(十) 野口晋一郎の麻雀牌
麻雀博物館には、館長の野口恭一郎が発見した、二組の宮廷麻雀牌がある。このうちの古いほうが、一九世紀麻雀史の検討に大いにかかわりを持ってくる。この牌は、縦二二ミリ、横一七ミリ、厚さ一〇ミリで、ほとんど江橋牌と同じ大きさである。牛骨、裏は黒檀である。凹面で、四隅は角である。江橋牌と同時代の、一八八〇年代のものと見てよかろう。
この牌を宮廷麻雀牌と呼ぶのは、通常の麻雀牌の文字牌のうち、「東」「南」「西」「北」の牌が、宮廷における地位を示す「公」「侯」「相」「将」の四種に変わり、「中」「發」牌が赤色の「龍」と緑色の「鳳」牌に変わっているからである。いずれにも、縁の枠模様がついている。龍は皇帝、鳳は皇后である。中国では「龍」「鳳」「白」の牌を公将牌と呼び、「公」「侯」「相」「将」を門将牌と呼ぶこともある。この「龍」「鳳」牌は、華北に作例が多い、北京市型、華北型の麻雀牌の変種である。いずれにせよ、「宮廷麻雀牌」と呼んでいるが、それは骨牌の図柄が宮廷を模しているという意味であって、清朝の宮廷で使われたという意味ではない。もちろん、宮廷で誰かが使った可能性は否定できないのではあるが。「龍」はキングを意味し、「鳳」はクイーンを意味する。「公」「侯」「相」「將」は宮臣でジャック、クナーベに相当する。これらの牌が各々四枚ずつあるとすると、ジャックに相当する牌の枚数は多いが、これは、表記は古めかしいが、構成は西欧のトランプの絵札の構成と同じである。何か偶然の一致でないとすれば、北京市の上流階級のあいだで西欧のトランプ文化に触れる機会が多くなった一九世紀末頃の考案であろうか。
この牌は、万子牌が、「万」の文字ではなく、「品」である。「一品」「二品」から「九品」まである。これは、古い麻雀牌に見かけられる表記の仕方で、数例が残っている。井上進(紅梅)も「舊い麻雀牌は中發白の代りに龍鳳白を刻し、東南西北の代りに公侯相将を刻します。其他は今の物と同じです。恐らく或る物數奇が拵へたものでしよう。正系ではないようです。」¹と指摘している。その発祥の地域と時期は明らかでないが、私は、華北、北京市の地方牌であったのではないかと考えている。なお、不思議なことに、福建省では今でも「万子」ではなく「品子」の麻雀牌が使われており、福建省人が華僑となって出かけている東南アジア、特にベトナムでも使われている。
この宮廷麻雀牌は、古い時代のものであるが、これと典型的な麻雀牌との前後関係は良く分からない。一九二八年に、麻雀界の指導者のひとり、榛原茂樹が、北京市市で古い麻雀牌を発見して入手したが、それは「一品」「二品」の福建麻雀牌であった。榛原は、これの箱の蓋裏に「甲子歳置於福州」と墨書されていたので、これは、もともとの持ち主が、一八六四年の甲子の年に福建省福州市で入手したもので、だから制作年月はそれ以前に遡ると考えているようである²。そうだとすると、宮廷牌の発祥は非常に古いものということになる。
だが、「甲子歳」は、六〇年後の一九二四年でもありうる。以前には、この牌の所在が明らかでなく、実物で点検できないので、この本の表紙にデザインとして使われているところから判断するしかなかったが、現在は麻雀博物館で見ることができる。それによれば、「一品」牌の彫り方、花牌の存在、「一索」牌の鳥の型、それに収納箱の様式などから、元の持ち主は一九二四年に入手したものと考えられる。実際に、麻雀博物館には、同じように福建麻雀牌で、「北京善後會議」を記念したものや、京劇俳優の梅蘭芳の注文によるものなども集められている。一九二〇年代にはこういう変わり牌作りが盛んだったと思わせるものがある。
野口牌の年代測定のもう一つの考えかたは、これを、グロバー牌からの別れとして理解することである。牌の形、文字牌の縁模様、新牌である「發」に相当する「鳳」の存在などからは、このように理解すると抵抗感が少ないと思われがちである。だが、一八七〇年代に、寧波市で、「發」牌の新アイディアが生まれ、孤立牌であった「中」を、「發」と「白」と組み合わせて「三元牌」というカテゴリーで理解するモデルが成立した後でないと、「龍」「鳳」「白」を組み合わせて「三元牌」として理解することはできない。当然、「大三元」や「小三元」という組み合わせの役もできない。その点から考えると、「龍鳳牌」は、意外に歴史が浅く、野口牌は、一九世紀末、三元牌という類型の骨牌が登場する一方で、まだ字牌の枠模様をなくすのが普通になる前の時期に制作されたものということになる。
なお、この野口牌は、清朝の皇帝が実際に使用した骨牌という触れ込みで、高額で博物館に売り込まれた。野口がどこまでその売込み文句を信用したのかは分からないが、博物館としてはそれを信頼してそのまま披露したほうが展示品に箔がついて良策となる。ただ、ありていに言えば、これは宮廷の調度品の象牙牌ではなく普通の牛骨牌と鑑定されるようなものであり、皇帝ご愛用のものとは言えない。
野口牌と同じ内容の麻雀牌がもう一組、麻雀博物館にある。この牌は、縦二十四ミリ、横十七ミリ、厚さ十ミリと、野口牌よりも大きいことや、牌の表面が凹面ではなく平面になっていること、デザイン面でのいくつかの違いなどから、野口牌より一時代後の時代のものと考えている。また、博物館には、もう一組、「昇官牌」と及ばれる牌がある。縦二四ミリ、横一九ミリ、厚さ一二ミリで、凹面、四隅角であり、一九世紀の麻雀牌の形に合っている。これらの牌をどう考えたらよいのか。今後の課題である。
なお、野口牌の制作年代の判断に資するように書いておくが、この牌の「一筒」の筒子は、中央に小丸が四個ある形である。これは、江橋牌や、中村徳三郎牌などにも共通する彫り方であり、一九世紀後半から二〇世紀初期にかけては何例か見られるが、一九二〇年代にはすでに消滅している。こういう平凡で見落としがちな部分にこそ麻雀牌の実年齢が見えてくるから面白い。
¹ 井上進『家庭遊戯麻雀の取方』、日本堂書店(上海)、一九二四年、七〇頁。
² 榛原茂樹『麻雀精通』(改訂版)、春陽堂、一九三一年、一四頁。