(四) ヒムリーの麻雀牌に関する記録
スタンウイックの発見によって改めて脚光を浴びるのが、フランスの東洋カルタ研究者、テリー・デュポリス(Thierry Depaulis)による、ドイツ人カルル・ヒムリー(Carl Himly)の麻雀牌に関する古い記録¹ の発見と英語への翻訳である。ただ残念なことだが、ヒムリー牌の現物は現在は行方不明である。
ヒムリーは、一九世紀後半に中国に滞在していたが、一八七六年に帰国している。従って、これも一八七〇年代以前の麻雀牌の記録ということになる。彼はその時期に、上海市に滞在していたので、見聞したのは上海の麻雀であろうと推測されている。
ヒムリーが発見して持ち帰ったのは、縦一四・四ミリ、横一二ミリ、厚さ九・六ミリという小型の牌である。この牌では、まず、筒子牌、索子牌、万子牌の三種類が、各々「一」から「九」までが四枚ずつあり、各々の種類に、「同化」、「索化」、「万化」の字牌が各々一枚ずつついている。文字牌としては「東」「南」「西」「北」の牌が各四枚あり、そのほかに、「東王」「南王」「西王」「北王」「捴王」字牌が一枚ずつある。また、「天王」「地王」「人王」「和王」字牌も一枚ずつある。さらに、「春」「夏」「秋」「冬」の四季字牌があり、「白」牌が八枚ある。 合計で一四八枚である。
注目されるのは、多数の花牌の存在である。日本では、一九二四年に中国、大連市で発行された中村徳三郎『麻雀競技法』の巻頭写真ページに掲載されている古い麻雀牌がよく知られている。この中村牌は、中村の活動領域からして、中国東北部の関東洲、具体的には大連市辺りにあったものだと思われるが、今日の麻雀牌の牌構成である、筒子、索子、万子牌の百八枚と、文字牌の「東」「南」「西」「北」「中」「發」「白」の七種二八枚、合計して一三六枚の牌に加えて、花牌が三二種三二枚あり、これに予備牌が八枚ついて、合計で一七六枚の牌という賑々しさである。花牌は、ヒムリー牌と同じく、漢字二文字のものは、「同化」「索化」「万化」字牌、「東王」「南王」「西王」「北王」「捴王」字牌、「天王」「地王」「人王」「和王」字牌であり、漢字一文字のものは、「春」「夏」「秋」「冬」字牌があり、さらに、「梅」「蘭」「菊」「荷」、「福」「 禄」「寿」「喜」、「日」「雨」「風」「雪」、「公」「侯」「相」「将」という組み合わせの字牌も含まれている。ヒムリー牌の多様な花牌は、二〇世紀の大連市ではここまで発達したのであろうことを推測させる。これは中国東北地方の地域的特色であろうか。
なお、中村の持っていた大連市の麻雀牌と、ヒムリーが得た上海市の麻雀牌とが類似しているとなると一つの疑問が生じる。中村は大連市を本拠にして活動していたが、上海市に工場を持ち、そちらで「満洲の麻雀牌」を制作していた。麻雀の世界における大連市と上海市の関係は一つの謎である。
ヒムリー牌でもう一点ショッキングなのは、「中」「白」「發」の三元牌が存在しないことである。グロバー牌でも「發」字牌はなかったが、「中」字牌はあった。それが、ヒムリー牌では、「中」字牌もないのであるから驚かされる。どうやら、この骨牌は、まだ「中」「發」「白」の三元牌が登場する以前に枝分かれした亜種であろう。後に触れるように、三元牌は一八七〇年代の浙江省寧波市での創作だとすれば、この枝分かれはそれ以前に起きていたことになる。私は、これは華北及び東北地方、北京、天津、大連辺りで生じた枝分かれだと推測している。
結局、麻雀骨牌では、方角牌の登場が古く、三元牌は後からの登場という理解になろう。ヒムリー牌は三元牌登場以前のもの、中村牌は登場後のものという前後関係が想定できる。
このグロバー牌とヒムリー牌の登場によって、中国の文献『清稗類鈔』²が紹介している、麻雀骨牌の太平天国起源説が再び脚光を浴びることになる。この説を立証するような麻雀牌が発見されたのであるから。この説では、太平天国の時期に、その王位にちなんで、「筒化」「索化」「萬化」「天化」「東化」「南化」「西化」「北化」という字牌が加えられたというのである。グロバー牌には、「東王」「南王」「西王」「北王」があり、いかにも太平天国が盛んであった華中、長江沿岸地域らしい匂いのする牌といえる。
また、ヒムリー牌から、「捴王」字牌は、「東王」「南王」「西王」「北王」の文字牌の仲間であることを知ることができる。「捴」は東西南北の「捴(すべて)」を意味するのであり、したがって、この四方向のいずれの遊技者であっても三枚を揃えれば一翻役が与えられる牌であったことを意味するであろう。そして、この「捴」が「中」に変わったと考えることもできる。
私は、かつて、「捴王」を「筒化」「索化」「萬化」の文字牌の仲間と理解していた³。今日の東南アジアの麻雀牌には、青い枠線で囲み、文字も青く彩色された「筒」「索」「萬」「捴」という四枚の文字牌が付いていることが多いのもそう考える根拠であった。だが、この発見からすれば、もう一度再検討しなければならない。
¹ Carl Himly, ‘Morgenlandisch oder abendlandisch? Forschungen nach gewissen Spielausdrucken’, Zeitschrift der DeutschenMorgenlandischen Gesellschaft. XLIII.1889, Carl Himly ‘‘Die Abteilung der Spiel im Spiegel der Mandschu-Sprache’’ VII’ T’0ung Pao, 2nd Series, Vol. II, 1901.
² 『清稗類鈔』、上海商務印書館、一九一七年。
³ 江橋崇「麻雀の花札に関するメモ」『遊戯史研究』第九号、遊戯史学会、一九九七年、五七頁。