九二六~三五)の時期には、中国では「素麻雀」の時代に入っており、すでに「混子牌」も「季花牌」も使われなくなりつつあった。そこで、日本における麻雀技法の紹介書、解説書は、例外なく「混子牌」を無視し、「季花牌」について、これを用いた技法を客観的に紹介したものはほとんどない。
そうした中で私が注目するのは、一九二九年の清雀倶楽部『標準麻雀必勝の作戦』¹である。清雀倶楽部は名古屋の麻雀倶楽部であり、前年の一九二八年に『麻雀競技法とその戦略』を刊行しており、そこでは、一組の麻雀は百三十六枚として花牌を無視していたのに、『標準麻雀必勝の作戦』では、牌數を百四十四枚として、花牌を加えた競技法を紹介している。なぜこのように大勢に逆らう変更を加えたのかはよく分からないが、中国南部の遊技方を導入しようというよりは、アメリカ式の遊技法をモデルにして導入を図ったのであろう。いずれにせよ花牌を活用する遊技法は稀少な例なので、関係する部分を抄録して紹介しておこう。
「花駒は八枚とも美しい繪が彫りつけてあります。そして駒の右肩に春夏秋冬とか梅蘭竹菊とか、或は福祿喜壽とか晴耕雨讀とかいふ字があり、春夏秋冬ならば四季の風景が描いてあります。」(四頁)。
「この花駒は唯勝負の數を多くするために用ひるのですから、使用しないでも差支ありません。安價な品には花駒はありません。支那人は花駒を用ひないさうで、西洋人が好んで用ひるとのことです。」(八頁)。
「駒は全部伏せてよく掻き交ぜ、各自の前に二個づゝ重ねて十八づゝ列べるのです。つまり各自の前に三十六個の駒が積まれるわけです。もし花駒を入れずに行る時は十七づゝ列べればよいわけです。以下花駒を入れての説明にします。」(一四頁)。
「持駒の内に花駒(繪駒)があるかないかを見て、有りましたらば自分の右方に洒して置くのです。なぜならば花駒は他の駒とは全然別のものなのですから、三枚あれば三枚とも場に表向に出さねばなりません。さて花駒があるものが全部出してしまつたらば、今度はその補充をしないと持駒が不足しますから、不足した駒だけを親から順々に離れ駒から補充します。……離れ駒から取つた駒が又花駒の場合があります。さういふ場合は、親から一順濟んでから取るのです。花駒が多い場合はこれを補充するために離駒が減りますから、その時は場駒の一番終ひの駒から不足だけの駒を離れ駒のうちに入れて置きます。離れ駒はいかなる場合でも必ず十四駒別にして置なければなりません。離れ駒を取る場合は、最初配られた時の花駒の補充をするのと、『槓』の場合に取るだけです。」(一六頁)²。 「四点――花駒は一駒四点に算す。」(三四頁)。」(原文にある振り仮名は省略した)
しかし、こういう例はごく少数で、花牌は通常はひどい扱いをされていた。当時の日本人の書いた教則本には次のような記述を見出すことができる。「(花牌)の點數は一枚を四點とし坐花(門風と同じ意味)を得れば總計をダブらせる。之れは全くの紛れ當りで徒らにその點數を嵩め麻雀の闘法に大なる障害を與へたのである。そこで現在は斷然之を用ゐず、唯箱の中の飾り物として置く。」³、「これは昔は役の牌として用ゐられたのですが現在は殆んど使用しません」⁴、「花牌は多く外国人間に使用されてゐますがこれはいたづらに勝負を大きくするために使用するので非常に興味を減殺される」⁵、「花牌は麻雀を邪道に導くものだから、標準牌には除けるがよい」「今頃花牌などは困り物だ。御座敷麻雀、田舎大尽麻雀、女子供麻雀として、水準麻雀人軽蔑の種」⁶。ここまで権威筋によって非難されては、「花牌」には立つ瀬がないのである。
皮肉なことに、こうした冷やかな態度が「花牌」の正確な理解を妨げている。日本では、「花牌」といえばもっぱら「季花牌」、つまりボーナス牌の意味で説明されていて、「聴用牌」(「听用牌」、「百搭牌」)つまりジョーカー牌としての説明がない。そのために、中国や欧米の教則本がジョーカー牌を説明すると理解できなくなる。たとえば「四万」が四枚使いきられた後で花牌を使って「三万」「四万」「五万」の順子を作るというような説明はどう考えてよいか分からなくなるので、しばしば無視される。
かくして、日本では「花牌」は最初から余計物扱いなので、遊び始めるときに脇に除けてしまうので仕舞い損ねて紛失することも多く、古物商が商っている古い麻雀牌はまず「花牌」が欠落しているか入れ替わっていて原型をとどめないと考えた方がよい。今日の日本で「花牌」の研究を進めることはいたって困難である。
しかし、「花牌」もまた麻雀史の立派な証言者である。古い麻雀牌のうちで、製作の時期や場所、あるいは実際に使われていた地域が分かる完全なセットを多数発見、保存して広くアクセス可能な公的な管理を進めれば、「花牌」は麻雀牌の時代判定、製造地判定の基準とすることすらできるであろう。今後の包括的な研究の推進が望まれる。
¹ 清雀倶楽部『標準麻雀必勝の作戦』太陽社、一九二九年。
² 前引『標準麻雀必勝の作戦』四頁、八頁、一四頁。
³ 井上紅梅『支那風俗 巻中』、日本堂書店(上海)、一九二一年、八〇頁。
⁴ 林茂光『支那骨牌 麻雀』、華昌号、一九二四年、四頁。
⁵ 司忠『麻雀技法』、大阪新聞社、一九二七年、一一二頁。
⁶ 榛原茂樹『麻雀精通(改訂版)』、春陽堂、一九三一年、二〇一、三一三頁。