(一) グロバーの麻雀牌の発見
二一世紀の始めにアメリカのニューヨーク市で、これまでの麻雀史の研究を根本から変えるような大発見があった。一八七〇年代前期に、あるアメリカ人が二組の麻雀牌を中国から持ち帰ってきていた史実が、その際の麻雀牌そのものの再発見によって再確認されたのである。その人の名前から、ここではグロバー牌と呼んでおきたい。この牌については一九二〇年代の文献で触れられたことがあったが、その後、行方が分からず、すでに消滅したものと考えられていた。それが、イギリスの麻雀史研究者、ミッチェル・スタンウイック(Michael Stanwick)の熱心な調査によって、博物館で眠っている状態で再発見された¹。
ジョージ・グロバー(George Glover)は、一八五九年から中国、広東省広州市の税関に勤務しており、一八七二年二月二二日から一八七三年九月一二日までは福建省福州市の事務所に駐在していた。この時期に、彼は麻雀の遊びを知り、その遊具である麻雀牌を購入し、アメリカに運んだようだ。
グロバーは二組の麻雀牌をアメリカにもたらした。その一つは、ニューヨーク市のセントラル公園にあるアメリカ自然史博物館(AMNH)が購入した。来歴がしっかりしていてありがたい。現在、同博物館に所蔵されており、それには、グロバー自身が書いた、一八七五年八月一八日付けの説明のメモが添付されているので、この日付以前にアメリカに渡ったものと考えられる。
もう一組の麻雀牌は、ニューヨーク市ブルックリン地区にあったロード・アイランド歴史協会(LIHS)、つまり今日のブルックリン歴史協会(BHS)に寄贈された。それは現在、ブルックリン美術館(BMA)に所蔵されている。この牌には説明のメモが付いていないが、AMNHが購入したものと同時期にアメリカに渡ったものと思われる。
こうした経過から見ると、グロバーがこれらの麻雀牌を入手したのは一八七二、三年頃で、場所は福建省福州市と思われる。そして、入手したものは未使用の新品ではなく、既に使われていた物であり、麻雀牌の制作時期はこの年代より少し以前になるであろう。そしてさらに、入手より数年前に福州市で使われていた骨牌が特別に新しい図柄であったとは思いにくいので、骨牌の図柄の成立はさらに数年遡り、一八六〇年代後半から七〇年代初頭の頃と考えるのが穏当であろう。つまり、それまでに麻雀史の研究者が確認してきた最も古い麻雀牌とされるウイルキンソン牌よりも約二〇年遡る、来歴の明確な麻雀誕生期の骨牌が二組も再発見されたことになる。これのもたらす学問上の価値は莫大なものがあり、スタンウイックの功績はきわめて大きい。
¹ Michael Stanwick, ‘Mahjong(g) before Mahjong(g)’ . The Playing Card, Vol.32, No.4,5, International Playing Card Society, 2004.