(九) 江橋崇の麻雀牌 

これまで語ってきたように、日本のカルタ史の研究者である私は、中国のカルタである「馬吊(マーチャオ)紙牌」の歴史を検討していくなかで、馬吊紙牌から麻雀紙牌を経て麻雀骨牌への発展があることを知り、麻雀の歴史についてもカルタ史の一部としての研究を行い、中国各地に残る伝統的な紙牌や古い麻雀牌のコレクションを行っていた。私は、一九世紀に馬吊紙牌から麻雀骨牌ができあがる過程での図柄の変化に着目して、とくに、「一索」牌が、百枚の穴あき銭を束ねた図柄から青蚨(チンフー)の図柄に変化し、それがさらに鳥の図柄になったという「一索進化論」を公表して麻雀史の研究世界にデビューした。江橋の麻雀牌コレクションは、一括して麻雀博物館に寄贈してそのコレクションの礎石にした。 

江橋牌
江橋牌

私は、「一索進化論」をより一層頼説得的に説明するために、中国をしばしば訪れて文献の蒐集に励むとともに、「青蚨」の図柄の「一索」牌のある骨牌を探して蒐集した。また、華北型の麻雀牌の古牌も蒐集した。「青蚨」の「一索」牌については、麻雀博物館が独自に蒐集したものもあり、同博物館には十四組が蒐集されている。これは世界中どの研究機関も遠く及ばない豊富な物品史料群であり、今日では、麻雀博物館が行なった歴史の調査、研究によって、一九世紀の麻雀史を検討する際に必見のものとなっている。 

この十四組の「青蚨」牌のうちで最も古いものが江橋牌である。私はそれを、中国、上海市内で、骨董店から直接に購入した。購入時に来歴の情報を求めたが明らかでなく、その分だけ史料的な価値が損なわれている。これについては、他の牌との比較のなかで理解することになる。それは非常に興味深いものとなるであろう。それを説明すると次のようになる。 

江橋牌は、縦二二ミリ、横一八ミリ、厚さ九ミリで、牛骨製である。背面は竹である。牌の表面は凹面で、四隅は角ばったままで丸くされていない。このことから分かるのは、この牌の古さである。 

まず、中国の麻雀牌は、徐々に大型化していったと思われる。ヒムリー牌の、縦十四・四ミリ、横十二ミリ、厚さ九・六ミリというのが最小で、グロバー牌のうち、AMNH牌は縦十九ミリ、横十五ミリ、厚さ十二ミリ、BMA牌は縦一八ミリ、横一四ミリ、厚さ一〇ミリである。それが、一八九〇年代のウイルキンソン牌になると、縦二三ミリ、横一九ミリ、厚さ一〇ミリということで大型化が進行し、一九〇〇年代初めのローファー牌は、縦二四ミリ、横二〇ミリ、厚さ一一ミリとなる。一九一〇年頃のキューリン牌は、縦二六ミリ、横二〇ミリ、厚さ一三ミリで、名川牌は縦二七ミリ、横二一ミリ、厚さ一一ミリである。 

こういう麻雀牌の大きさの変化という流れの中において考えてみると、江橋牌は、ウイルキンソン牌よりも若干古い時代のものであろう、という鑑定になる。ただし、中村徳三郎『麻雀競技法』の巻頭写真ページには、一六種類の「一索」牌を並べた写真が掲載されており、そこには、すでに「鳥」になった二〇世紀の「一索」牌で、縦二〇ミリ前後、横一五ミリ前後のものがあるから、小さな牌の伝統は残っていたと考えられて、牌の大きさだけでは確定的なことはいえない。 

次に、江橋牌の表面が凹面であることも、この牌の古さを物語っている。グロバー牌やウイルキンソン牌のような一九世紀の牌は凹面である。これが、二〇世紀に入ると、ローファー牌がそうであるように、きれいな平面になる。その後は、蘇州市に凹面牌の伝統が残っていて、一九三〇年代には、「凹面牌は蘇州牌」が本場といわれてきたが、それは特殊なものであって、一般には、二〇世紀の麻雀牌は表面が平らである。一方で、一九世紀の牌では、凹面のものが優勢であった。江橋牌は、この点からも一九世紀のものと考えてよい。また、江橋牌は牛骨、竹背であるが、これも、一九世紀の牌として当たり前の組み合わせである。 

なお、江橋牌の四隅は角ばったままで、丸く面取りされていない。これだと使用するにつれて容易に角が欠けて使い過ぎた中古牌の印象が強くなるので、二〇世紀に入ると、よほどの安物でなければ、麻雀牌の角は丸く削ったのであるから、江橋牌は、この点でも一九世紀の特徴を色濃く帯びていると考えてよい。 

次に、江橋牌のデザインを他の麻雀牌と比較してみたい。まず真っ先に気がつくのは、「發」という文字牌である。「白」「發」「中」が揃っているという構成であり、これは、寧波市で考えられた「中發」牌であると考えてよい。 

