二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (二)骨牌税法の展開 帯状骨牌印紙(明治三十五年) 骨牌税法の施行については、明治三十五年(1902)七月一日に向けて準備が進んだ。五月二十二日に「骨牌税法施行規則」(明治三十五年勅令第百五十四号)と「骨牌ニ貼用スヘキ印紙ニ関スル件」(明治三十五年勅令第百五十五号)が定められ、六月十日に大蔵省令第十四号で骨牌印紙の形式が定められた。この段階... 館長
二 骨牌税の導入と賭博系カルタの盛行 (一)骨牌税法の制定 花札の流行が盛んなさなかに、カルタ業界にとってはゆゆしい事態が生じた。骨牌税の導入である。骨牌税法は明治三十五年(1902)二月に帝国議会に提出され、同年四月に成立して公布された。施行日は七月一日であった。 片山貞次郎「骨牌ニ重税ヲ課スル事ニツイテ」 骨牌に対する課税を最初に主張したのは東京帝国大学卒の大蔵官僚、片山貞... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (五)手作り花札の製作工程 花札はもともと、多くの色彩が加えられていてカラフルに美しいのが魅力の基礎であった。そのために花札の製造では手仕事が大事にされて、張り抜き、カッパ摺りの技法が用いられていた。これまで、この制作工程については、昭和四十八年(1973)の『季刊「銀花」』第十三号、昭和五十二年(1977)の『京都』第三百八号、平成七年の『中央... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (四)人気ブランド花札の登場と商標登録法制度への参入 日本骨牌製造の「大隊長」印(左:明治、中:大正「錫箔包」、右:昭和) 明治二十年代(1887~96)、急激な花札の需要の拡大に追われて既存の花札の製作業者が多忙に過ごすとともに、何軒もの新規参入業者も出てきたが、市場で商品の品質と価格の競争が起こり、いつしか、市場での評価の高いブランド商品ができてきた。東京銀座の「上方... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (三)花札図柄の絵ハガキ 絵ハガキ「花畫葉畫」 もうひとつは、明治三十九年(1906)に東京市日本橋區馬喰町二丁目十四番地の綱島商店、綱島亀吉から発行された、花札図柄の絵葉書、「花畫葉畫」第一集六枚、第二集六枚、合わせて十二枚である。これは、画家であり、書家である田中三省の筆になるもので、一枚の絵葉書ごとにその表面を四分割して、「松」「梅」以下... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (二)花札図柄の「煙草カード」 たばこカード加工品・「改良八々花札」 ここで、この時期に創作された、二例の独自色ある花札の図柄について書いておこう。まずは、煙草が民営であった時代に、京都の「村井兄弟商会」が自社の煙草箱に封入した花札図柄の「煙草カード」を実際に花札にしてしまったものである。 「煙草カード」は長方形の厚紙で作られており、最初は輸入された... 館長
一 花札に関する法制度の整備 (一)「八八花札」の図像の確定 「八八花」の大流行は、花札への大きな需要を生み出し、花札製作の大きなビジネス・チャンスが生まれた。カルタ職人が多数居住する京都、大阪が製作の中心地であったが、全国各地に拡散して、多くのメーカーが活動した。この段階で今日いうところの地方札は使用される現地での生産がほぼ出揃った。岩手県の花巻市、山形県の山形市、酒田市、新潟... 館長
近代カルタ文化の研究 第二章 骨牌税法の導入と花札の国民娯楽王者化 Pinterest Instagram Facebook-f < 第一章 近代かるた文化の始まり第三章 子ども向け、女性向けかるたの消長 > ©2018 Japan Playing Card Museum... 館長
三 空前の花札ブームの到来 (九)かるた制作、販売の近代化 明治二十年代(1887~96)に、子ども用のかるたが、「イロハかるた」であれ「百人一首かるた」であれ、成立して発展した根拠として、西欧の板紙が輸入され手広く普及し、国産化も始まったことが大きい。それまで、かるたに用いられていたのは、和紙であって、堅牢さに弱点があった。花札などは、和紙を貼り合わせて芯紙を作る際に、糊の中... 館長
三 空前の花札ブームの到来 (八)パーマーの八八花札の紹介 ちょうどこの時期に、日本に滞在していて、花札について本格的に研究したのがイギリス人のヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer)であった。パーマーは、1838年に軍人の家庭に生まれ、一八歳で王立士官学校に入学後、技術将校としての学習、修行に励み、1856年にイギリス陸軍の工兵中尉に任官して... 館長
三 空前の花札ブームの到来 (七)外国人の見た明治期日本のかるた文化 日本のかるた遊技は、当時滞在した外国人の興味も引いた。横浜や神戸などの外国人居留地は治外法権の地であって日本の警察権力は及ばず、その代りにあった居留地警察は西欧社会の常識で一般人の小規模な賭博行為には寛大であり、賭博はとても盛んであった。とくに横浜は、岩亀楼等の遊廓で花札が用いられて「横浜花」つまり「八八花」の発祥の地... 館長
三 空前の花札ブームの到来 (六)「武蔵野」の退場 明治二十年代(1887~96)は花札ブームに沸いた時期であるとともに、かるたの世界の全般で大きな変化があった。江戸時代のかるた文化を支えた教養色の強い「歌合せかるた」は衰退し、「源氏物語歌かるた」「伊勢物語歌かるた」「古今集歌かるた」「新古今集哥加留多」「自讃歌かるた」などはこの時期に社会的には終わりを迎えた。ただ「百... 館長