一 花札、トランプの解禁 (二)花札合法化の定着 上方屋銀座店は大きな反響を呼び、花札の販売が公許されたことが明白になった。前田はさらに同年五月二日からは、それまでは自身も禁止の品と言っていた「めくりカルタ」も売り出し、十二月には銀座店の店頭に巨大な賽ころの看板を出し、翌明治二十年(1887)一月には賭博用の賽ころも販売するようになった。当時の常識としては、花札は一般... 館長
一 花札、トランプの解禁 (一)花札の公然の販売‥‥「上方屋」の挑戦 明治十九年(1886)の春、東京の銀座に花札を販売する店舗「上方屋」が出現した。当時は、花札の売買は禁止という観念が強かったので、これは奇想天外の出来事とされ、世間は大いに驚いた。これを敢行したのは、大阪市の心斎橋通塩町角に店舗を構えて手広く商売をしていた絵草子屋「綿屋」の当主、「綿喜」こと綿屋喜兵衛、本名前田喜兵衛で... 館長
近代カルタ文化の研究 第一章 近代かるた文化の始まり Pinterest Instagram Facebook-f <近代カルタ文化の研究第二章 骨牌税法の導入と花札の国民娯楽王者化 > ©2018 Japan Playing Card Museum... 館長
館長より 日本かるた文化史近代編、公開。 本日から、日本かるた文化史の近代編を公開します。 第一章から第五章、時期的には明治維新から太平洋戦争の敗戦まで、八十年のかるた文化を追ってみました。最近増えている外国からの来館者の利便も考えて画像を思い切り贅沢に入れました。人々がかるたの遊びで感じてきた喜びや希望、あるいは苦しみや悲しみを汲み取っていただければ嬉しいで... 館長
館長より 早くも二年 当館を立ち上げてから早くも二年近い時間が経ちました。 時代は令和に代わり、日本の伝統文化への関心も高まっています。当館は、王朝の雅びな遊びから、市井の不行儀な賭博系の遊びまで、大人から子どもの世界まで、かるたを通じて世の動き、時代の流れを見ています。 当館は、江戸期かるた文化の研究をアップしたのちに、南部カルタや朝鮮の... 館長
五 花牌の盛衰史 (八)日本における花牌麻雀の冷遇 ところで、日本人が麻雀にしたしむようになった大正後期(2019~26)から昭和初期(1926~35)の時期には、中国では素麻雀の時代に入っており、すでに混子牌も季花牌も使われなくなりつつあった。そこで、日本における麻雀技法の紹介書、解説書は、例外なく混子牌を無視し、季花牌について、これを用いた技法を客観的に紹介したもの... 館長
五 花牌の盛衰史 (七)中国国外に残る花牌麻雀 花牌(ベトナムの牌) 花牌インフレの牌はゲーム用品としては衰退しており、調査が困難である。できれば中国国内でこれを遊んでいる地方を発見して記録を残したいと思っているが、期待薄である。 ところが、ベトナムには、今日でもなお百六十枚一組の麻雀牌が残されている。花牌は全部で二十四枚あり、「春」「夏」「秋」「冬」、「梅」「蘭」... 館長
五 花牌の盛衰史 (六)中村徳三郎の紹介する花牌満開の骨牌 中村徳三郎牌 今日の中国ではこの説は比較的に軽視されているが日本では有力な理由のひとつは、まさにこれと思われる牌が中村徳三郎『麻雀競技法』の口絵に掲載されていることである。これ有る限り、太平天国起源説は単なる伝説では終わらない。 この牌は、索子のデザインが「竹の葉」で万子は「万」の字である。「一索」は揺れ動いているチン... 館長
五 花牌の盛衰史 (五)異説・太平天国起源説 花牌の起源についてはもうひとつの説がある。太平天国起源説といってよい。太平天国の時期の麻雀に加えられた「筒化」「索化」「萬化」「天化」「王化」「東化」「南化」「西化」「北化」を花牌の始祖と考えるもので、日本では有力である。その詳細は浅見論文で明らかであるが、中国サイドにも、中華民国の時代までは、少なくとも安徽省、陝西省... 館長
五 花牌の盛衰史 (四)花牌の多様なる図柄 「男女平權」牌 花牌のインフレ期に、いくつものデザインが考えられた。「春」「夏」「秋」「冬」、「梅」「蘭」「菊」「竹」(地方によっては「蘭」「竹」「菊」「梅」)、「天官」「聚宝盆」「猫」「鼠」、「官人」「聚宝盆」「釣人」「魚」などのほかに、「福」「禄」「喜」「寿」、「魚」「蜻」「蟹」「蝦」、「棋」「僧」「待」「月」... 館長
五 花牌の盛衰史 (三)短かった絶頂期・花牌の衰退 こうして花牌はその最盛期を迎えた。二十四枚の全体を「花牌」と呼ぶが、「絵牌」とも呼んだ。1920年代の日本の文献で花牌を「絵の模様の印刻したもの」、「花駒(絵駒)」と呼んでいるものがある。欧米の文献で花牌をピクチャーと呼ぶものもある。いずれも広義の絵牌の意味である。 ところが、過ぎたるは何とやらで、これだけ花牌が多くな... 館長