もう一点気になるのは、文字牌にグロバー牌のような縁の枠模様がないことである。文字牌の枠模様はグロバー牌の、したがって最初期の麻雀牌の大きな特徴である。それを外したのがいつ、どこのことかはわかっていない。だが、この変化は、牌のデザイン上の大きな変化であって、そう簡単に起きるものではない。そこで、単なる推論に過ぎないが、これもまた寧波麻雀牌の特徴であろうと考えている。ちなみに、枠模様のあった花牌である「春」「夏」「秋」「冬」の四枚の牌については、そのデザインに枠模様が残ったものが二十世紀にも残っている。 

20世紀青蚨牌
20世紀青蚨牌

このほか、細かい点でいくつかの興味あるポイントがある。まず、「一索」は「青蚨」であるが、けっこう、見どころがある。江橋牌の「青蚨」は、グロバー牌と同じように、胴体が左上から右下にかけてまっすぐに描かれていて、左右に二本ずつ、かつて穴開き銭を束ねていた紐の余った部分が、まるで「青蚨」の羽のように描かれている。頭部が赤い丸で、グロバー牌の場合はそのままいわば胴体に見える部分に繋がっていたが、江橋牌の場合は、首のような部分が細くなっていて、そこから、胴体につながっている。この「青蚨」も、二〇世紀になると、首の部分が長くなったり、胴体が曲がってひらがななの「く」の字のようになったりしてくる。 

なお、「二索」から「九索」の索子牌であるが、穴開き銭を百枚ひもで結んだ「索」を表すのに、図像は木の葉の形である。ただし、私はこれを「木の葉」の形としたが、それは見た目の印象でそう呼んでいるだけのことで、さしたる史料的な裏付けのある話ではない。今となって考えれば、『和漢三才圖會』の「青蚨」の項の挿絵には、上部に飛翔する青蚨の成虫、下部に蒲の葉の上で一列縦隊に並ぶ八匹の幼虫が描かれている。青蚨は蒲に卵を産み、幼虫はその葉の上で八、九匹が行列を作るとある。これから考えると、「一索」は母虫、「二索」から「九索」はその子の幼虫と説明した方がすっきりしていたのかもしれない。そして、形状的には、幼虫というよりも、上部の飛翔している成虫の半透明の羽根とした方が良かったのかもしれない。こう考えれば、カゲロウ(チンフー)の類に印象的な半透明の羽であり、「二索」から「九索」も「チンフー」の図柄で、概念的には穴開き銭の束、すなわち「チンフー」という原意の枠からははみ出していない。「木の葉」ではなく、こう説明した方が良かったのではないかと少し後悔している。 

ただ、弁解するようであるが、私が「木の葉型」と言い始めたのは、一九九〇年代に浅見了とこの問題の議論を始めていた頃で、当時は私も「木の葉型」と認識していた。私が「青蚨」に気付いたのはもう少し後であるから、それ以前は、「一索」は「揺れ虫」、「二索」以下は「木の葉」と表現していた。お恥ずかしい話であり、麻雀博物館の開館準備の時期にはもう「青蚨」だと分かっていたことなので、もっと早くに表現を是正しておけばよかったと反省しており、当時の私を叱責している。なお、同じ時期の中国北部の麻雀牌では、「二索」から「九索」の個々の「索子」の上下を円形に彫り込んで、それが円い貨幣の束であることの表現にこだわっている。 

グロバー牌はきちんとした穴開き銭百枚を示す長方形であるので、江橋牌の「木の葉」型は、むしろそれの崩れと考えるべきなのであろうか。以前に私は、「木の葉」型のものは長方形のものよりも古いと推測していたが、両者が併存した期間は当時考えていたよりも長かったのかもしれない。この辺も再考の余地がある。 

索子の牌では、「三索」牌が「食い込み」型であること、「六索」牌は緑一色であること、「八索」牌が「M索」型ではなくて「V索」型であることに注意したい。このうちでは、「三索」牌での索子の画像の食い込みが、時期が遅くなると浅くなり、ついには食い込んでいない型のものになっているので、牌の古さの判定にとっては重要である。また、筒子の牌では、「一筒」牌の筒子が、二重丸の中に小さな丸が四つある「四小丸」であること、「二筒」牌の筒子は大きく彫られていて、上下二つの筒子の間の空きがほとんどないことに注意したい。いずれも古い時代の牌デザインであって、「四小丸」の「一筒」牌は二〇世紀の初めに消え去り、「二筒」牌の二つの筒子は牌が大型化するのに対応して間隔をあけるようになっている。 

万子牌には、特に指摘しなければならない独自性はない。一方、文字牌では、まず、「南」「北」の文字がグロバー牌と同じように古い書体であり、「發」も、古い「弓矢發」の字体である。これも十九世紀の骨牌の特徴をよく示している。 

以上の諸点を総合的に考えると、江橋牌は、グロバー牌の一八七〇年代よりは新しく、ウイルキンソン牌の一八九〇年よりは古い十九世紀の麻雀牌と思われる。つまりそれは、一八八〇年代の寧波麻雀牌、別名「中發」麻雀牌と考えられるのである。 

なお、華北の麻雀骨牌は、「索子」の「二索」から「九索」の図柄が華中の「木の葉」型とは異なって展開されている。上に述べた「索子の上下を円形に彫り込んで、それが円い貨幣の束であることの表現にこだわっている」タイプもその一例である。 

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