(八) 名川彦作の麻雀牌
キューリンと同じ一九〇九年に、場所も同じ上海市で麻雀牌を購入した日本人がいる。四川省で英語教師をしていた名川彦作である。名川は、日本に持ち帰ったこの麻雀牌で、周辺の人を相手に、日本で最初に麻雀の普及を始めたとされている。一九〇九年、名川の新しい赴任地、樺太(現サハリン)でのことである。
この牌は、一九五〇年に名川が死去した後は行方不明になっていたが、一九九九年、麻雀博物館の開館直後に、名川彦作の子孫から提供され、いまでは、博物館の所蔵に帰している。名川家に伝わっていたという来歴が明確な状態で博物館に収まったので、史料的な信頼度が高いのが幸いである。
名川牌は、キューリン牌と比較すると、索子牌の索の形が、長方形でなく、楕円形(木の葉型)であることを除けばほとんど同じである。サイズも縦二七ミリ、横二一ミリ、厚さ一一ミリで、一回り大きいが、あまり違わない。ただ、残念なことに、花牌はすっかり失われていて、その構成は明らかにできない。こういう小さな欠陥はあるが、この牌には、「發」字牌の入った近代型の麻雀牌として世に問われてまだ間もない初々しさと、この牌の遊技をたまたまその最初期に知り、自身が熱中して熟達し、帰国したら周りの人々に教えようとして大事に持ち帰った名川の情熱に触れる思いがする。
名川牌の価値は、もちろん、日本で最初期に使われた麻雀牌という点にあるが、それにとどまらず、国際的に見ても、ほとんど残っていないこの時期の貴重な実例なのであるから、ナガワ牌として、キューリン牌と並んで、広く、研究者に活用されるべき価値がある。